◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝江戸飛脚屋
封状の目方はさのみいとはねどあしは秤にかける飛脚屋(画賛)
あちこちへあしをはかりにかけまはる人を目方でつかふ飛脚屋
早状の印にもみぢの色みせて時雨ふる日もめぐるひきやくや
川留に飛脚はあふてその状の月日さへみぬさみだれの空
むらさきのゆかりの花の大江戸へくもでにものを配る飛脚屋
雁皮紙に書しもあらんふみをもて霞ヶ関を過るひきやく屋
かへる雁空に見なして北国の吉原へしもいそぐ飛きやく屋
亀戸なる藤の便りもむらさきの江戸の飛脚へたのみこそすれ
蓬莱の島屋がもとに鶴ならでいたゝき赤き早状も見ゆ
〈島屋 赤き早状 蜘蛛手(四方八方) 雁皮紙〉
◯『増訂武江年表』2p143(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(嘉永七年・1854)
〝此の頃、町飛脚といふもの市中へ出て、書簡を届くるをもてなりはいとす。浅草より出たるが始めにて、
所々より出づ。いちさ成る箱を背負ひ、棒の先へ風鈴を下げる〟
△『実見画録』(長谷川渓石画・文 明治四十五年序 底本『江戸東京実見画録』岩波文庫本 2014年刊)
〝飛脚は、瀬戸物町にて島や、室町にて京屋、袋物町にて和泉屋と云う飛脚やより出る飛脚にて、此三店
は、何れも江戸にて有名なる飛脚やなり。故に諸国に出店あり、信用もある故、町方而已(のみ)ならず、
諸藩の用も達したり。其頃に在りては、仮令(たとえ)ば、手紙一通を京都へ送るに、普通にて十日乃至
(ないし)十五日間位に非ざれば送達ならず。至急なれば、赤紙を付して差出す。賃銭は少し高きも、此
方を宜しとす。而(し)かし、是にても十日位は要せしと。京都にて如此(かくのごとく)なれば、他は押
して知るべし。況(まし)てや荷物に於ておや。所謂三度飛脚とは此飛脚を云ふなり〟
〈この画録は幕末から明治初年にかけての見聞記〉