〈幕府の奉行所が放った隠密の報告によれば、天保の改革時における美人画・役者絵の出版禁止が以下のような「判じ物」
の発生につながったという〉
浮世絵・浮世絵師に関する風聞書
☆ 天保十四年(1843)
◯「駒くらべ盤上太平棊」一勇斎国芳画 具足屋嘉兵衛板 駒くらべ盤上太平棊
◯「墨戦之図」一勇斎国芳画 板元未詳 墨戦之図
◯「源頼光公館土蜘作妖怪図」一勇斎国芳画 伊場屋仙三郎板 源頼光公館土蜘作妖怪図
◯「四天王直宿頼光公御脳(ノウ)の図」歌川貞秀画 山本屋久太郎板 土蜘蛛 記事のみ
☆ 弘化元年(天保十五年(1844))
◯「川中島合戦」一勇斎国芳画 佐野屋喜兵衛板 川中島合戦
◯「化物忠臣蔵」一勇斎国芳戯画 上州屋金蔵板 化物忠臣蔵
◯「教訓三界図絵」歌川貞重画 上州屋金蔵板 教訓三界図絵
☆ 弘化二年(1845)
◯『浮世の有様』(著者不詳・弘化二年二月頃記)
〔『日本庶民生活史料集成』第十一巻「世相」〕p962
〝頼光土蜘蛛の画に続て、三河守知度、楠正成、真田与市、宮本無三四、力持等地獄へ至り、閻魔を始め
鬼共を征伐せる絵を画きぬ。こは楠正成は天下の人も悉尊敬せる人物にして、智仁勇備へぬる男也。三
河守は御当家に於て御由緒有所の受領也。知度は正直にして法度を守り、政道の邪ならぬと云へる事な
るべし。又宮は神の鎮座仕給へる所也。仏法は神道にて忌嫌ふ事なれば、むさしきたなしと云意を籠め
しなるべし。又真田与市を画きぬるは、此沙汰盛に繁茂せし寺地の為に、仰山なる天下の真田を費して
不毛の地となし、末代に至る迄無用の事広大成る天下の国益を失ひぬる事をしらしむるなるべし。又閻
魔の切られぬる有様を画しは、これを水野越前にたとへ、一天下の諸人かれを悪みその姦悪をにくみぬ
ると、水戸侯の寺地を破却して坊主らを還俗なさしめて、寺地を田畑になし給へる事を画きむるものな
るべし。なを此外にも趣意ありぬべき事に覚ゆ〟
〝紫野一休が奴僕説法をなして、借金乞をあざむき諸人の財を奪取せし故事あるを画きて板行とす。この
絵昔よりして云ひ伝へ書顕して諸人よく知る所なれども、今また新にこれを出せるは、悟りを主にして
常に地ごく極楽の噂することなき所の宗門なれども、偶虚言を以て人をあざむくときは、かくの如し。
門徒徳華其外の頻に人をあさき(一字虫食い)、財宝を奪取んと(一字虫喰い)芝居役者の身振声色等
をなして、愚人の魂を蕩かし、頻に金銭を奪へる事、其害甚しく憎むべきことなれば、水戸侯のこれを
廃せんとせられしことは尤の事也。ゆへに人々よく其心得有て、仏に淫し稼業を廃し、産を破らざるや
うにせよとこ戒なるべし〟
「偽一休和尚説法之図」一勇斎国芳戯画
(ウィーン大学東アジア研究所FWFプロジェクト「錦絵の諷刺画1842-1905」データーベース)
〝海底に平家の一門安徳帝を守護せる所へ蜑両人手をつかへて、何か噺ありてこれに答をなせるにやあら
んと思へる様の画を出せり。こは定めて水野越前が為に御政道乱れぬる故、平家の一類其虚に乗じて事
を計らんとする趣を画きしものなるべし。うか/\せば大乱を引出せる事あるべければ、早く彼の天下
の人望に背き、御政事を乱れる越前をして罪せられん事を祈り思へる有様を、目立ざるやうに書記るせ
しものなるべし〟
〝頼光、綱、公時、季武、貞光、義盛、武秀、為朝、行氏、重忠、助成、時宗、巴其外勇夫勇女遊女の類、
地ごくに至り、閻魔十王悪鬼等舌をぬき〆殺し挫殺しなどせる有様を六枚の紙に画けるあれは衆心の憎
み思るもの異形のものに画きなして、存分に其思ひを晴せるなるべしと思はれぬ。おかしき業と云べし〟
〈以上四項、すべて国芳画について判じたものかどうか判然としないが、とりあえず取り上げた。2009/11/20記。
記事は弘化二年のものだが、これらの判じ物の出版は弘化元年(天保十五年)のものか・2011/04/25追記〉
☆ 嘉永二年(1849)
◯「【道外武者】御代の若餅」一猛斎芳虎画 沢屋幸吉板 御代の若餅
◯「宇治川合戦」一勇斎国芳画 遠州屋彦兵衛板 宇治川合戦
☆ 嘉永三年(1850)
◯「【きたいなめい医】難病療治」一勇斎国芳戯画 遠州屋彦兵衛板 「【きたいなめい医】難病療治」
◯「浮世又平名画奇特」一勇斎国芳画 越村屋平助板 浮世又平名画奇特
☆ 文久三年(1863)
◯「青物魚軍勢大合戦」歌川広景画 辻岡屋文助 青物魚軍勢大合戦