Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ はなみ 花見浮世絵事典
   ◯『寝惚先生文集』〔南畝〕①352(陳奮翰子角(大田南畝)著 明和四年(1767)九月刊)   〝江戸四季の遊び 四首 春    上野飛鳥と 花は開く日暮(ヒグラシ)の里 三絃(サミセン)茶弁当 多くは幕の裏(ウチ)に有り〟  ◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)   (ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉   〝花    けふ来ずばあすかの花もかはらけのなげやりとまでいはん友達(画賛)    家根舟のすだれの霞渕ちかくたゝみてしるき隅田の桜見    かねにちるさくらうつして花にまた金をちらせし吉原の廓    貴妃が紅さしし牡丹に蝶も羽のおしろいをとく花の朝つゆ    名にたかき雪とこそみれ不二に似し雲の上野の花の盛は    飛鳥山木の下蔭の目かくしは花に慾なき人にこそあれ    扇やの酒ものむまじ飛鳥山けふは花見るかなめなりとて    けふは隅田あすは飛鳥の花見時霞の衣たゝむ日ぞなき    隅田つゝみめをすり出すわか草もちりし桜の雪の下もえ    ものいはぬ花をほむれば女同士物いふはなもおもはゆげなり    浅草の石のまくらは名のみにて下臥やせん姥さくらはな    春雨のはれてしけふは哥人の筆も笠ぬぐはなの木のもと    はる雨にぬれし袂は侭にして花には幕をしほる諸人    さき揃ふさくらの花の中の町切手ほしがる女中見ぶつ    ほりものゝ龍やうかれてのりつらん上野の山の花のしら雲    ふく風を頭痛にやみし庭守がひたひをたゝく花のたれ枝    入相のひゞきもこゝにかねが渕しづめて見たき花さかりかな    盃にうつれるかげはうるし画のおもかげ見する月の夜さくら    卯の花の月を都といふならば春のさくらは花の大江戸    水上にかねをしづめて此方は花にのどけき隅田の夕くれ    ゑひしれし気違水に忘れてやわりごをさがすすだの桜見    つく事を花にいとひてかねが渕そのかみよりやしづめ置?けん    上野山さかりは雪とすみなれや黒門まへにはなの白妙    舟つなぎ松のあたりに見わたせば飛鳥は花の浪たくみゆ    飛鳥山風に動かぬはなの雲は石碑を根となして咲らん      さく花に風をいとひて上野山坂に屏風の名やおはせけん    美しき小町さくらのさくために春雨を乞ふ花守もあり    いせさくらまねくによりて諸人も花のおかげで参る春の日    さく花の雪のおもりし片のりに家根もかたぶく隅田の川舟    糸竹に四方のさくらを引よせて吉野に似たる花のよし原    ちる花をあひし東の比えおろし雲の下谷も雪と気遣ふ    弁当をひらく花見の飛鳥山めにつくものはさくら煮のたこ    大門のうちは月夜の仲の町桃灯さくらさき揃ふみゆ    角田川花にくもりてさだめなき空生酔もうかれ出けん    御殿山模様の花と見るまでにうつれる袖の浦もうつくし    いく代々もたえせぬ家の名とり草紅さす花やくまどりの色    上野山姥?をば留守に捨置て信濃阪をもこゆるさくら見(拾遺)    〈隅田川(堤) 吉原(仲の町) 上野山 下谷 飛鳥山(扇屋・石碑) 鐘が淵〉  ◯『絵本風俗往来』上編(菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝上野東叡山の花見(27/98コマ)    上野東臺山の花は三月節句前後咲き出だす、桜狩りする人多し、花見振袖をつらねて幕に代へしは、昔    に聞くのみ、今は絶へてなし、森々と生繁れる深林中の花とて、雲透きに見る花とは異なり、その興味    いと深し当山は禁酒の地にして、花の中、彼の酔客の婦女に戯れるの恐れなきまゝ、当山の花見るもの    老人女子多し、此の頃お揃ひと称して花見に揃ひて出立つ、手跡の踊歌・浄瑠璃の師匠達、弟子をつれ、    揃ひの日傘・手拭にて、八九十人より百人以上づゝ、袖をつらねて花下に遊ばしむるもの、花中絶へず、    常より山中世の塵を絶し、清浄なる地中、中堂二ッ堂を始め、金碧たる荘厳の間に、桜花咲き満ちたる    風景は極楽世界もかくやあらんと思ふ計(ばかり)の御山にぞありし〟      〝飛鳥山の花見(28/98コマ)    王子飛鳥山の花は、上野の桜散りてより開く、品川御殿山、掘り崩して桜の名所を欠くといへども、飛    鳥山は依然として古色を存す、唯道程遠きため人出多からざれども、相応なる賑はひにて却つてよく、    猶更(なほさら)閑静なる土地にして、物売る商人等も質朴にして自然の興多く、野道つたひの春の歩み、    其の土地其の土地に異なる趣きあり、帰途夜に入るの気遣ひを恐るゝのみ、飛鳥山上より小土器(かわ    らけ)を投じて、遠く飛び行き落るを興とする遊びは、当所の名物なりし〟   〝道灌山の花見(28/98コマ)    日暮里道灌山は桜花至つて少なし、山下の寺院庭園に少しあるまでなれども、飛鳥山の遠きを厭ふ者、    茲(ここ)に遊ぶ、当所も小土器を投げて遊ぶは飛鳥山と同じ〟   〝隅田堤の花見(31/98コマ)    花見の場所数ある中に、墨堤の花見に上こす賑はひなし、飛鳥山の如きは遊ぶに宜しき所なりしも、帰    途日暮るるや、婦女子の懼るゝ野道、又屋敷町、院地あり、道灌山は程近きも少なき花の遺憾あり、上    野は霊地清浄にして、御山内の掟あるより(ママ)、恣(ほしひ)まゝに鳴物鳴らし陽気を発する恐れあり、    向島に至りては、隅田川の清流船の便りよく、堤上堤下掛(かけ)茶店多くあり、渡し舟に一棹さして、    金竜山の寺内の賑はひ、少し進めば吉原の遊里より三谷の粋地、堤上は左右より桜花空をかくし、東面    の田甫、西面の繁花、川に浮ぶ都鳥はいざ言(こと)問はん在五中将の昔をしのばれ、梅若の由来より源    頼朝朝臣の故事に渉り、近くは文士墨客が風流を止(とど)めし所にして、 雅俗を兼ねたる名勝なるまゝ、    花に戯(たわむ)るゝ諸(もろ)人、肩に瓢箪、腰に矢立て、筆取り出だす隅田川、此方(こなた)は芝居茶    番の思考(ママ)、目のよる所へ玉揃ひ、百眼(まなこ)の思ひ/\、花より団子の子供衆も、田を三めぐり    の鬼ごつこ、角に縁ある牛の御前、社内に始まる隠れん坊、目につく姿を三筋の糸、調子の高き島田髷、    花に舞ひける喋々髷、お煙草盆の茶店の辺、桜色さす顔ばせは、そも美くしき不二額(ふじびたい)、思    ひ筑波の雪の肌、面白酒の荷ないうりする女(め)に色よき染(そめ)慈姑(くはゐ)、此方を早くむき玉子、    何れもはなの下の売物、店をば八重に開ける桜、見頃は弥生の中空(なかぞら)なりける〟  ◯『絵本風俗往来』中編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(25/133コマ)   〝(三月)下邸(しもやしき)の桜狩    弥生の頃は空晴れたる日は、取わき誰彼の別なく気の浮き立つて、野辺の遊びを慕はざるものなし、是    に至りては軽き下輩程、こゝろのまゝに今日は隅田川、明日は飛鳥山・御殿山と、気随なるこそ幸いな    り、然るに王公貴人方は御身柄の正しきより心のまゝには叶ふまじ、まして北の御方や姫君様は猶更に    務め正しき女中方、御墓参の外は御出門自由ならぬも、春風の誘ふ花の盛りの頃、御上の御胸中を察し    参らず、老女・局(つぼね)此方(こなた)彼方(かなた)を取りなして、御下屋敷の御花見を御催促申上け    るより、御意も上なき御よろこび、御供の女中も日を待ち兼ね、御下屋敷へ成らせ玉へば、今を盛りの    桜花、兼ねて思考(ママ趣向)の御慰み、手馴れぬ女中の御調理、出来そこねしが却つて御意を得、一日百    年に当れる御興、又御帰途は町方を他処(よそ)ながらの御見物、御役大名を除ける外は、春には度々あ    りしことなり〟  ◯「古翁雑話」中村一之(かづゆき) 安政四年記(『江戸文化』第四巻三号 昭和五年(1930)三月刊)   ◇「浅草観音境内 桜の植樹」(21/34コマ)   〝安政四年の春 廓中の遊女浅草観音の境内に千もとの桜樹を植たり 人々めづらしみて花林に群集しけ    る(中略)    天明八年の春、同所(浅草観音の境内)にさくら数多植たる事あり 其をりは堂の左右土弓茶店の前一側    に植並て 余りたるは人丸の祠の辺までに及べり 一過普く見物し参詣多かりしか 素彼地は砂利場に    て地味至てあしく 纔一二年すぐるうちにおほく枯木と成ぬ〟