◯『浪華百事談』〔新燕石〕②231(著者未詳・明治二十五~八年頃記)
〝金屋江戸物店
江戸物といふは、称へこそかはれ、今の東京物と等しく、彼地製産物を種々取よせて商ふ見せを、江戸
物屋と昔は云へり、其古く文政中より商ひし店は、淀屋橋筋高麗橋の南の方東側に、大村屋安太郎と云
へる有り、されど、是は小網町伊勢屋吉三郎に製す歯磨、楊枝類、又あら物を多く売て、莨入、きせる、
婦人の髪の飾抔は商ふこと少し、(◯に「大」の商標、大丸)の南対ひ西角の家も、金屋喜五郎と云ふ
店ありて、是は、天保の初の頃の開店せしものゝ様に聞しが、此店は、たばこ入、紙入、鏡袋、煙管、
櫛、笄、かんざし、或は、手拭、おび、歯磨、やうじ、団扇、錦絵の類、江戸製品何となく取寄商ふを
以て、其名高くなり、衆来りて求ること多し〟