☆ 文化十四年(1817)
◯『敵討巌流嶋』狂画堂蘆国画(絵入根本)(国立劇場・電子図書・文化デジタルライブラリ-)
(蘆国自序)
〝年ごとにかはらぬ色を梅の津の 花のなにはの戯(わざ)おぎの 其種本てふ物はいと秘したる物なりし
を 去にしよりふみやが手にうつりて 梓にちりばめ画さへまし得候は 古人春好ぬしが初めにて い
づくも春のあしたごとに 諸好士をしてうれしがらせしも はや年ふりて 其のちにつきて門ンに遊べ
る春好ぬし いとめでたき色取りさへ花やぎて かぜに月にながめをそへ玉ひしより いとひろくおこ
なはれて遠き国々迄も 此本のはやりゆくぞ ありがたき代のためしなり 此二とせ三とせは 春好ぬ
しの外になし玉ふ事ありとて おのれに筆かはれよとすゝめ玉ふから わざおぎの好にまかせて 二三
の本をあやかせど 元より似顔の事はまなべる事もなかりしかば いと物笑の種とはなりかし ことし
ははや せちにゆるさせおわせとわびぬれど おのれが筆のつたなきは人みな知りつ いまさらの様に
申ぞおかしと ふみ屋がりくつに今ははや 引にひかれぬあづさ弓 只此本の案山子ぞと ひたすらわ
びることになん 狂画堂のあるじしるす〟
敵討巌流嶋「乍憚演舌」(文化デジタルライブラリ-)
〈歌舞伎台本に役者の似顔絵を添える「絵入根本」の由来が記されている。松好斎半兵衛に発し、春好斎が受け継ぎ、
さらには春好斎から指名された狂画堂蘆国がそのあとを引き継いだ〉
☆ 文政三年(1820)
◯『傾城黄金鱐』暁鐘成・春好斎北洲・春陽斎北敬画(絵入根本 文政三年正月刊)(国書データベース)
(乍憚演舌(はばかりながらこうじよう)※ 原文の「(ム)り(升)る」は「(ござ)り(ます)る」に直した
〝はん元(板元口上)
「高ふはござりますれど 御免をかふむりまして 是より申上ます まづもつて御町中様 ます/\御
きげんよく御坐いらせられ恐悦至極ニぞんじ奉ります したがつて私店の義 御かげによつて日ましに
はんじやう仕り 当春(たうはる)も相かわらず絵入根本出板仕り 大悦に存(じ)奉ります しかる所
御ぞんじ御ひいきの画工あし国義 去(さんぬる)卯の春(注1) 達大礎(だてのおほきど)(注2)を御名
残として 黄泉(よみぢ)の旅へおもむかれましたるゆへ とりあへず春好斎北洲、春陽斎北敬 此両公
へたのみにまかり越しましたる所 近来(ちかごろ)日を追(おふ)て御門弟いやまし 又は四方(よも)の
諸君子より筆をもとむる㕝(こと) あたかも筬(おさ)のは(羽)を引がごとく 唐帋(たうし)の画(え)ぎ
ぬは山のごとくつみ重ね いやはやおびたゞしき事でござります 中々板下をかくいとまなし いづれ
へなりと外々へと 忠臣蔵の九段目口上(注3)に大ひにこまり 入相のかねにはあらで 暁のかね成ぬ
しへ談合に参りましたる所 著述の徒然(つれ/\)何やらん画をたしなまれる様子なれば 是幸ひとつ
けこんでむりむたいにすゝめますれど なか/\画の事は思ひもよらず 免(ゆる)してよと 申されま
するを さま/\と云さとし 漸々(やう/\)に此ところより かわり役相つとめられますれば 定め
し御見ぐるしくござり◎◎◎(升ふぞ?)段(だん)は作者のことゝ思しめされ 御しんびやうに御一覧希
(こひねがひ)奉ります」
かね成(鐘成口上)
「たゞ今はんもとの主(あるじ)申上られまする通り 元来私画(ぐわ)の道にはいたつてうとく 殊さら
御きゝおよびもなき大不調法者でござります 板元いかゞ心得ましたるや しきりと相すゝめられ 粹
(すい)なる客(かた)の言(ことば)にも 物まねは似ぬがよし拳はよわひが興ありと聞けば 㒵(かほ)似
せも似ぬがよし 画(え)も無調法ながかへつて御見物様の御一興ともならふなどゝ むしやうにすゝめ
られ 今はのがれんことばもなく 御わらひをかへりみづ(ママ) かわり役相勤◎やうにござりますれど
大序よりは余り恐れ多きとぞんじ 御板(はん)◎用なる先生方をおして相頼み 口画二丁は北洲主人を
頼み 一の巻より二の巻までを北敬ぬしへ頼置ましたる所 折あしく御病気にて 無拠(よんどころな
く)又々かわり役急に相勤ますよふにござります しかしながら二冊目の切 小倉堤の段にては先生方
御そろひにて勤られますれば 大序よりの御退屈を是にて御直しあそばされ たゞ其の外は小詰役の初
ぶたいと思し召し 似てない所もにた/\と 御笑ひ草の種本と 御一覧の程をひとへは寒き初春なれ
ば二重も三重もひき重ね 七重のひざを八重におり 御ひやうばんを希ひ奉ります〟
傾城黄金鱐「乍憚演舌」(国書データベース)
〈松好斎、春好斎から「絵入根本」の流れを引き継いできた狂画堂蘆国が、文政二年(1819)の春、『姉妹達大礎』を最
期に亡くなった。〉
(注1)卯は文政二年
(注2)国書データベースの統一書名は『姉妹達大礎』文政二年刊
(注3)「仮名手本忠臣蔵」九段目 お石の台詞「ハテ結納(たのみ)を遣はしたと申すではなし、どれへなりと外々
へ御遠慮なう遣はされませ」他の人に頼みなさいという意味