☆ 明和二年 乙酉(1765)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(明和二年)
⑧「春信画 巨川工」錦絵 図14「蓮池舟遊美人」「進上」の朱印
賛なし〈蓮を採る女の帯に大の月。「進上」とあるから配り物である〉
「巨川画工」錦絵 図15「女の首」
賛なし〈襖に「明」「和」、屏風に小の月〉
⑦「夜樞工」一八〇(笹に天水桶の吉原屋根)
〈解説は、笹竹が大の月の漢字、屋根に小の月があるとする。「夜樞工」は図案提供者〉
(参考)
『鈴木春信』展カタログ(千葉市美術館 2002年開催)
鈴木春信の落款はないが、「巨川」など図案提供者名の入った二十余の絵暦を収録する
☆ 天明四年(1784)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(年)
⑧「鬼頂工〔閏正小〕印」Ⅴ-15「大関谷風」(化粧廻しで土俵入りした谷風)
〈標題の「大関谷風」は大の月の組み合わせたもの、化粧廻しに「天明四年田(ママ)とあり。鬼頂は考案
者か」
☆ 天明八年(1788)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(天明八年)
②「無署名」(手鞠をつく娘)1-2/28〈帯に「天明八申」〉
「路秀工」〈図案提供者か〉
☆ 寛政二年(1790)
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(寛政二年)
②「無署名」1-3/28(福禄寿と唐子二人)〈画仙紙の「壽」、小の月の漢数字の寄せ集め〉
「路秀作〔福禄〕印」賛なし
☆ 制作年未詳
◯「絵暦年表」(本HP・Top)(制作年未詳)
⑤「波静工」(お多福面)17/24
賛なし〈面の描線の漢数字らしきを認めるが大小・年次不明〉
△『増訂浮世絵』(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝(絵暦の)或ものには、巨川工といふ文字がある。巨川工の三字は、春信の錦絵に往々見る所で、従来、
工といふ字から推して、彫工の名と解されてゐたが、春信の或る錦絵に蓮芝房工と記した傍に並べて、
彫工森野宗玉と明記したものがあるので、工は彫工でないことがわかる。即ち工は考案の意に解するの
が正当であらうと思ふ。春信の柱絵で、冷風工と記したものがあるが、これなども、やはり冷風といふ
名の或る数寄者が、自ら考案した処に基いて、春信に画かせたものと見るべきである。
かやうの例は相当に多い。巨川連とか、莎鶏組とかいふやうな狂歌を嗜む一団が、互に摺物を交換した
のである。これ実に版画の興味を覚えての事で、これによつて益々版画が芸術的に発達するに至つたの
である。それ等の人々は、何れも面白いものをと苦心して図を考案したのであらう。例を挙げると、莎
鶏工、至連工、麦十工、木髪工、花橋工、芝房工、故崖工、高松雪戸工、友幸工、豊子工、鶴子工等枚
挙に遑ない程である〟(p105)
〝(小松軒の)明和二年三年の摺物に、その遺作がある。二年の摺物には、楊貴妃をかき、大小の暦をあ
らはして居る。精一亭といふものゝ工案になつたものである。三年の摺物には、遊女と二人の禿を写し
たのがある。これには流光洞莎鷹工とある。この絵は後に大小の暦と、莎鷹工及び筆者の名を削つて、
摺刷したものがある。後から名を補つたのである〟(p117)