Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ えど ふうぶつし 江戸 風物詩浮世絵事典
     ◯『娯息斎詩文集』闇雲先生(狂詩・狂文集) 当筒房 明和七年(1770)刊   (新日本古典藉総合データベース画像)   ◇江戸の繁華   〝東都(とうど)の曲    万国の諸矦(だいみやう)大手に集まり    四海濤(なみ)静かなる泰平の寿(ことぶき)    鎗持の放屁(へ)は隍(おほり)に響いて高く  下馬の寒具(だんご)は砂に和(まぶ)して售(あきな)ふ    戯場(しばゐ)の大入暁を侵(おか)して争い  吉原の全盛は人をして驚かしむ    鍵屋の於千(おせん)処々に響き       柳屋於藤(おふじ)日々に栄(さか)ふ    開帳の桃燈(てうちん)春風に動き      上野の中堂碧空(あをぞら)に輝く    両国橋長(なが)ふして侲僮(かるわざ)賑わい 猪牙舟(ちよきぶね)迅(はや)ふして遊人通ふ    屋舩(やねぶね)強飲(ぐいのみ)略語(しやれ)遊び 下撫(したなで)本田自(おのづか)ら風流    日暮らし穴暗くして人猶(なを)潜り     飛鳥(あすか)花開いて心弥(いよ/\)浮かれ    日暮らし飛鳥繁華を競ふ          春信文調花奢(きやしや)を画く    年季野郎が長歌(ながうた)は        道理で南瓜か是れ唐茄(とうなす)〟   ◇江戸四季の遊び   〝飛鳥山の花    毛氈芝に連なる飛鳥の春    老若の花見蝿の屯(あつ)まるに似たり    徒(ただ)看る石碑更に読み難し 一樽の諸白共に親しみに堪へたり〟   〝両国橋の納涼(すずみ)    風涼しうして向つては晩に栄ふ 玉屋の花火星を焦がして明らか    如斯(こんな)納涼(すずみ)が何ぞ唐(から)にも在らんや 楼舩(やかた)の長歌河み響いて清し〟   〝武蔵野の月    武野(むさしの)悉く変じて名空しく残る       明月寒具(たんご)相與に団(まろ)し    借問(しやもん)す紫兎(うさぎ)何を見てか躍(はね)る 酒無く銭無(な)ふして欄干に倚る〟   〝三囲の雪    隅田川の辺(ほと)り雪花に似たり 今朝誹人犬と與に嘉(よろこ)ぶ    真崎田楽酒を勧むるに堪へたり  北国近く連なりて家に帰へらんことを忘る〟  ◯『市隠月令』村田了阿著 文化年間記事   (『近世文芸叢書』第12巻所収 国書刊行会編・出版 大正元年(1912)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(104/259コマ)   〈村田了阿(安永元年(1772)~天保14年(1844)12月14日)江戸後期の俳人〉    ※適宜、かなを漢字に変換したり、送りかなを施した。◎は判読できなかった文字     全角カッコ(~)は原文のよみ、半角カッコ(~)は本HPの補記 例(向島)三囲(ミメグリ)神社  △正月   元日    神田社へ詣でぬかづく人を見る、少年の昔は初日影をみんとて、五更の頃より此処に至て待ち居たりき、    今もそを思ひ出てなつかし    松飾りは下谷御徒町山下より、和泉橋の方を遥かに見とほす、気色よし、又(大伝馬町)木綿店の木戸より    御城の方をみやれば、富士の根に霞わたりて見ゆ、駿河町かどより見るもよし、飾りはよき家にていかめ    しくたてたるは中々にわろし、細き横町或ひは新道など長屋造りの家にて、かりそめに竹二本に小松たて    そへて注連(シメ)ひきつらねたるを見通すぞよき    東の方わずかに白める頃、太神楽の声たぐひなくめでたし     白酒売、宝舟、福神、双六売の声いとめでたし、辻宝引の声は今絶えて聞えず、聞かまほしけれどかひな    し元日の夜は皆人去年のつかれにて、早くいぬるにやあらん、いと寂しきものなり   二日    年頭の礼者のきそひありく、いさぎよし山の芋売・独活(ウド)わけぎ売の声春めきてよし、白魚売は更な    り、下谷御徒町いと早し    大橋、永代も河辺にて御舟開き拝見するよし、御舟歌聞き侍れば、実に太平の有様いちじるしくめでたし、    されどいと長閑なる日ならねばをかしからず    新川大神宮、鉄炮洲稲荷参詣   三日    上野(元三)大師詣で賑はし、黒門前、車坂通り諸商人多く出ていさぎよし、近在の老若ひきつゞきて群が    り出づ、田舎人は年ごとに例をかへざるがいとめでたし、    初三日月は浅草広小路にて松飾りの上にほのめくがいとめでたし    扇箱売すでに出づ、昔は十五日頃より出て、其の声聞けばはや正月の名残と思はれて悲しかりしが、近頃    は聞きなれて是もいさぎよきこゝちす   五日     薺(ナズナ)売の声春めくものから少し心細し   六日    心なき人は朝より松飾りとり崩す、こはいつ迄もあらまほしきものを、此日より市中の景色おとろふる故    梅の初花みんため亀井戸に行く、隅田川の初春の景色、筑波山の薄霞など心地よし    此宵より暁かけて、家々に若菜うちはやす声いとよし、    すべて松の内、万歳の舞はやす声、処女等が手毬つく歌羽子の音めでたし    鳥追(トリオイ)といふものいと心よし、なべてのをり(ママ)浄瑠璃など語りて門に立はいとにくし(趣きあり)    此夜厄払ひいとよし   十一日     御蔵開き尊くめでたし、万歳千代を祝し奉るなど殊にめでたし   十二日     削り掛け売めでたけれども心細し、そは正月の日数過ぎ行くが惜しければなり    〈白い木の肌を薄く細長く削り垂らしたもの〉   十四日     此夜厄払ひめでたし   十五・六日     藪入り閻魔詣でいと賑はし   十九日     此夜伝馬町の市(ベッタラ市)賑はし、されど十月程には思はれず   二十日     夷講は木綿店、いせ町辺いといさぎよし    茅場町開帳(薬師)賑はし   二十四・五日     亀井戸(天神) 鴬換(うそ替え神事)賑はし    此日夕方より鮨売・卵売の声いとめでたし、干大根売の声は去年より聞ゆれど、初春は殊に長閑に思はる   (初春)    殻蜊(アサリ)売・於古(ママ)売又よし、早き歳は月半ばよりはたな(ママ)大根売の声聞こゆ又春めきてよし、    むし鰈(カレイ)売の声よし    は根岸、本所馬場辺早し、のいと早きは新橋の南の岸にあり、陽炎は(向島)小梅水府公(水戸藩邸)の    南水辺、若菜つみ若草は(本所)南割下水、は柳島の堤、松むしり(鳥?)は南割下水北側に早き所あり、    又堂前(上野)清水寺、(本所)実相寺の間にあり、蚯蚓の声も此あたり早し    菜花は合羽干場より中の橋の間にて、北側の畠に早き所あり、其の次は柳島北の岸にあり    四十雀(シジュウカラ)春告鳥(ウグイス)は上野より谷中辺いと早し、数珠掛鳩は長命寺・白鬚(神社)辺早し、は    筑波山に如くはなし    萱草は白鬚前通より亀戸平井へ出る堤にあり、いと早く萌え出るものなり、近頃は若芽を摘みて童部(わ    らべ)が苞(つと)にして売るなり      △二月   七日      此夕御事初の笊(ザル)家ごとに高く出す、されど師走ほどにはみえず、おほくは皆わするゝなめり   十五日     涅槃会に諸寺参詣多し、されど灌仏(会)程にはいさましからず   二十五日     亀戸社祭礼〈二十五日は天神の縁日〉   二十六日     雛見世賑はし   二十八日     薬研堀参詣(不動尊)、此日樹花切り花最も多し、雛祭の料(しろ)なり   (中春)    此月初午はいづれの社もよし、わきて鉄炮洲、(神田)柳森稲荷よし    此程柳の盛りにて、童部共堤にのぼりて、みどりの蔭に群がり遊ぶ様殊に賑はし    初桜は(上野)車坂上見明院門前、車坂左右、吉祥閣、しだれ(桜)は谷中入口護国院など数ヶ所    田螺売・松露売・蓮根・鳥芋売・三葉・芹売・栄螺売・さいかちの芽売・ひらめ売・雛の花いけ売など皆    春めきてよし、蛤売もよし    は十軒店更なり、茅町、尾張町、池の端仲町、浅草仲町など賑はし、雛の駕籠は乗物町に一二軒こしら    へおく家あり、近年は少なし    菓子は新石町、本町辺、照降町などあまたあれど、鳥飼(和泉)の見世程賑はふはなし、重箱は(上野)黒門    前翁屋門前に市をなす、白酒ひく歌は黒門前四方、(神田)筋違(スジカイ)が原、お玉が池にあり、年の暮よ    り製すれど、此月の初め専一に歌ふ、其の声春めきてよし     はこぞ(去年)よりあぐれど、此月南の少しく吹く日、霞の絶え間にあまた見ゆる景よし、本所水辺、大    川橋上又は待乳山より西の方を見おろすがよし、又(神田)明神の茶屋、駒込より本郷の方の空に多く見え    て、鳶の天に至るかと思はれでおかし、凧は鳶凧こそよけれ、紙鳶といふものなるべし、大きなる凧はわ    ろし、西の内紙四枚位かぎりにて、うなりはなきがよし、はては糸を切るもよし、霞がくれて行方しらぬ    も哀れに情深し〟  △三月   三日     (隅田川)水辺の逍遥ことによし、(上野)黒門前のけふわきて多し   四日     此日十軒店を見るべからず、前店取崩す様あはれになつかし    〈十軒店では二月下旬から雛市が立っていた、雛祭り終了後の光景〉   十日、十一日     下谷稲荷祭礼   十五日     梅若(忌)にて、隅田川はさわがしければ、(日暮里)道灌山から遠望すべし、麓の流れにて蜻蛉の化するこ    ともあり、八重霞の筑波様又めでたし〈「蜻蛉の化する」とは、トンボの羽化をいうか〉   十七日、十八日    (浅草)三社祭礼いとさわがし、されど向島よりこなたを見れば、うちひらめきて長閑なる景色よし   二十一日     深川山開き(八幡神社)は賑はし、早きとしは牡丹によし、柳絮の飛ぶ(柳)木一本あり、是も時侯によ    るべし、すべて(深川)高橋岸霊巖寺前に此木多し、(深川)弥勒寺のも此頃さかりなる事あり、いと早き木なり    〈柳絮は柳の白い綿状の種子〉   晦日    佐保姫をおくる〈春の女神・季語〉   (晩春)    此月すべてにいとまなし、桜は上野、隅田川、(谷中)感応寺、日暮、飛鳥山、下谷、(下谷)広徳寺前    桃、緋桃は谷中道、白桃は隅田川、桜のあひに多かりしが今は少し、は(向島)長命寺堤    山吹は(向島)三囲(ミメグリ)社の垣根、木母寺境内、柳島聖天(ママ)    椿は寒中より咲けど、此程さく花は色ことにめでたし    躑躅は日暮、下谷穴稲荷、林檎は下谷御徒町、李子花もよし(上野)坂本善養寺に有しが今はなし〈李の花か〉    は亀戸、三囲、(本所)御竹蔵など、こは別記にくわしくのす    雲雀は(巣鴨)庚申塚より入りて茶店の辺いと多し、西ヶ原にても見ることあり    の初声は隅田川よし、声のやさしきは上野下寺(町)の溝にあり    接骨木(ニワトコ)は大護の後根岸の水辺 〈接骨木に「かなめ」の読み仮名あり、大護とは蔵前の大護院か〉    若楓は上野多し、桜散て後よし、燕子花(カキツバタ)は木下川(キネガワ)    母子草は三囲表門通、白鬚橋前通り小梅土橋へ出る道、蓮花草(レンゲ) 王子橋向    桜草売・蕗売・新牛蒡売・桜鯛売・鮒売・烏賊売・蕨売いとよし、月末にて簾売〝行く春や一声青き簾売〟    とはよくいひ得たり、蚊帳売も出、いと陽気なるものなり〟  △四月   七日      卯の花、新茶売声めでたし〈灌仏会のお供え用〉   八日      灌仏、花御堂たふとくにぎはし、水辺のはらへする〈灌仏会。花御堂は釈迦仏を安置した所〉   十五日、十六日 (日本橋)杉の森(稲荷)祭礼   十七日     神君拝礼いと尊し、木下川(浄光寺)にぎはし〈家康忌日、浄光寺は肖像を拝礼させる〉   二十五日     は此日よりたつるものあり   二十六日     五月(節句)飾物見世 十軒店、尾張町、下谷仲町、雛の如くにはあらねど陽気なるものなり   晦日      三崎町より白山辺へ行て、本郷追分に出る筋違の市を見る、真菰は此日よりうれど菖蒲は未だなし    〈端午の節句用品の市〉   (初夏)    大根の花は王子道    野薔薇は小梅水辺、木下川の東堤の細道、板橋道、いと早きは小梅水府公の橋のもとにあり    桐花は赤坂に及ぶはなし、諸所にあるをば別記にしるす、    薄紅の花卯木、紅白の花卯木別記にしるす、    卯花は巣鴨大塚辺おほし、されど花はおそくてわろし、諸所は別記にしるす    楝花は三囲表門、白鬚堤よし、諸所は別記にしるす〈「楝花」は「おうちのはな」で栴檀(センダン)の古名〉    石楠花 亀戸社の後、小梅水府公の掘の内、さいかちの花は柳島おほし    昼顔の早きは堂前(本所)実相寺の下水のほとり、赤くて大輪なるは三囲川辺、橋場渡しの向、秋葉道の湯    屋の横道より小梅へ出る道のべにあり、    忍冬(スイカズラ)の花匂ひよし、草藤(クサフジ)野薊(ノアザミ)美し    此月美日に赤芽柳(アカメヤナギ)ちる、諸所は別記にしるす    椎の木の花は車坂門内、鳥越松浦屋敷、本所嬉の森、椎木屋敷、    瞿麦(ナデシコ)、けしは九段上、木下川    子規(ホトトギス)は(本所)南割下水、多田薬師の森、松虫は(王子)瀧の川早し    蘆切(ヨシキリ)は木場より早きはなし、筒鳥(ツツドリ)は弥生末よりも啼く、上野、根岸、(谷中)御院殿の森、    (本所)番場、夕方は必ず啼く、水鶏(クイナ)の諸所は別記にしるす    胡瓜売・空豆売・鰹売・飛魚売・漬梅売・苗売・菅笠売・柏葉売・自然薯売・干鱈(ヒダラ)売・鯛売・    干蝮(ホシマムシ)売・給馬売・麦こがし売・白玉餅売・くだり売・筍売いづれも声ゆかし、    近年孟宗竹はいと早く売あるけど、時ならぬはおかしからず、辛皮(カラカワ)売近年は少し、此声も純陽(四    月)の時節故めでたし  △五月   朔日     此程すみだ川、又は道灌山下の辺にて、採薬の人をみるもおかし   三日     此日筋違の菖蒲の市いとにぎはし、両国へ大船に積来るもいかめし   四日     夙(早朝)より菖蒲・蓬売ありく声いさまし、夕方家々の軒端にふくぞいと清げにいみじき、こは堺町茶屋    の軒つゞき殊にめでたし、白木屋又は蔵前通におほくあり、日かたぶきて葺きたるは、夕月の露にきらめ    きていとめでたし〈堺町は中村座〉   五日    此暁薬ふるとて草の露わけ行、いとめでたし、浅草川にはらへするけしきよし、近頃は大舟にむらがり乗    て、笛太鼓にて打はやす様いかめし、両国橋をわたりて、柳原通神田社へ詣で、牛頭天王を拝礼す、凡そ    此日ほどいさましき節句はなし〈端午の節句、薬狩〉   六日      又同じ、菖蒲湯の匂ひいとめでたし   二十日      茅場町開帳にぎはし〈茅場薬師の開帳、門前に植木市〉   二十八日     両国夜見世はじめ、いとにぎはし、花火はよきものながら、舟にて呼めぐる声は物哀しき心地す〈両国川開き〉   晦日      駒込浅草富士詣にぎはし、桃杏子やうのくだものうるがめでたし   (仲夏)    柘植の花は御徒町松亭旧宅の向かい、又寺町薬店より南に行て屋敷林の内、早苗取田植いさぎよし    菖蒲は千住の河原におほし、はじの花、さいかちの花匂ふもよし、紫陽花いとすゞし、秋葉裏門通、上野    屏風坂門内、吾嬬森、柳島通にもあり、どくだみは匂ひあしけれど、花はきよけれ    茄子売・隠元さゝげ売・石花菜(テングサ)売・冷水売・枇杷実売・桑実売声いさぎよし    此月夏至の日より少しあはれを催す、されど世間いよ/\にぎはし    初蝉の声は純陽の心地してよし、其次に蜩の声聞ゆ、こは秋の末迄も鳴くもの故、あはれにおもはる、さ    れど暁方に鳴くは極暑のけしきありていさまし    団扇売今は見えず、寛政の頃まではみめよき少年、清げなる浴衣に編笠など着て、声をかしくよびありき    しが、めでたく涼しかりき      △六月   朔日    富士詣千住祇園祭礼(素盞雄神社)、加州(加賀)侯の氷室献上などゆかし   四日    大伝馬町夜宮(天王祭)いさぎよし、(浅草御門外)第六天神(宵宮)又にぎはし   六日      中橋夜宮(天王祭)にぎはし   七日      蔵前夜宮(天王祭)にぎはし   八日      鳥越夜宮(例大祭)にぎはし   九日      小舟町夜宮(天王祭)さかんなり   十四日    (日吉)山王御祭礼(宵宮) 桟敷花やかなり、通町、茅場町、小網町辺殊にめでたし   二十四日    (芝)愛宕詣   晦日      六月(夏越の)は橋場いと涼し、此夜より丸提灯、さまざまの灯籠門前につらねたるも涼しげなれど、秋    のあはれやゝ催してかなし、池の端より無縁坂の高灯籠をみるも哀れなり   (参考)『東都歳時記』六月晦日記事「今日より七月晦日に至る迄家々戸外に灯籠提灯等灯(トモ)す、商家(マチ)には白張の提        灯を出すもあり、寺院は高灯籠等出す」   (晩夏)    此月末、大山詣いさまし、合歓(ネム)の花いとよし、綾瀬の舟遊びきよげなり、諸所は別記にしるす、    雁皮仙翁よし、忍草涼しきものなり    みん/\蝉、油蝉、いと暑き声なり、    夕立過てなどみゆるいと涼し    真桑瓜・越瓜(シロウリ)・丸漬瓜(シロウリマルヅケ)・西瓜・夏桃よぶ声いづれも暑し    鰌(ドジョウ)売・蒲焼売・ござ売、殊に日盛によびありく、いと暑し、きんとんさゝげ売・菖蒲団子売、又    暑し、夕河岸の鯵うる声は涼し、納太刀売今はいと稀なり、丸灯籠売も近頃は少し、灯籠はいとおほし、    秋のあはれやおこりてかなし、〈納太刀売とは大山詣に奉納する祈願の太刀〉    虫売又哀れなり、は清げにて陽気なり、土用に入日より新芋つとめて声聞ゆ、いよ/\秋のあはれ見にしむ    心地す    夜も少し延びたりとおもふ頃、おでん売声す、昔は秋の末より寒中をむねとありきしが、今門涼(カドスズミ)    の比専ら売る事となりぬ、柚子・生姜・茗荷の子売声も秋のあはれしられてさびし      △七月   三日    池の端より三日月を見る、のかをりもよし、月のあかりに無縁坂高灯籠、長庚かとおもふばかりきらめ    くも涼し〈「長庚(ユウツズ)」は日没後、西の空に輝く金星〉   四日     七夕の短冊売、声暑し   五日     日西にかたぶきて筋違笹市、宵月の入はてゝいとくらきに、舟より担ひあげて、売買声にぎはし、両国に    もあり〈七夕用の笹〉   六日     かはたれ時より、折かつぎてむらがり売声涼しげ也、二星にたむ(手向)くとて長き棹のはしに短冊の笹    結つけ、秋の初風に打靡く様おかし、近頃は色々のかざり物粧ひたるもなまめかし、蔵前殊におほし、本    所よりみるもよし、日本橋、京橋などの欄によりて見れば、家々のかざりものかぎりもなく見えわたりて    ゆかし   七日    此夜風清く、月涼しげなれば、ぬ(寝)る事も忘らるゝもの也〈七夕〉    九日    観音通夜いとにぎはし、此日より霊祭の料に ◎足打鉈懸(?)、真菰(マコモ)、麻殻(オガラ)、ませがき(間瀬垣)    棚の灯籠など売あるくも哀れなり〈千日参り。浅草寺は四万六千日。真菰以下のものはお盆用の魂棚を作る材料〉   十日    此程の夕暮、池の端にて蓮葉をとりかさねて売かふ様、涼しげに又哀れなり、月は盆の月、最も涼しく清    くてよし   十一日    もりもの(盛物)より蓮、棚の竹、五種香、線香など売あるくもいと哀れなり、此程須田町辺、瓜、西瓜な    どさかん也   十三日    草市いと哀れなり、七ッ半頃より向島に行て、迎火たむ(手向)くみる〈草市はお盆に使用する飾物を売る市〉   十四日    蓮飯売、声もいと暑し   十五日    藪入の子供にぎはし   十六日    閻魔詣、此朝お迎々々とて来る、いと哀れなり   二十五日    (本所五百)羅漢寺施餓鬼より亀井戸参詣(天神)〈二十五日は天神の縁日〉   二十六日    此夜待(ヤマチ)、諸所にぎはし〈二十六夜待ち〉   晦日    池端にて高灯籠見納   (初秋)    此月二十七日頃、狼煙あがる、いよ/\秋のけしき哀れなり    木槿(ムクゲ)の花、萱草の花、嫁菜の花、槐(エンジュ)の花、楸(ヒサギ)の花、桧扇の花、葛の花、小車の花    凌宵蔓(ノウゼンカズラ)の花は白鬚の指物屋(下谷)広徳寺前南側にあり、藪の蕎麦やにあり、    初荻の花、犬たでの花、藤豆の花、夕顔の花哀れに涼し、蟋蟀(コオロギ)の声いと身にしみて哀れなり    つくづくぼうしの声いよ/\秋気を催してかなし、ずゐき売、十六さゝげ売、刀豆(ナタマメ)売声暑し、    秋桃売、植木蕃椒(トウガラシ)売の声物さびしきもの、    納豆売、菜漬売は九月末より十月霜月を専らにありきしが、今は立秋の日より来る、いと悲しきものなり、    きくにたへず    ゆで豆売も昔は盆過ぎより月見頃売しを、今は正月末よりも売あるく、すべて秋冬の景物をとりいそぐも    のはいとにくし、人をして断腸せしむ、藤豆売、ぬかご(ムカゴ)売さびし、朝々冬瓜(トウガン)のたち売声身    にしみてさびし    日々草(あさがほ)はさかり久しけれど、秋涼しく成行く程花ちひさくなりて、はてのかなしきものなり、    お白いの花美し、夕蔭に咲て朝は凋る哀れなり、昼も凋ぬやうになれば秋気やゝつのりて哀れなり    〈「凋(しを)る」と「凋(しぼ)む」か〉     △八月   三日    向島より三日月をみる、すべて夕月は桜餅茶屋よし、十日頃よりは三囲の辺よし、虫の声も又よし   十四日    深川其の外諸所八幡夜宮参詣〈十五日富ヶ岡八幡はじめ八幡宮祭礼〉    すゝき売来る、枝豆売も哀れなり、蛤売も三月の如く陽気にはあらず   十五日    三囲堤月見〈十五夜〉   二十五日    亀井戸参詣   (仲秋)    此月夕暮、田家にて立をみるよし、七草いづれもよし、    は(本所)萩寺(竜眼寺)、正洞(ママ)寺、白鬚前の堤、三囲〈(下谷)正燈寺の誤記か〉    鳳仙花は哀れに美し、三ッ目橋にあり、    鶏頭、葉鶏頭皆哀れなり、    ◎、百舌鳥いと哀れなり、初雁は向島早し、    芙蓉は(向島)南蔵院にあり、木犀(モクセイ)匂ふも哀れなり、是も南蔵院に大樹あり    此月百合に似たるいと赤き花野辺に咲く、赤蜻蛉出る日風身にしみていと哀れなり    葉薑(ハショウガ)売・鯲(ドジョウ)売・梨子売・柿売・初鮭売・紫蘇売さびし    此月末絵馬売来る  △九月   八日    此夜(神田)鍛冶町辺提灯そろひ花やかなり    〈『東都歳時記』九月九日〝神田明神の産子の町々今夜より軒提灯をいだす〟とある〉   九日    (日暮里)道灌山にのぼりて遠望す、此頃田面いとめでたし    〈重陽節、高い所に登り菊花の酒を飲んで長命や息災を祈願する習わしがあった〉   十三日(仲秋の十五夜に対する後の月の十三夜)    三囲堤月見牛御前御輿出づ(牛島神社)   十四日    神田御祭礼夜宮にぎはし、牛御前夜宮本所にぎやかなり〈神田明神の祭礼は十五日〉   十六日    (芝)神明参詣〈飯倉神明宮祭礼、生姜祭りともいう〉   十七日    (下谷)燈明寺赤城明神祭礼〈『東都歳時記』は十八日とする〉   二十日    (日本橋)茅場町開帳参詣(茅場薬師)   二十五日    (上野)五條天神祭礼   晦日    龍田姫をおくる〈秋の女神・季語〉   (晩秋)    此月末、目黒詣(不動尊)にぎはし    六日七日頃、(神田)須田町にて栗の市を見る〈重陽の節句(九日)の別名は栗の節句〉    薩摩芋売・大根売・栗売・漬菜売・麹売いづれも声さびし    は黄白よし、野辺におのづから咲きたるが見まほし  △十月   六日    十夜詣あはれなり〈『東都歳時記』に「浄土宗寺院十日十夜法要」とあり〉   八日    此日より堀の内会式(妙法寺)又哀れなり   十七日    浅草十夜にぎはしけれど、猶あはれなり   十九日    夕方より伝馬町市にぎはし〈大伝馬町・通旅籠町の商家夷講の市〉   二十日    夷講陰中の陽なり、(大伝馬町)木綿店、(日本橋伊勢)いせ町辺殊によし   二十五日    池の弁天(不忍池弁天堂)、湯島参詣(天神)   (初冬)    此月、極陰にして仏事のみ多し、されど小春のけしき又なく暖かなる日なり、    紅葉は上野、(王子)瀧の川、(下谷)正燈寺、(向島)秋葉(神社)、(品川)海晏寺は葉焦げてわろし、且つ道    遠く日短くてせはし    はじ紅葉は(深川)御舟蔵、九段の上、(向島)長命寺堤よし、〈櫨(ハゼ)の紅葉〉    山茶花(サザンカ)は秋葉道、秋葉裏門通、柳島など諸所あり、    落葉は谷中辺いとおほし、(ヒイラギ)の花又淋し、水仙尤も哀れなり    さんま売・大福餅売いと哀れなり、時は極陰品は至賤、尤もにくむべきものなり    初霜、薄氷三囲堤よし    山鯨の障子、焼芋(売)のあんどう(行灯)、いと物さびしくあはれなり    〈両国の猪料理屋・ももんじやの障子行灯には「山くじら」の文字〉    胡蘿葡(ニンジン)売声、岩槻葱売声やゝ寒く聞こゆ    皮足袋、さし足袋売声いと身にしみて寒かりしが、今は絶て来らず    むき身売・牡蠣売声寒し、    干大根/\とよぶものあり、是はふとき大根の香の物の料なり、其の声いと陰気なり、はり/\(漬け)に    する干大根売の声とは、雲泥万里のたがひなり  △霜月   八日    鉄砲洲稲荷参詣〈鞴祭り〉   十五日    神田社参詣、祝ひの子供いとめでたし〈七五三の祝い〉   二十三日    報恩講にぎはし〈東本願寺、修行22-28日〉   二十六日    築地御堂詣〈西本願寺報恩講、修行24-28日〉   二十八日    節季候(セキゾロ)のはやしめでたし〈歳暮、家々を言祝ぎして回る遊芸人〉      (初冬)    此月、冬至の日、(霊岸島)新川大神宮参詣いと尊し、此日大神楽めでたし    酉のまち参詣、市のすがた有て陽気初ておこなはる〈酉の市〉    大小柱暦売声いよ/\陽気に聞ふ(ママ)、干海苔売声めでたし、こは早春をむねと売物故、春めきて聞ゆ、    冬菜売声も少し春の心地す、蜜柑売もおなじ、乾物屋に干大根かけそめたる、八百屋に三ッば、ほうれん    草などみえそむるも、春近付く心地してうれし    此月末、煤払竹切出すを見る、冬至梅鉢植めでたし、魴鮄(ホウボウ)金頭(カナガシラ)売声昆布巻売声寒けれ    ど陽気をふくめり    此月末、土の大黒に弄び金銀をそへて売る、俗ながらめでたし、小判の菓子を笹につけて売るもおかし  △極月   朔日     折違にて煤払竹市、纔にはじまる、寺僧の納豆配りさへおかし   七日    夕方、事納めの笊、家毎に出す、いとめでたし〈「お事始め」ともいう。家毎に竹の先に笊目籠を掲げる〉   十一日    浅草市地割り、商人つとめてきそひ来る、いさまし、煤払竹の市、けふあす盛りなり   十二日    四日市にて裏白、弓強葉(ユヅリハ)等の飾り物見ゆ   十三日    世間おほくは煤払、いさまし   十五日    深川市詣(八幡神社年の市)、昨日より餅舂き見え初るもめでたし、市商人浅草へ手桶笊やうのもの担ひ来    るもゆかし   十六日    浅草通市の支度、観音奥山など賑はし   十七日、十八日     (浅草年の市)めでたき事いふも更なり   二十日、二十一日    神田市(明神)又めでたし   二十五日    麹町市(平河天満宮)めでたし、此日より松飾りする家あり、いと陽気なり   二十八日    薬研堀市(不動尊)にぎはし   大晦日    尾張町、今川橋市いとめでたし、太神楽殊にめでたし、厄払いもおかし、深夜に寺々の鐘しきりに聞ゆ、    常にかはりてそれさへめでたし   (晩冬)    此月、福寿草、蕗のとう、梅鉢植えめでたし、伊勢御師暦、御払配り尊くめでたし、竈(カマド)直し、鉄網    破損直し、鏡研ぎ声よし、干大根売いよ/\春めきてよし、焼鮒売、川沙魚(カワハゼ)売よし、終夜餅搗く    声めでたし    おしつまりて、見るべき商人は、下村、松本、四方、内田、豊島屋、神明前の名古屋、茶屋の山本、日野    屋    月末に飾物売声、飾松売声、塩鰹鮭売声、餅莚(ムシロ)売声、ごまめ・数の子生干(ナマボシ)、蒸鰈(ムシガレイ)口    塩鱈売声、    晦日の夜、雑煮箸、あんも焼、団扇売声、干し芋、胡蘿葡(ニンジン)、牛蒡売声、みるとみ聞くときく程の    物心よからぬはなし、歳のいそぎ程めでたきはなし、除夜の豆穀、柊いとめでたし、厄払いもよし、又破    魔弓、羽子板売声もよし、歳徳の棚つる工匠又めでたし    絵馬売いとめでたし、屠蘇の看板めでたし、観音の札まき文おかし、大判小判の菓子うるもめでたし、昔    は歳暮のめでたり文句をうたひて女太夫ありきしが、今は絶てなし、鳥追の類にて有りしを(ママ)〟    〈女太夫は菅笠を被った門付け芸人、鳥追いは新年二日から鳥追い笠を被って門付けして回る。本文正月六日記事参照。     本記事が書かれた文化年間には師走の女太夫は姿を消したようである〉