☆ 天保六年(1835)
◯『増訂武江年表』2p89(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(天保六年・1835)
〝筠庭云ふ、是れも回向院に開帳の頃にや、見せものに女の足芸といふもの出る。さきに青山長谷寺に出
て後回向院に出でしなり。其の時の番附ありしが今頓(トミ)に見へず。足を手の如くに遣ふ希世のわざな
り。されど和漢ともに昔も往々あり〟
☆ 慶応二年(1866)
◯『増訂武江年表』2p203(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(慶応二年・1866)
〝今年、独楽廻し軽趫(カルワザ)技幻(テズマ)等の芸術をもて亜墨利加人に傭はれ、彼の国へ赴きしもの姓名
左の如し。是れは当春横浜に於いて銘々其の技芸を施しけるが、亜米利加のベンクツといふ者の懇望に
より、当九月より来辰年十月迄二年の間を約し傭はれけるよし也。
独楽廻し 浅草田原町三丁目 松井源水、妻はな、娘みつ、同さき、忰国太郎七歳
幻戯(テズマ) 北本所荒井町 柳川蝶十郎、神田相生町 隅田川浪五郎、妻小まん
軽趫(カルワザ)縄亘(ツナワタリ) 右浪五郎忰登和吉、三味線右浪五郎妹とら
手妻 同居浪七
こま廻し 浅草龍宝寺前 松井菊二郎娘つね八歳(世に云ふ角兵衛獅子の曲なり)
同居人梅吉、同松十、
曲持足芸 吉原京町二丁目 浜碇事定吉<、右上乗 養子長吉、同居梅吉、後見 小石川白壁町 市太郎、
上乗 龍之助、南伝馬町一丁目 吉兵衛忰兼吉、笛吹 小石川上富坂町 林蔵、
太鼓打 妻恋町 繁松等なり。
〈以下、芸の目録あり。省略〉〟
◯『増訂武江年表』2p217(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(明治元年・1868)
〝春より、両国橋詰に足芸女を見世物とす。大坂下り花川小鶴と号し、年齢二十歳計りなり(両足の指を
はたらかす事自在にして、糸車を廻し糸をとり、花瓶の花をいけ火を打ちて行燈(アンドン)へ点(トモ)し、
縫針のわざをなし、煙草をきせるへついで呑み、其の外色々の技(ワザ)をなせり。按ずるに、昔もあり
しもの也。友人楓園がもちたる二二枚折の屏風、寛永の頃の図に、四条河原の見せ物に足芸の女あり、
足の指にて矢を射る所を画けり。其の図は縮して、「声曲類纂」に収めたり)〟