Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ えぞうし 絵草紙(草双紙参照)浮世絵事典
 ◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)   1 絵双紙を売声聞え泣く女 「高天鴬」元禄9【雑】注「心中題の絵入本」     〈この絵双紙は黄表紙のような草双紙ではなく心中ものの読売。売り声を聞いただけで切なくなるのであろう。      本HP浮世絵事典の「絵草紙売り」参照〉   2 絵草紙の見台にする釜の肩「たみの笠」元禄13【雑】注「下女の読物」     〈釜の肩を見台がわりにして読む下女〉   3 何ぞかぞ・きくがさいごの絵ざうしやい「軽口頓作」宝永9【雑】     〈句意不明〉   4 いかに春だつてとせつく草紙売「傍1-6」安永9刊【川柳】注「気長にうる」   5 絵草紙を見い/\嫁は餅を焼き「筥1-9」天明3【川柳】注「後禁ぜらる」     〈行儀が悪いと〉   6 絵草紙であふぐ側から取ってくひ 「玉28」天明7【川柳】     〈4と同様、煽いでは食い/\、夢中なのである〉   7 絵草紙を娵と娘がまたせとく「柳多留27-15」寛政10【川柳】注「絵草紙屋。せり売りか」     〈娵と娘の好みが合わず決断が遅れて行商をつい待たせるのであろう〉   8 絵草紙へ引札を書く仙女香 「柳多留134-14」天保5 【川柳】注「広告」     〈南伝馬町三丁目、坂本氏の美顔化粧品。合巻に付き物の広告。本HP「浮世絵用語」の「仙女香」      (せんじょこう)参照〉   9 絵草紙のやうに仕たいと下女ぬかし「新編柳樽6」天保12【雑】注「枕草紙」  ☆ 明和四年(1767)     ◯『寝惚先生文集』〔南畝〕①353(陳奮翰(大田南畝)著・明和四年(1767)刊)   〝絵草紙を読む 二首    悪人太印(フトジルシ)太之根(フトイノネ)      石漆(セシメウルシ)は毎(イツ)も跡式論と為る    是れ鑼焼(ドラヤキ)甘蕷(サツマイモ)の事にあらず 山吹色で中元を誑(ダマ)すべし    見初(ミソメ)の若殿姫の家に忍び 礫打(ツブテウチ)の忠臣命の涯(カギリ)働く    鯛の味噌津で四方の酒(アカラ)  一杯呑み掛け山の寒鴉(カンガラス)〟    〈この絵草紙は黄表紙以前の黒本・青本を云う〉    ☆ 安永五年(1776)    ◯『半日閑話』巻十三〔南畝〕⑪396(大田南畝著・安永五年正月記)   〝すべて絵草紙、いにしへは唐紙表紙の金平本、又は土佐上るり本なりしが、享保の頃より鱗形屋にて萌    黄色の表紙にて、今の鳥居流の絵をかへて、一種の風を変ず。是を青本と云。予が家に三冊蔵め置けり。    そのうち萌黄変じて黄色の表紙となる。今黄色本をなお青本と呼は是よりのゆへ也。その年の新板を黄    色の表紙にして、その年過れば黒き表紙をつけて是をわかつ。是を黒本といふ〟  ☆ 享和三年(1803)    ◯『細推物理』〔南畝〕⑧340(大田南畝・享和三年正月三日記)   〝池のはた町伏見屋がもとにて、今年新にゑれる絵草子数種を求帰れり〟〈黄表紙を言う〉     ☆ 文化六年(1809)     ◯『金曽木』〔南畝〕⑩290(大田南畝著・文化六~七年記)   〝むかしは絵草子を青本【黄色表紙なり。享保の頃の表紙、萌黄色なりし故に此名ある歟】、黒本【こと    しの新板を来年黒表紙にして出せり】、赤本【丹表紙にて多くは一冊もの也】といひて、青本の価六文    黒本赤本は五文也、【宝暦の比、予が稚かりし時也】近比青本の価八文になり、十文になりしが、つゐ    に十二文になりて、昔の価に倍せり。近比までの青本の事を本屋仲間にて青(アオ)々とよびしが、此比    前編後編の作出来てより、合巻物とよぶ。価も次第に高くなりて、小児のみるべきものにはあらず〟  ☆ 文化八年(1811)  ◯『腹之内戯作種本』合巻(式亭三馬作・小川美丸画・文化八年刊)   〝(発端)つら/\鑑みるに 近頃流行の絵草紙なり なんのいけ造作もないものとおぼしめすも 御も    つともなれど 作者・画工・板元・学者・板木師・すり仕立の人びと あまたの手に渡りて よほど骨    の折れたものなり まづ来春正月の新板物は ことしの正月或ひは去年の暮あたりより こしらへかゝ    りて 一年中あせりもがく そのいそがしさ 欲につかはるゝとは云ひながら なまやさしき事にはあ    らず その地がねをあらはし其の楽屋をおめにかくるに たとへばあやつり芝居のごとく 作者は大夫    にて絵師は三味線ひきなり それゆゑ合(あひ)三味せんとあはぬ三味せんあり 又ひきころばさるゝ大    夫もあり 又かたりいかして三味せんをひきたつる大夫あり その中にも大夫がふしづけをするは 作    者が下絵を付るにひとしく 三味せんひきがふしづけをするは絵師が下絵から画くにおなじ これきは    めて大切なることにて 大夫・三味せん 作者・画工の心があはねば やんやとお声もかゝらず ゑら    いとも うまいとも 三糸すりますともいはれず 両方のそんもうとなるなり そこで板元の座元どの    が おの/\大当たりをせんとて骨を折ることなり されば作者・画工の大夫・三味せん しっくりと    心があへばおのづから語りよく ひき心もよいゆゑ いつか一度は大当たりをとる さて又そのほかの    面々は おの/\手すりへまはる人々にて たとへば人形つかひの人形をつかふがごとく なかまの人    々をつかふやら 下細工をつかふでつちをつかふ さいそくの人をつかふ せつないときには留守をつ    かふ 板元・作者・絵師・筆工 おたがひにつかはれたりつかつたり 一年中立まはりて そのいそが    しさ図のごとく こればかりは御しろうとさまがたの さつぱり御存(じ)なきことなれば あけすけに    おめにかけます〟    〈黄表紙や合巻のような草双紙は、作者・画工・板元・学者・板木師(彫師)・摺師の協業によって製作される。なかで     も作者と画工との関係は緊密で、三馬はこれを浄瑠璃における大夫と三味線弾きの間柄になぞらえている。芝居の出     来が大夫と三味線弾きの呼吸に左右されるのと同様、作品の出来栄えも作者と画工との相性にかかっている。したが     って、この両者の関係がしっくりいくよう調整・差配するのが、座元ならぬ板元の勤めである。またその他の面々、     つまり彫師や摺師も同様で、こちらは手摺のある舞台上の人形遣いと同じよう役割を担っているとする。つまり、大     夫と三味線弾きによって音曲化された床本の世界を、視覚的に表現するのが人形遣いであるとするならば、作者の趣     向を盛り込んだ文や画工の板下絵によって示された世界を、彫刻・印刷して具体的に表現するのが彫師や摺師の役割     だというのです〉  ☆ 文化十四年(1817)  ◯『金曽木』〔南畝〕⑩290(大田南畝著・文化六~七年記)   〝【欄外。文化十四年丁丑の暮より、合巻物外題の色ずりよろしきを禁ぜられて、合巻物やむ。もとの草    双紙の如くなれども、半紙ずりにて、一冊十六文づつにうりて、絵もやはり合巻のとごし】〟