Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ えんめいいん 延命院浮世絵事典
 ☆ 享和三年(1803)    ◯『巷街贅説』〔続大成・別巻〕⑨39(塵哉翁著・文政十二年(1829)自序)   (享和三年・1803)   〝僧侶の女犯          谷中日蓮宗 延命院 日道 四十歳    右之者、、一寺住職たる身分を不レ顧、淫慾を恋し、源太郎妹又は大奥部屋方下女ころと及二密通一其    外屋形向女両三人へ艶書を送り、右女参詣之節密会、或は通夜杯と申成し、寺内に止宿致させ、殊にこ    ろ儀懐姫之由承り、堕胎之薬を造、破戒無悲の所行、其上寺内作事の儀、奉行所へ申立候趣と引違、勝    手次第の儀に建直し候儀、重々不届の至に付、死罪申付候者也、     (中略)    右享和三亥年七月廿五日、申渡相済候、脇坂淡路守殿御掛り也、但召捕は五月廿二日なりとかや、延命    院日道は、戯場役者尾上菊五郎が子にして、丑之助とて、安永天明の頃子方にて、舞台へも出て美童な    りし由、いかにして僧とは成けん、此寺の住職と迄なりて、美僧のきこへありしが、かゝる事さへ仕出    して死罪とはなりぬ(以下略)〟    ◯『椎の実筆』〔百花苑〕⑪345(蜂屋椎園記)   〝延命院死罪ニなりし時んお落首    享和三年亥七月、谷中日蓮宗延命院日道【亥四十才】女犯の事ニて死罪になりぬ、其頃の落首に      延命院ならば命ハ延びやうに短命院で首ハころ/\       ころばした延命院が非道さハ四十死罪になるぞ短命    右の落首にころといふ事をよみ入たるハ、西城の官女梅村の下女ころと姦通して、堕胎の薬を与へし事    など露顕せし故也。延命院の御咎書ハ椎園叢書ニ収入す〟