☆ 寛政三年(1791)
筆禍『仕掛文庫』『錦の裏』『娼妓絹籭』(洒落本)
処分内容 絶板 発禁か
◎自作・自画(山東京伝・北尾政演)手鎖五十日
◎板元 蔦屋重三郎 身上半減の闕所(財産半没収)
◎地本問屋行事 伊勢屋某・近江屋某 軽追放
処分理由 遊女の放埒の体を書綴りしこと(遊里に取材したものを教訓本として出版したこと)
◯「仕懸文庫、錦の裏、娼妓絹籭」(宮武外骨著『筆禍史』p81)
〝明和安永頃より洒落本又は蒟蒻本といへる、遊里遊女遊客等の状態を細写せる小冊物流行し、戯作者山
東京伝(浮世絵師北尾政演)の如きも亦其時弊に投じて著作したるもの少からざりしが、前項所載の取
締令の発布ありしにも拘らず、本年も亦重ねて此三種(各一冊)の蒟蒻本を出版せしががめ、版元蔦屋
重三郎は財産半没収、著者京伝は戯作者界に前例なき手鎖の刑を受けたり、其吟味始末書に曰く
〈以下の文は『山東京伝一代記』(〔俗燕石〕②410)〉にもあり。句読点はそれを参照して補った。また〈 〉の文
字は『山東京伝一代記』に拠った〉
新両替町一丁目家主伝左衛門悴 伝蔵 〈亥〉三十一歳
右之者儀、親伝左衛門手前に罷在、浮世絵と申習し候絵を認め、本屋共へ売渡渡世仕候処、五六年以
前より、不計草双紙読本の類作り出し、右本屋共へ相対仕、作料取て売渡来候に付、当春も新板の品
売出可申と、去年春頃より追々作り置候仕懸文庫と申す外題の読本、其外、錦之裏、娼妓絹籭と申読
本、右三部の内、仕懸文庫と申は、御当地深川辺料理茶屋にて、遊興致候体を合含、并古来より、歌
舞伎芝居にて狂言仕候曾我物語の趣向に、当地の風俗を古今に準へ書つゞり、錦之裏と申は、前々よ
り浄瑠璃本に有之、摂津神崎の夕霧と申遊女、伊左衛門と申町人と相馴染る趣、并に娼妓絹籭の儀は
是亦浄瑠璃本に有之候、大坂新町の梅川と申遊女、忠兵衛と申町人に相馴染候趣を、御当代新吉原町
の体に準へ相綴り、同七月中、右三部共、前々取引仕候草双紙問屋蔦屋重三郎方へ売遣候、対談にて
相渡、作料、画工共、紙一枚に付、代銀一匁づゝの割合にて、三部代百四十六匁、金に直し金二両三
分銀十一匁の内、其節、為内金、金一両銀五匁請求〈取〉候処、同十月の町触に、(云々中略)
〈この中略の部分、『山東京伝一代記』は寛政二年十月の町触を引く。本HP「浮世絵に関する御触書」参照〉
申渡有之、承知致罷有候、〈然る〉上は、其以前重三郎方へ渡置候読本も、同人より行事改更へ〈改
更候て〉可仕儀差図〈可任差図儀〉候得共、右三部は〈共〉遊女の放埒の体を書綴り候本に候得ば、
行事共へ改為請候に不及、右の段、早速重三郎方へ申談じ、売買為致間敷儀に候処、重三郎儀は、前
書町触以前、右本の板木出来致候に付摺〈写〉取、同十二月廿日、草双紙問屋行事共方へ持参り改更
候処、売捌候ても不苦候旨差図致候由にて、三部共可売出段、其砌〈り〉、重三郎申聞、右に付、当
春已以来、右本重三郎方より売出候処、此度呼出有之、吟味に相成候旨申候、此者去年中重三郎より
受取候作料残金の儀は、右三部共、当春より重三郎方にて売捌の売高の多少に寄り、代金増減仕、追
々受取の積り、兼ての対談に付、右残金は未請取不申罷在候旨、右の外、去年より当年に至り、読本
等作出〈し〉売渡候儀無之、畢竟、余分売捌の儀、専一心掛候故、寓言而已を重に致〈し〉書綴り候
儀有之旨申候に付、書物の類の儀、前々より厳敷申渡候趣も有之、殊に、去年猶又町触も有之候処、
等閑に相心得、放埒の読本作出〈し〉候て重三郎へ売捌きの段、不埒の旨吟味受、無申訳誤入候旨申
〈し〉候間、五十日手鎖申付候
亥三月 初鹿野河内守
〔頭注〕蔦屋重三郎
同人に対する吟味始末書は、京伝と略ぼ同一にして管々しきにより省く、言渡は「身上半減の闕所」と
いへるなり〟
〈作者山東京伝は手鎖五十日。板元蔦屋重三郎は財産の半減処分。この間の経緯を曲亭馬琴が『近世物之本江戸作者部
類』で次のように記している〉
「寛政二年官命ありて、洒落本を禁ぜられしに、蔦屋重三郎【書林并地本問屋】其利を思ふの故に、京伝
をそゝのかして、又洒落本二種をつゞらして、其表袋に「教訓読本」かくのごとくしるして、三年春正
月印行したり。そは錦の裏といふ【よし原のしやれ本】仕掛文庫【深川の洒落本】といへる二種の中本、
【大半紙二ッ裁也】この洒落本は京伝が特によく其の趣きを尽したりければ、甚しく行はれて、板元の
贏餘多かり。この事官府に聞えけん。この年の夏五六月の頃、町奉行初鹿野河内守殿の御番所へ、彼洒
落本にかゝづらいて出板を許したる、地本問屋行事二人【いせ屋某、相行事近江屋某兩人也】并に錦の
裏仕掛文庫の板元蔦屋重三郎、作者京伝事、京橋銀座町一町目家主伝左衛門伜伝藏を召出され、去年制
止ありける趣に従ひ奉らず、遊里の事をつゞり、剩教訓本と録して印行せし事不埒なりとて、しば/\
吟味を遂られしに、板元并に作者全く売徳に迷ひ、御制禁を忘却仕候段、不調法至極、今さら後悔恐れ
入候よしを、ひとしく陳謝に及ひしかは、その罪を定められ、行事二人は軽追放、板元重三郎は身上半
減の闕所、作者伝藏は手鎖五十日にして、免されけり」
『仕懸文庫』 『青楼昼之世界錦之裏』 『娼妓絹籭』 山東京伝作・画
(早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」)