Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ペリー浮世絵事典
 ◯『増訂武江年表』2p133(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (嘉永六年・1853)   〝六月三日、北亜墨利加合衆国華盛頓(ワシントン)使節(正使マツテウ◯セロベルリ)の船大小四艘、相州浦    賀の要津に舶し貿易を乞ふ。これに依りて諸家警固厳重にして、数艘の番船海上に充満し、旌旗(セイキ)    を翻へして昼夜に懈(オコタ)らず。しかるに同月九日、浦賀の鎮台戸田井戸の両侯、同州久里浜にして其    の呈書を受納ありしかば、同十二日纜(トモヅナ)を解きて沿海を発せり。江府の貴賤、始めには仔細を弁    ぜずして恐怖して寝食を安んぜず、老人婦幼をして郊外遠陬(エンスウ)に退かしめしもありしが、平穏にし    て不為(フイ)に属し、諸人安堵の思ひをなせり。是れより後、魯西亜、英吉利、仏蘭西等次第に来舶して、    書簡を呈し貿易を庶幾(シヨキ)す。後、数度応接ありて、乞ふ所に任せて仮の条約をもて貿易を許し給へ    り。此の後数度通航する事勝計すべからず。其の顛末を記せるものは牛に汗し棟に充つべし。依りてこ    こには委しくせず、「泰平のねむりをさますじやうきせん(蒸気船)たつた四はいで夜も寝られず」又    或(上)卿の御戯(喜撰)のよしにて「日のもとやまだちやるめるもふかぬまにとけて帰りしあめりか    (亜墨利加)のふね」