Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ えはがき 絵葉書浮世絵事典
 ☆ 明治三十三年(1900)  ◯『明治事物起原』石井研堂著 橋南堂 明治四十一年刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(154/297コマ)   〝私製絵葉書の始    明治三十三年十月一日より、私製絵葉書発行許可の逓信省令あり。同五日発行の『今世少年』第一巻九    号に、石井研堂案、小島沖舟筆、二少年シャボン玉を吹く図の彩色石版摺絵葉書を附録口絵として読者    に頒つ。これ私製絵葉書の始めなり。     絵葉書の最も盛んに行はれたるは三十七八年征露の役、存外将卒慰問に之を使用したるに起り、     好事者の間に絵葉書熱沸騰したりしが、戦役の終局と共にやゝすたれ、記念スタンプ熱一時之に     代りしも、亦久しからずして火の消えたる如し〟  ☆ 明治四十一年(1908)  ◯『博文館図書雑誌総目録』博文館 明治四十一年刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(155/187コマ)   〝絵葉書 日本葉書会発行     木板刷之部    久保田米僊 三島蕉窓君画「御代の春」二枚一組    故富岡永洗君画「佳人の装」鳥ノ子卅六度手摺     水野年方君筆 「古今美人」上 六枚一組 鳥の子紙卅六度手刷    水野寛方君筆 「寛政美人」  六枚一組 鳥の子紙二十四度刷    歌川国峰君筆 「時代美人」  六枚一組 鳥の子紙三十二度刷 享和時代の美人風俗    寺崎広業君筆 「やまと風俗」 六枚一組 鳥の子紙三十五度刷    斎藤松洲君選 「北斎漫画」  第一~三輯 各六枚一組    水野年方君画 「カレンダ」  四枚続キ      鈴木華邨君画 「四季のながめ」六枚一組     石版刷之部    橋本邦助 中沢広光 一條成美君画「戊申春興」    跡見花蹊女史画「四季の花」 上下 各六枚一組    三宅克己君筆 「水彩絵葉書」上下 各六枚試筆用ケント付    〈永洗は明治39年に亡くなっている。当時人気の口絵画家総動員である〉  ◯『明治東京逸聞史』1・2(全二巻)森銑三著(「東洋文庫」135・142 平凡社 昭和44年刊)  ◇「榛原」明治三十四年(1901) ②p67   〝榛原 〈東京名物志(松本道別著)〉    「東京名物志」の文房具の部には、榛原をその一項として取上げ、同店の販売品目二十余種を載せてい    るが、その中に「美術絵葉書」とあるのが注目せられる。三十四年には、絵葉書の流行は、まだその初    期だったのであるが、早くも榛原では、「美術絵葉書」というを発売している。     この絵葉書は、前項の文禄堂でも、また発行している〟  ◇「絵葉書(一)」明治三十八年(1905) ②p153   〝絵葉書〈同上三八・六・一〇〉     絵葉書の流行は、今極点に達している。市中どこへ行っても、絵葉書を売る店がある。絵葉書専門の    雑誌も数種ある。絵葉書を附録に附けている雑誌も多い。よく売れるのは、やはりコロタイプ版の美人    などで、上方屋ではモデルを雇うて撮影し、各種の絵葉書を出して、巨万の富を致した。輸出せられる    絵葉書も相当に多いが、これは美人よりも、風景物の方が喜ばれている〟  ◇「絵葉書」明治三十八年(1905) ②p179   〝絵葉書〈学燈三八・一〉    「学燈」一月号の雑報欄に、絵葉書の流行の依然続いていることを述べている。平民新聞社でも、社会    主義者の絵葉書を発行した。その一事を以てしても、流行が知られよう、といっている〟  ◇「絵葉書を附けた本」明治三十八年(1905) ②p180   〝絵葉書を附けた本〈山上湖上〉     絵葉書が流行したものだから、各種の雑誌で、絵葉書を附録に附けることを始め、ついにはそれが単    行本までに及んだ。今年三月に、本郷の金色社から出した「山上湖上」がそれである。これは太田水穂    と島木赤彦との共著で、内容は二人の詩と短歌とから成っている。     たまたま古本屋に出る本は、大抵その絵葉書が切取られて居り、もしその絵葉書が無事に附いている    ものが出れば、古本屋では特別に直を高くする。内容とは無関係に、景物の絵葉書が物をいっているの    である。地下の著者達は、嬉しくもないというだろうか〟  ◇「肉弾絵はがき」明治三十九年(1906) ②p224   〝「肉弾絵はがき」〈文庫三九・一〇〉     桜井忠温の著「肉弾」が広く読まれたところから、その桜井中尉に三枚の絵葉書を画かせて、「肉弾     絵はがき」の名で売出した。軍人の出征するところが一枚、主従が別れを惜しむところが一枚、挺身     敵塁に迫ろうとするところが一枚から成る。板元は東京の新橋堂、定価は二十五銭だった。文庫でそ     れを紹介して、出来のよいことを褒めている。絵葉書の流行が、まだ続いている〟  ◇「万龍百姿」明治四十二年(1909) ②p319   〝「万龍百姿」〈文芸俱楽部四二・三〉    「万龍百姿」という絵葉書を、芝愛宕町の長島万集堂から発行して、よい売れ行きを挙げていることを、    時報欄で告げ、その中に一枚の鼓を打つ恰好をしているのを、口絵に載せている〟  ◇「水彩画」明治四十二年(1909) ②p325   〝水彩画〈みづゑ四二・六〉     宇都宮の長沢北斗という人が投書して、近頃水彩画が流行しているものだから、それに乗じて商人が    水彩画の絵葉書を作って売出しているが、絵葉書店の店頭に並んでいるのを見ると、これはというもの    が殆どないと慨歎している〟  ◇「一銭蒸気」明治四十三年(1910) ②p344   〝一銭蒸気〈「冷笑」荷風全集所収〉    「冷笑」の中に、隅田川一銭蒸気での絵葉書売のことが書いてある。「最後に乗り込んだ黒眼鏡の筒袖    は、腰掛の上に鞄を開いて、先づ二三枚の絵葉書を取出し」とあって、それから述立てる口上が、次の    ように写してある。    「船中のお退屈まぎれ。毎度皆様方に御贔屓になりまする絵葉書。今回御覧に入まするは、お児様方の    お慰み、教育武道絵葉書でございます。」といって、乗客の視線を集めて、「最初に御覧に入れますは、    武田信玄、上杉謙信川中島の合戦。この通り見事な極彩色、次には源の牛若丸鞍馬山の場にございます。    光線に透かすと、月に村雲はこの通りはつきり透絵になつて居ります。」と、一枚一枚説明して、開い    た扇のように、五本の指の間に絵葉書を挟んで行った、としてある。一銭蒸気には、こうした物売りが    附き物だった〟  ◇「自筆絵葉書」明治四十四年(1911) ②p375   〝自筆絵葉書〈方寸四四・五〉    「通信号」という名を附けて、同人達の自筆の絵葉書を写真版にして載せているのが、「方寸」らしい    好企画を成している。この中で坂本繁二郎は、三疋の犬を画いたのに、次の一文を添えている。    「この頃、麦が馬鹿によくなつた。見に来給へ。殊に朧月の麦畑の調子は、何ともいへない。内の裏の    芥溜あさりに、こんな犬どもがやつて来る。其内の此奴をモデルにしようと思つて、さんざん御馳走を    食はせて、大分なついたから、始めようと思つたら、つい来なくなつてしまつた。かつかりさ。」     三疋の内の一番小さい白犬から、右の文の「此奴」のところへ線が引っぱってある。「がつかりさ」    の一語が利いている〟    ◯『明治世相百話』山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊  ◇「絵葉書流行の始め 意匠を凝らし合った年賀状」p37   〝誰しも一時は凝った絵葉書の蒐集。初めはもちろん外国もの、明治三十三年に私製絵葉書が許されてポ    ツポツ発行、東京名所や俳優名妓等の写真版、石版色刷の粗末な花鳥画など。三十五年に万国郵便聯盟    二十五年の祈念絵葉書が逓信省発行となって、これが祈念物の最初だが、簡単石版色刷で五枚一組の御    多分に漏れぬ代物。    これが先駆となって、祈念葉書は神社仏閣の祭祀法要にまで及ぼし、日露戦争の祝勝祈念に至っていよ    いよ本格の大全盛、戦勝記念の発行ごとに郵便局に押し寄せる群衆は凄いほどで、中にも陸軍凱旋式祈    念の一枚は大した人気、各郵便局前は長蛇の列を作ったが、ついに神田万世橋郵便局では人志があった    という騒ぎ。(中略)    新年絵葉書もまず三十六年以来で、その先駆者はやはり画家の方面、渡辺香涯、鏑木清方、鳥居清忠、    久保田米斎、同金僊、つづいて寺崎広業、山岡米華、中村不折、荒木十畝(ジツポ)、池上秀畝、小室翠    雲、荒井寛方の諸画伯いずれも早い方、以来文士、美術家または俳優そのほか芸界の人々まで、それぞ    れ意匠に特色を現わした賀状の全盛、江戸の刷物から脱化した新趣昧として、我党有難く頂戴したもの    だが、近年は時代の影響で大正以来追い追い下火〟