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☆ ひっか げさくしゃ 筆禍 戯作者浮世絵事典
 ◯『吾仏乃記』滝沢解(曲亭馬琴)記(八木書店・昭和62年刊)   (家説第四 天保の改革における『偐紫田舎源氏』などの筆禍記事に続いて)p477   〝曩(さき)に戯作の愆(あやまち)にて罪を得し者、三人あり。寛政二年春二月、初鹿野河内守殿町奉行た    りし時、山東京伝は、仕懸文庫・錦の裏と云二部の洒落本を著したる犯法の罪ある故に、御吟味中手鎖    を掛られて、其書は絶板せられ、裁許落着の時、又手鎖五十日にして、秋に至り恩免あり。其板元蔦屋    重三郎は身上半減の過料、行事二人は追放せられにき。    其後文化年間、式亭三馬は、侠(キヤン)太平記向体(ママ鉢)巻と云草冊子を新作して、一番組なる火消人足    等の闘諍(タウジヤウ)を引出したる故に、手鎖の日数、京伝の時の如し。其板元西の宮新六は過料にて恩免    ありけり。又、画工喜多川歌麻呂は、絵本大(ママ)閤記によりて、豊大閣遊楽の図など印行の錦絵に画き    たる罪にて、御吟味中、入牢す。其後恩免あり。出牢して猶絵をもて生活にしぬること久しからずして、    身故り(ママ)にき。又おなじ比、十返舎一九は、化物太平記と云草冊子を新作して、当初の大小名を妖怪    に擬したる罪にて、手鎖先例の如く、其後恩赦せられしと聞えたり。かくてこの度、為永春水・寺門静    軒等のことなり。柳亭種彦は折よく病死したればや、御沙汰に及ばれずといへども、既に田舎源氏を絶    板せられたれば、罪なしとすべからず〟