☆ 安永三年(1774)
◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永三年(1774)日記)
7月14日 米社、英流画本をかり直に礫川へかへる
10月11日 米社、英流画二枚出来持参
〈米社は柳沢信鴻の四男・六角広籌の俳号。英流画本の具体名は分からないが、俳諧仲間内で一蝶をはじめとする英
流がもてはやされた様子がうかがえる〉
△『増訂浮世絵』p80(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝諸書多く一蝶を浮世絵師の内に入れて居る。一蝶は岩佐菱川の上に立たんとして努力したと、告白して
いる位で、盛んに時様の風俗画を画いたが、菱川流や宮川流や鳥居流などの純浮世絵師の人々と比する
と、その間に自ら異る所がある。画風の上からいうと、狩野安信門下であるだけに、狩野の法を基礎と
して、風俗画を画くのである。(中略)然し、一蝶は自己独特の画風を画いて居るので、他の浮世絵師
とは、全然その洋式を別にして居る。(中略)その門葉益々栄えて、江戸の風俗画界に一勢力をなして
居る。故にこれは英流と称して、浮世絵師以外の風俗画家として取扱ふべきものである〟