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☆ えすごろく 絵双六浮世絵事典
   ◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊   ◇「絵双六の話 双六の起り」p152   〝絵双六の古いものは、シナのある種の絵画に粉本があって、「選仏図」から浄土双六、「陞官図」から    官位双六が出来たものと想像されている。    浄土双六というのは、南閻浮洲(ナンエンブシュウ)が振出しで、悪い日が出ると地獄へ堕ち、良い目が出ると    仏に上るという仕組で、一説には天台の名日双六を絵に直したものともいわれ、後には仏法双六と名を    改めたが、鎌倉時代には、仏法の名目を暗記するの具に使われたものだといわれている。    官位双六は前のよりは後に出来たもので、板行で古いのは享保ごろのを最古とする。布衣から太政大臣    までの役々の人物を二百七図あらわし、黒刷に丹(アカ)・緑・黄の手彩色のものであり、文化ごろには、    この双六の極彩色版の改版で「官位昇進双六」と題されて、役名は幕府のものであり、明治初年には新    政府の「官等双六」が出ている。    なおごく初期の双六の賽(サイ)は、一から六までの数字でなくて、貪・瞋・痴・戒・定・恵の六字のが名    目双六用に、南・無・分・身・諸・仏のが浄上双六用に、祚・品・位・階・等・級のが官位双六用にと、    それぞれ専用の賽が使用されており、寛文・貞享のころまで、この古式の賽が使われていたのである〟     ◇「絵双六の話 珍しい双六」p153   〝文政八年の書き物に、ある人のコレクションに古板双六が二十八種のっていて、そのうちの二つ、鶴屋    版の「甘露壺双六」と、鱗形屋版の「かわるが早いおででこ双六」が私の手もとにある。これは「大阪    くだり手つま人形」と肩書があって、傀儡師の手品の絵が十一あって、上りの図は後に書き替えたもの    である。    その他「松の内のんこれ双六」という流行歌を入れた双六などがある〟     ◇「絵双六の話 役者すごろく」p153   〝役者双六は延宝頃から行われ、珍品は明和・安永から寛政ごろのものに多い。また天明ごろのものに    「顔見世ふり分双六」というのがあって名優十八名を描き、その末に無名の人物があって「やうちん」    と記してあるが、これは永沈(ヨウチン)地獄のことで、ここへ行くと、最後まで動くことが出来ぬ。これは    浄上双六にあるもので、その影響が、この双六にもある訳で、同じころの力士双六にも、「えうちん」    がある。    「役者賑双六」は、前の役者双六と大体同一であるが「やうちん」はすでに描いてない。画は丹絵で勝    川春章の筆である。その後、文化・文政度にも役者双六は全盛をきわめ、明治になってもたくさん出版    された〟     ◇「絵双六の話 道中双六」p154   〝道中双六は貞享ごろに作り出したものだちうと柳亭種彦がいっているが、宝永ごろのものを私は見た覚    えがある。    近藤清春(?)の正徳ごろのがまず古い方で、時代が降って、お馴染の北斎には「新板往来双六」とい    う優れたものがあり、広重には「東海道富士見双六」「諸国名勝双六」「東海道木曽振分道中双六」等    がある。    地方板としては「米沢道中双六」という米沢から江戸までの道中双六で、宝暦前後のものがある。また    名古屋板、仙台板があるそうだ〟     ◇「絵双六の話 川柳俳句双六」p154   〝狂歌、川柳、俳句などを加えた双六も種々あるが、最も古いのは明和二年版の英一蝶の俳句入「梅尽(ウ    メヅクシ)吉例双六」で、文晃一門合作の俳句入り「江の島文庫」なんて上品なものもある。「狂歌江戸    花見双六」「寿出世双六」(狂歌)「孝不孝振分双六」(川柳)「名所遊帰宅双六」(狂歌)去来庵選の俳    句入り「江戸名所巽双六」という北斎の画品の高い挿画の逸品がある〟     ◇「絵双六の話 年玉の広告双六」p155   〝お正月に景品として広告に用いた老舗(シニセ)の双六がまたたくさんある。「売物には仕らず」とか、    「禁売買」とか断ってあって、文化・文政ごろから明治に及んでいる。    神田三河町の小問物屋泉屋の「御化粧双六」、三馬の『江戸の水』の広告「賑式亭繁栄双六」、下谷車    坂の桜香本舗の「宝の山松繁栄双六」、浅草の紅勘の浅草名物を集めた「年玉双六」、赤坂表伝馬町の    陶器商西村の「講国陶器山冬双六」、日本橋伊勢屋(佃煮)の「御年玉細見双六」、日本橋通の羊羹屋船    橋屋織江の「名所羊羹双六」、などがあり、明治になってからの面白いのは、銀座上方屋の「かるた出    世双六」で、当時禁制であった花札を、その筋へ願って売り出すまでの苦心を画にした奇抜なものであ    る〟     ◇「絵双六の話 変わった双六」p155   〝双六の画工はたいてい汗世絵師であるが、四条派の祖といわれる松村呉春筆の「京都名所双六」という    肉筆のものがあって、私はその写真を持っているが、お上品なものである。    また具足のつけ方を五十余図に説明した文化ごろの「具足着用順次双六」なんてものがあり、「鎗銃(ケ    ンツキヅツ)点放(ウチカタ)号令双六」「調練双六」なんて幕末の勇ましい双六もある。    豆双六というのは懐中用で、二、三寸に三、四寸という大きさで、これにもいろいちとある。明治十九    年版の「新双六淑女鑑」というのは、小林清親の筆で、署名はしてないが坪内迫遥博士の案で、私がそ    の出版人である。    弘化二年版の「新製がん双六」というのは、オランダ双六といわれていて、雁を描き、四隅に紅毛の男    女が描いてあるが、海外のものの翻案であろうと思われる。    以上、ごく簡単に双六の概念を話したが、双六は微々たる遊戯の具に過ぎないが、時代を反映して風俗、    流行、文芸、娯楽その他の研究資料となり、浮世絵の傍系として、美術品としての価値を具えており、    双六そのものの実質についても十分検討されていいと思っている〟