Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ えぼり 絵彫浮世絵事典
  <彫師(板木屋)の役割分担>    A 文字彫(筆耕彫)(書物問屋があつかう儒仏経典・史書などの古典の彫刻)      (彫工が修行するには文字彫から入る。文字さへ彫れると画もまた彫れるという)    B 絵(画)彫(読本・摺物・大錦・合巻の彫刻)      別称:大錦屋、合巻屋(上掲のうち大錦・合巻の彫師を篆刻家はこう呼んでいた)      〈篆刻家とは「鉄筆を業とする仲間」。下掲「錦絵を彫る職人」(注1)参照〉     1 頭彫の仕事分担       ①顔と生え際の毛割       ②櫛笄簪などの装飾品〈下掲石井研堂によるとこれは胴彫りの分担とする〉       ③女の髪の毛がき(通し毛)       〈下掲石井研堂によると「頭の毛筋の長く通るを通し毛といふ」具体的には「水にぬれた毛、幽霊の毛、振り乱し        た毛」とある〉     2 胴彫の仕事分担       ①衣服の線       ②衣服の模様       ③背景の風景や屋台引       ④文字や図様のないところを浚って凹面にする     錦絵(多色摺)の場合、以上に加えて次のような分担がある     3 色彫 色板の彫り  ◯『浮世絵』第八号 所収(酒井庄吉編 浮世絵社 大正五年一月刊)   ◇「版画彫刻の順序」香取緑波 〈彫師 香取栄吉〉〈「丈」を「だけ」と読む場合は「だけ」と直した〉    (字彫・絵彫)   〝 単に彫刻師と申しましても、各々専門々々がありまして幾派にも分れて居ります、これを大別して、    筆耕彫(ひつかうぼり)(字彫) 絵彫との二つになります、此二派が又分れて 仮令(たとへ)ば絵彫の中    にも頭部彫(かしらぼり)、胴彫(どうぼり)とあるやうなものです、で 筆耕彫は山の手に多く居て こ    れは重(おも)に御家人の内職になつて居りました、だから一寸気位ひも高く 随て頭のある人物が多か    つた、これに引かへ絵彫の方は 宵越の銭は持たねへ云ふ生粋の職人肌で 襟附の半纏に帯は平絎とい    ふ風俗ですから、テンデ反りが合ませんでした。     そこで純粋の絵彫と云ふものは近年まで頭彫では彫勇、彫弥太と云ふ二人が残つて居りましたが 前    者は十年斗(ばか)り前 後者は一昨年、何れも故人となつた後は 殆ど錦絵彫と云ふものは絶へて仕舞    まして 今残つて居るのは皆筆耕彫系で、これが絵彫を兼業する有様となりました。    (歌川流の錦絵彫)     先づ今回は絵彫に就いて御話しをいたそうと思ひます、古への春信、湖龍、歌麿、清長、時代の彫方    と云ふものは什麼(どう)云ふ順序でやりましたか分かりませんが、矢張り我々が継承して居る歌川派の    錦絵彫と略(ほぼ)同一であつたろうと思はれます、依てこゝには其手順で御話を致さうと存じます。    (頭部彫・胴彫)   〝 前に云いました通り絵彫の中に、頭部彫、胴彫と分業になつて居ます、云ふ迄もなく頭部をやつたも    のゝ名が這入ると云ふ訳で、例(れい)せば簾吉(れんきち)、彫竹などえ、あれは頭部彫の鏘(さう)々た    るものです、よく一口に「彼奴(あいつ)は胴彫だ」と此社会から卑(いやし)められたもので、誠に詰ま    らない訳で これが本当の縁の下の力持です、そこで可笑(おかしい)のは「かしら彫」は顔面と髪の毛    だけで 若し髷に櫛、釵(かんざし)があれば その分だけは胴彫の管轄に属して居るのです、扨(さて)    これから彫方の順序に移ります〟  ◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32))    ※ 初出は『日本及日本人』229号-247号(昭和六年七月~七年四月)   △「第三部 彫刻師」「四 文字彫と絵彫」p137-8   〝彫刻には文字彫または筆耕彫というのと画彫との二ツがある。文字を彫る者は専門に文字を彫り、画を    彫る者は画ばかりを専門に彫つて居るやうに思ふ。実際も文字彫と画彫とは相分れて両立してゐるが、    彫工が修行するには文字彫から入るを例としてある。文字さへ彫れると画もまた彫れる。古来画彫で名    を成し上手と云れた彫工で文字の彫れないものはないそうで、文字が手腕を磨く土台となるのであるか    ら、之れに依つて修練を積み一人前に成るのだ。全体彫工の方では文字彫を以て斯業の上位を占め、画    彫は次位におかれている。此の画彫と云ふは読本の挿絵で、大錦即ち東錦絵などの彫刻を云ふのでない。    読本の挿画は色摺ものではない、多く墨一遍摺の絵であるが、画工が意を用ふることも他の絵よりは一    層深く、背景から模様に至るまで緻密で、何れも其の腕前を是て見てくれと云はんばかりに競ふもので    ある。彫工の方でも読本の挿画を彫るには手腕が十分に出来て、小刀の切れが自在でないと能はないの    である〟   〝錦絵を彫るのも読本の挿画を彫るのも、同じく絵を彫る画彫に違ひないが、錦絵や合巻ものゝ絵を彫る    のは、斯業者間には画彫の名は与へなかつた。彫師と云ふ名称も附せず、あれは大錦屋だと云つて、彫    工の内でも下位に置かれて居たのである〟    〈書物問屋が出版する儒仏史書等に関わる彫師と、地本問屋が出版する錦絵や合巻に関わる彫師とは、同じ彫師であり     ながら明確に区別されていたようである。これはお互いに仕事の領域を侵さないよう守っていたとも言える。ただ読     本と絵本の挿絵については、戯作者や浮世絵師の作品でも、これは書物問屋の出版でもあったから、絵彫が担当して     いたのだろう〉