◯『林若樹集』(林若樹著『日本書誌学大系』28 青裳堂書店 昭和五八年刊)
※全角カッコ(~)は原文のもの。半角カッコ(~)は本HPの補注
◇「筆耕」p15(『版画礼賛』所収 大正十四年三月)
〝筆耕も出板には無くて叶はざる専門の技術者であつて、読本や合巻の末に、往々彫師と其名を列ね記し
てあるは、作者が窃(ひそか)に其労を謝する心づかひであらう。然し其位置は、恰も浮世絵に於ける彫
師や刷師と同様に、所謂影の人故、如何なる人が従事してゐたか詳細の事は伝はつて居らぬ。専門に此
事に従つた人もあらうが、中には幕府の御家人の内職(見様によつては本職)として之に携さわつた人
もあらうと考へらるゝ。然し古くは画工の北尾重政は筆耕も兼ねてゐたし、渓斎英泉も同様であつた。
一九の著書の大部分は彼れの自筆と察せられる。彼の原稿「一ノ富当り眼」に一ヶ所も朱書の注文のな
いのも其事実を裏書する一であらう。松亭金水や晋米斎玉粒は筆工から作者となつた人達である。八島
定岡も、英泉と同じく、画も筆耕も作者も兼ねてゐる。而して其工料は前に引ける山崎美成の『海録』
巻三に「文字の書入も一枚十六文位なりしが今は中々左にてはあるまじ」とあるより推して高くなつた
として工賃としては最軽きものであつたのである〟