☆ 慶応二年(1866)
◯『増訂武江年表』2p203(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(「慶応二年」記事)
〝今年、独楽廻し軽趫(カルワザ)技幻(テズマ)等の芸術をもて亜墨利加人に傭はれ、彼の国へ赴きしもの姓名左
の如し。是れは当春横浜に於いて銘々其の技芸を施しけるが、亜米利加のベンクツといふ者の懇望により、
当九月より来辰年十月迄二年の間を約し傭はれけるよし也。
独楽廻し 浅草田原町三丁目 松井源水、妻はな、娘みつ、同さき、忰国太郎七歳
幻戯 北本所荒井町 柳川蝶十郎、神田相生町 隅田川浪五郎、妻小まん
軽趫(カルワザ)縄亘(ツナワタリ) 右浪五郎忰登和吉、三味線右浪五郎妹とら
手妻 同居浪七
こま廻し 浅草龍宝寺前 松井菊二郎娘つね八歳(世に云ふ角兵衛獅子の曲なり)
同居人梅吉、同松十、
曲持足芸 吉原京町二丁目 浜碇事定吉、右上乗 養子長吉、同居梅吉、後見 小石川白壁町市太郎、
上乗 龍之助、南伝馬町一丁目 吉兵衛忰兼吉、笛吹 小石川上富坂町 林蔵、
太鼓打 妻恋町 繁松等なり。
足芸曲持の分 △三挺梯子曲乗の芸 △大幟曲持上乗の芸 △崩れ階子上乗芸 △一本竹上乗芸 △大
半切桶曲持 △石台曲乗芸 △大水瓶曲持芸 △大階子同 △崩れ居風呂桶同 △柳樽同(右何れも上
に小児を乗する) △数の小桶乗芸〟
◯『藤岡屋日記 第十四巻』p208(藤岡屋由蔵・慶応二年記)
〝慶応二丙寅年九月
亜墨利加国持渡之道具芸名
足芸曲持、浜碇定吉番組荒益之分
同 三挺階子曲乗芸
同 大幟曲持上乗之芸
同 崩階子上乗之芸
同 壱本竹上乗之芸
同 大半切桶曲持之芸
同 石台曲持、水風呂桶曲持
同 家内喜樽曲持、大障子曲持
同 数小桶上乗之芸、但是をはねむしと云
〆拾壱番
〈次項に二年契約の浜碇の給金が出ている〉
足芸曲持、新吉原京町二丁目 吉兵衛店 浜碇定吉 三十五才 三千五百両(二年)〟