Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ はっけい 八景浮世絵事典
 ◯「瀟湘八景」(中国)     瀟湘夜雨  瀟湘の上にもの寂しく降る夜の雨の風景。    平沙落雁  秋の雁が鍵になって干潟に舞い降りてくる風景。    煙寺晩鐘  夕霧に煙る遠くの寺より届く鐘の音を聞きながら迎える夜。    山市晴嵐  山里が山霞に煙って見える風景。    江天暮雪  日暮れの河の上に舞い降る雪の風景。    漁村夕照  夕焼けに染まるうら寂しい漁村の風景。    洞庭秋月  洞庭湖の上にさえ渡る秋の月。    遠浦帰帆  帆かけ舟が夕暮れどきに遠方より戻ってくる風景    ◯「近江八景」    石山秋月 石山寺    瀬田夕照 瀬田の唐橋    粟津晴嵐 粟津原    矢橋帰帆 矢橋    三井晩鐘 三井寺    唐崎夜雨 唐崎神社    堅田落雁 浮御堂    比良暮雪 比良山系  ◯〔源氏物語八景〕    (『八千代百人一首』安野友林著 西川豊信画 八文字屋八左衛門 享保十六年(1731)刊 宝暦六年(1756)再版)    (跡見女子大・百人一首コレクション 1955/2591)    箒木夜雨(はゝきゞのよるのあめ)     数ならぬふせやにおふるなのうさにあるにもあらで(ママ)きゆるはゝきゞ    須磨秋月(すまのあきのつき)     みるほどぞしばしなぐさむめぐりあはん月のみやこははるかなれども    乙女初雁(おとめのはつかり)     小夜中に友よびわたるかりがねにうたてふきそふ萩(ママ)のうはかぜ    夕霧夕照(ゆふきりのせきせう)     山里のあはれをそふるゆふぎりに立出んかた(ママ)もなき心地して    明石晩鐘(あかしのばんしやう)     秋の夜は月げのこまよ我こふる雲井をかけれ時のまもみむ    松風帰帆(まつかぜのきはん)     かのきしに心よりにしあまぶねのそむきしかたにこぎかへるかな    朝㒵暮雪(あさかほのぼせつ)     見しお(ママ)りの露(ママ)わすられぬ朝がほの花のさかりはすぎやしぬらん    玉葛晴嵐(たまかづらのせいらん)     恋わたる身はそれなれど玉かづらいかなるすじをたづねきぬらむ  ◯「閨中道具八景」 ※(かな)は原文のルビ    (『女教小倉色紙』中村三近子・藤皷溪作 西川祐信画 銭屋庄兵衛版 寛保三年(1743)刊)    臺子夜雨 (たいすのよるのあめ)     たぎり湯の音はしきりにさよ更(ふけ)てふるとぞ雨の板間にやもる    時計晩鐘 (とけいのばんしやう)     隙(ひま)もなく時をはかりのかねの声聞(きく)にさびしき夕間ぐれかな    鏡台秋月 (きやうだいのあきのつき)     秋のよの雲間の月と見るまでにうてなにのぼる秋のよの月    扇子晴嵐 (あふきのせいらん)     吹からに絵かける雲も消(きへ)ぬべしあふぎにたゝむ山の春かぜ    塗桶暮雪 (ぬりおけのぼせつ)     富士の山ふもとはくらきゆふくれの空さりげなき雪をみるかな    琴柱落雁 (ことぢのらくがん)     琴の音(ね)に引とゞめけん初雁の天津空よりつれて落(をち)くる    行燈夕照 (あんとうのせきせう)     山のはに入日の影はほのぐらく光をゆづる宿のともしび    手拭掛帰帆 (てぬぐひかけのきはん)     真帆かけて浦によりくる舟なれや入(いる)とは見えて出(いつ)るとはなし    閨中道具八景 西川祐信画(跡見女子大・百人一首コレクション 1823/2591)    〈巨川が「坐鋪八景」(明和三年頃)を制作するに当たって、画稿の拠り所したのがこの西川祐信の「閨中道具八景」。お     そらくこれを画工春信に示して作画を依頼したものと思われる。春信における祐信図様の借用はこれまでさまざま指摘     されてきたが、この「坐鋪八景」(それの春信署名版「座敷八景」)においてもやはり典拠があったということになる。     この「閨中道具八景」の場合は、図様にとどまらず八組の歌をも、春信は使用している。「風流座敷八景」がそれで、     ここではパロディーにするでもなくそっくりそのまま使っている。しかもこれは春画なのである。下掲参照〉      「風流座敷八景」鈴木春信画    臺子夜雨  たきる湯の音はしきりにさよふけてふるとそあめの板間にやもる    時計晩鐘  ひまもなく時をはかりのかねのこへきくにさひしき夕まくれかな    鏡台秋月  秋の夜の雲間の月と見るまてにうてなにのほる秋のよの月    扇子晴嵐  吹からにゑがける雲もきへぬべし扇にたゝむやまのはの風    塗桶暮雪  ふしの山ふもとはくらき夕暮の空さりげなき雪を見るかな    琴柱落雁  琴の音にひきとゝめけん初かりのあまつそらよりつれておちくる    行燈夕照  山の端に入るひのかけはほのくらくひかりをゆつる宿のともし火    手拭掛帰帆 真帆かけてうらにより来る舟なれや入とは見へていつるとはなし    (以上「国際日本文化研究センター 艶本データベース画像」および石上阿希著「鈴木春信画『風流座敷八景』考」国際     浮世絵学会『浮世絵芸術』所収より)    〈「閨中道具八景」の歌を「坐鋪八景」の画中に入れなかったのは、おそらく巨川の指示だったと考えられるが、春画の     『風流座敷八景』の場合は、春信あるいはこの制作者にどのような意図があったのか、よく分からない〉  ◯「隅田河八景」(『江戸往来』往来物 蔦屋重三郎・鶴屋喜右衛門板 天明五年(1785)刊)    (新日本古典籍データベース))    冨士暮雪(ふじのぼせつ)      目に遠き雪をもこゝにすみだ川入日のあとのふじのおもかげ    駒形帰帆(こまかたのきはん)     一かたはゆきゝもしけきこまかたの川波遠くかへるつりふね    橋場夜雨(はしばのよるのあめ)     しづかなる夜半のはしばのわたし守蓑の雫に雨をしるなり    洲先(ママ)晩鐘(すさきのばんしやう)     たちこゆる霧もこふかき唐﨑のはやしをもれてひゞくいりあゐ    隅田川秋月(すみだかはのあきのつき)     くまもなき月さへ影をすみだかは名にしを(ママ)ふたる水のしらなみ    関屋落雁(せきやのらくかん)     かえり行旅をせき屋のあと野べにおりゐてあざる蓬生の雁    待乳山晴嵐(まつちのせいらん)     まつち山松のあらしに夕こへてすみた河原に霞はれゆく    潮入夕照(しほいりのせきしやう)     河浪を汀にあますしほいりやはつ◯はつかに夕日さす宿  ◯「職人八景」(『道外(戯)百人一首』山東京伝作・画? 鶴屋喜右衛門 文化元年(1804)刊)    (国文研・国書データベース))    傘張夜雨(かさはりのよるのあめ)     長き日の夜なべをかけてはるさめはしがからかさの急き仕事歟    紅剥夕照(べにはきのせきせう)     山のはに一刷毛ひけるゆふ霞日も紅猪口(べにぢよく)のいるかとぞ見る    団扇師晴嵐(うちはしのせいらん)     買ぬ人もあらしの庭の木の葉(ば)ほどとりちらしつゝはれる団扇師    時計師晩鐘(とけいしのばんしよう)     時計師の腹のしかけもくるふころ口に土用のいりあひの鐘    扇折帰帆(あふぎをりのきはん)     かけならぶ扇のかぜに戦(そよ)ぎてはかすみてかへる白帆とも見し    鏡磨秋月(かゞみとぎのあきのつき)     磨(とぐ)月の鏡のひかりさすものは柴のとのこに池の水うね    機織落雁(はたをりらくかん)     織姫の五百機(いをはた)ひける雲間より◎(き)をなくるかと見ゆる雁金    綿打暮雪(わたうちのぼせつ)     何斤とつもりて渡す綿うちの袖うちはらふ雪のゆふくれ〟  ◯「狂言八景」(『役者百人一衆化粧鏡』流光斎如圭画 八文舎自笑作 文化元年(1804)刊)    (国文研・国書データベース))    山崎夜雨(やまざきのよるのあめ)〈『仮名手本忠臣蔵』五段目 山崎街道 斧定九郎〉     連れにならふとむかふへまわりきよろつく目だまひかりぬるかな    八幡秋月(やわた(の)あきのつき)〈『双蝶々曲輪日記』八段目「引窓」南方十次兵衛〉     河内へ越えるぬけ道は狐川を左へとりよもやそれへはおちざらめやわ    神崎晩鐘(かんざきのばんしやう)〈『ひらかな盛衰記』傾城無間の鐘 梅が枝」〉     かねならたつた三百両かねがほしいなあと終にむけんのかねつきけらし    新町夕照(しんまちのせきしやう)     若いのちよと下にしたに居たが何んでありやけんくわになつてつかみ合けり    我家帰帆(わかやのきはん)     老人を乗せて我家へせとり舟ろをおし切て陸へあがりぬ    赤穂晴嵐(あこのせいらん)〈『仮名手本忠臣蔵』大星由良助〉     大星がちうしんぎしんに名をのこす根ざしはかくとしられける哉    佐野暮雪(さのゝぼせつ)     ◎しり込天下をさばく御身にも此返答に◎くれてけり    流人落雁(るにんのらくがん)〈『平家女護島』俊寬〉      そらごとに鬼界がしまに鬼はなくおには都に有けるとなん  ◯「江戸八景」(『江戸八景』袋表題「北斎先生図 阿蘭陀画鏡」文化初期刊)〈典拠失念〉    日本橋(富士・三日月・一石橋) 両国(西広小路・小屋興行)    駿河町(富士・三井駿河屋)   吉原(日本堤・富士)    堺町 (市村・中村両座)    不忍(池・弁天堂)    高輪 (富士・大木戸・東海道) 観音(浅草寺境内・本堂)  ◯「商家繁栄八景」(『江戸往来』画工未詳 出雲寺万次郎・岩戸屋喜三郞板 文化十年(1813)刊)    (新日本古典籍データベース)    読書秋月(よみかきのあきのつき)     活業(なりはひ)のいづれの人もよみかきにはれるこゝろは秋の夜の月    十露盤夜雨(そろばんのよるのあめ)     昼のこと夜ことにはぢくそろ盤に雨とうるほふ玉のおとかな    金箱夕照(かねばこのせきしやう)     挊(かせげ)たゞ人のゆふべの身のうへも溜ればてらす金のひかりに    暖簾帰帆(のうれんのきはん)     買ふものゝおほきは安きのうれんを帆と◎おもひそ人のいり舟    勘定晴嵐(かんでうのせいらん)     塵ほこりまで払ふたる算用にこゝろすゞしくはれる嵐よ    売銭落雁(うりぜにのらくがん)     かりがねのいやうり金のうは羽(は)とて音いさましくおつる銭ばこ    銀子暮雪(きんすのぼせつ)     精出せば年のくれこそおもしろや雪の山ほとつもるしろかね    天秤晩鐘(てんびんのばんしやう)     掛わくる金たくさんに日くれまでめでたくひびく針口のをと  ◯「江戸八景」(『江戸八景』渓斎英泉画 天保十四年~弘化四年刊 改印「渡」)    〈名主一印時代は天保14年~弘化4年の間〉    愛宕山の秋の月(愛宕社・月)    芝浦の帰帆 (富士)    日本橋の晴嵐 (富士・一石橋)   忍岡の暮雪 (不忍池・弁天堂・雪)    上野の晩鐘  (吉祥閣・桜)    隅田川の落雁(三囲鳥居・筑波山)    両国橋の夕照 (柳橋・広小路・月) 吉原の夜雨 (日本堤・吉原田圃)  ◯「根岸八景」野見濱雄(『江戸時代文化』第一巻第六号 昭和二年七月刊)   〝酒井抱一の弟子喜一の画いた根岸八景    天台暮雪  坂本から上野の山を望んだ雪景色    尾久帰帆  荒川の景色 飛鳥山下 音無川の向こう一面の田圃 笹の雪    芋坂晴嵐  団子屋 天王寺の裏門    大沼群禽  日暮里から三河島方面 カンカン森 猿田彦の碑 大沼    御行松時雨 石橋 御嶽山 石稲荷    元三島秋月 鎮守の森 かん竹の藪    護国院晩鐘 東叡山の護国院 大黒様    感応寺桜花 天保年間、感応寺取りつぶし天王寺と改称〟   ◯「上野八景」山下重民記(『江戸文化』第四巻十一号 昭和五年十一月)   〝月の松  黒門を入りて百歩程左の崖にあり、其の幹枝屈曲し居り、不忍の池を其の枝間に望めば、其         の形恰も円月の如し、雪門の俳句に「鳥の浮く水は宮なり月の松」とあるは是なり    夫婦杉  御本坊の西の方にある二本杉なり、男女共に夫婦の縁を結ぶを祈る、二株双立し居るより          何人か かゝる事を始めたるならむ、天保年間の狂句に「上野で結び板橋へ来てほどき」と         あるは、板橋には例の縁切榎のあるに因れり    錦小路  谷中門に通ずる道路の左右に寺院あり、種々の花木を植て常に其の景色を添へたるが、殊に         海石榴(つばき)多くして、其の花の乱れ咲たる時は、燦爛として恰も錦繍の帳帷を張りたる         が如し、因て当時の人此辺を錦小路と呼べり    護国院の半鐘 三十六坊中護国院の半鐘は、源頼朝の陣鐘なりといひ伝へ 朝暮打鳴らす其の妙音は、           鏗爾として耳に徹し、実に尋常ならざりしといふ    秋色桜  桜ヶ岡清水堂の傍に在り、一に大般若桜と称す、其の位置に就て諸説あれども略す、江戸小         網町菓子屋の女秋色女の俳句に因りて名づけたるは、世人の皆知る所なり    奥山の蔦紅葉 慈眼堂のほとりより、徳川家霊廟の辺には、松杉の喬樹森立してあり、其の梢に纏ひし           蔦蔓、暮秋より初冬に渉り霜露に逢ふて紅色を呈し、頗る奇観なれば杖を停めて坐(そ           ゞ)ろに愛するもの少からざりし    四軒寺の垂枝桜 両大師の南方四軒寺と通称せし支院のさくらは、垂枝の単弁にて、殊に美観の評あり    黒門の烏凧  黒門前の広場に、晴天なれば露店を出し 飴菓子の傍に黒色の烏(からす)或は彩色した           る鳥の小凧を売る者ありしが、之をスガ糸に付けて空中高く飛揚したるさま、一しほの           風情ありしかば、図画にも入りたり、文政年間の俳句に「長閑(のどかさ)や花の上野の           烏凧」とあるは是なり〟