☆ 嘉永三年(1850)
◯『藤岡屋日記』第四巻(藤岡屋由蔵・嘉永三年三月記)
◇蛇の子 ④87
〝(二月、惣身に鱗、蛇皮のような肌をした子供・金太郎(七歳)が評判になる)
蛇之子之画姿を一枚摺に致し出板致候者共、絵草紙懸り名主取調に相候候事
浅草誓願寺門前 玉屋惣兵衛
同、阿部川町 同源次郎
横山同朋町 板木屋金次郎
右三人之者、此度蛇之子説有之候に付、改め不請、壱枚絵に仕立出候処、絵草紙懸り名主方より買集め、
当三月十日に三人之者を通三丁目寿能次郎と申水茶屋ぇ呼、引合人、左之通り。
尾張町二丁目 津田屋吉兵衛
南伝馬町三丁目 日野屋由三郎
通三丁目 遠州屋彦兵衛
同、二丁目 総州(ママ)屋与兵衛
青物町 万屋四郎兵衛
本石町二丁目 武蔵屋三四郎
同、三丁目 井筒屋庄吉
通油町 藤岡屋慶次郎
横山町三丁目 菊屋市兵衛
両国回向院前 伊勢屋小兵衛
本所相生町 伏見屋茂兵衛
右之者共、当三月十三日に家主同道、寿能次郎方迄罷出候事。
真事蛇によつて売れるじや、当るじやとほつく(ママ)じやさかい、板をけづるじや、誠になんじやか五
じや/\して、一向わからんじや
春雨のねむけざましのおちやの子にちよいとつまんでひどきめに逢
灰吹の中から出し蛇にあらず人の腹から出たじやとの沙汰
然ば、右板元板上げけづり、絵双紙屋の小売之者、絵を取上げ、翌三月十四日、御月番処北御番処井戸
対馬守殿ぇ願出候に、是式之事願出候とて一向に御取上ゲ無御坐候〟
〈嘉永三年二月、玉屋惣兵衛、同源次郎、板木屋金次郎の三版元が、蛇の子と称するものを一枚絵に仕立てで売り出し
たところ、評判になって大いに売れた。ところがこれは改(アラタメ)を受けない無届け出版、その上、絵双紙懸りの名主
たちは浮説の流布も心配したのだろう、早速これを問題視して取り調べを行った。その結果、名主たちは、この三版
元のほか津田屋以下の小売り業者を立ち合わせたうえで、板木と小売り絵は没収する旨、町奉行に願い出ると伝えた。
しかし案に相違というべきなのだろう、町奉行井戸対馬守の判断は「是敷之事」とあっさり却下した〉
〝三月廿一日 大蛇之子見せもの、今日初日にて、向両国の左り側、あわ雪の前角に出るなり。(中略)
斯て四月十日、右懸り合絵双紙屋共、懸り名主宅ぇ呼出し有之、以来無印之物は売捌有之間敷由申渡、
右一件落着に相成候
初めには蛇の出るやふな騒ぎにて蚊もいでざればぐうの音も出ず
右一件相済候に付、豊嶋町岡本栄次郎方にて、直政が画にて蛇の子絵出候得共、一向に売れず〟
〈前出の一枚絵「蛇の子」が今度は両国の見せ物として出る。その際、また無届け出版のものが出回ったのであろう。
絵双紙懸りの名主が小売り業者に売り捌かないよう再び命じていた。岡本栄次郎板・直政画の「蛇の子」、これは改
を受けたものであろうが、一向に売れなかった。どうやら、絵の売れ行きには、絵の善し悪しもさることながら、無
断出版か否かということも大いに関係しているのかもしれない〉