◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝八朔
八朔ににぎはふさとの女郎花にはかにさわぐ萩の上かぜ
うぐひすのねぐらの竹のはるぞとて軒はへ梅もかをる八朔
八朔の小袖の雪のあかり窓ふみよむ部屋もみゆきよし原
八朔にふりつむ雪のよし原はかねのあしだでふみわけてゆく
灯籠のつらゝしまへばそのあしたにはかに雪のみゆる八朔〟
〈吉原の八月一日、この日花魁は白無垢の小袖を着て仲の町を道中し客を迎える。「かねのあしだ」を履く花魁もいたよ
うである。鉄製の高下駄であるからかなり重たかったのではないか〉
◯『増訂武江年表』1p107(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
〝吉原の遊女八朔に白無垢を着する事、元禄中江戸町壱丁目巴屋源右衛門が抱へ高橋といへる太夫、その
頃瘧(オコリ)をわづらひ居けるが、馴染の客来りし時、臥せ居ける白むくの儘にして、揚屋入りしける容
の艶なりしより、是てを真似て八朔には一般に白むくを着る事になりし由、「花街大全」にいへり。
〈「花街大全」は未詳〉
◯『絵本風俗往来』中編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(47/133コマ)
〝八月 朔日(ついたち)
今日八朔にて田面(たのも)の祝賀あり、江戸御城中御儀式格別にして、浅草御蔵にては米穀の相場、八
朔の出来によりて極まる、雑司ヶ谷鬼子母神境内、鷺明神祭礼にて参詣多し、新よし原の遊女、今日白
小袖を着して仲の町へ出で道中す、勿論太夫に限るなり、吉原中遊女の数多き中に、此の遊君太夫と唱
ふる所の品格を備へたるもの実に別なり、百金の衣類も襴縷と同じく、金銀高価の手道具も破扇と異な
らず、さりてとて物の精粗を知らざるにあらず、白刃(はくじん)をも踏むべくして慈愛深く、万乗の君
を見ること褐夫の如くにして、神仏を恐れ金銭を卑しみて操節を高ふす等の覚悟ありて、一種異様の人
となり他に比類嘗てなし、此の遊君、今日はでを粧(よそほ)ふ、白重ね鮮潔にして愛観すべく、其の以
前黄金を抛擲して愛したるもまたむべなりといふべし〟