Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ あらためいん 改印浮世絵事典
 ◯「錦絵の『改め印』考證と発行年代の推定法(一)」石井研堂著(『錦絵』第十五号所収 大正七年六月刊)    (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝  錦絵の検閲法     当時の検閲法は、如何のもので有つたか、之を知るに由無いが、天保十三年の條下に引いた法文と、    予の曾て故老に聞いた所を綜合して約言すれば、錦絵の発行者は、先づ其の版下(画稿)を呈出して名    主(もとは行事)の検閲に供す、名主(又は行事)が、出版発行差支(さしつかへ)なしと認めた時には、    之に所定の認印を捺して還付す、発行者は、其の許可の認印を并せて鐫刻(しんこく)し、之を紙上に明    にしたものが即ち「改め印」であつた、芝居絵などは、其の発行迅速を貴ぶので、二タ通りの画稿を作    り、一通を呈出して「改め印」を受ける間に、他の一通を雕りに廻しておくようなことも有つたさうだ。     予の所蔵に、安政ころのものと思はれる出版不許可になつて戻つた一枚の版下画が存して在る、其の    筆者はよし藤、地本問屋は文正堂、画題は、猫を三疋踏殺した裸体の男であるが、其の上部に書き加へ    た俗謡が猥褻なので、発行を許可しなかつたものと見え、其の書面を朱筆で抹消し、且つ「此絵不宜」    (このゑよろしからず)の四字を書き加へてある、想ふに、古来の検閲法、許否の法も、亦これに似たも    のであつたらう。      改め印の無い錦絵     「改め印」は、斯(か)く錦絵の発行に際して加へられた証印なので、其の発行年代を知るには、最も    考拠の料となるものである、只遺憾なことには、「改め印」の当に有るべくして見えない錦絵も多い一    事である、これ等は、何等かの例外が有つたのか、或いは版木の転売補刻など、版元の便宜の為めに、    刪除(さくじょ)されたものであり、且つ「あと摺」は新版の時ほど厳重に励行しなかつたものであらう、    又錦絵の余白を截(た)ち落されたが為めに失はれたものも有らうし、又三枚続きの一枚にだけ「改め印」    を明らかにし、他の二枚には之を略した原画の、其の略した方だけ現存するやうなものも有らう、又二    つ切三つ切等小型の錦絵は其の全紙に只一個の「改め印」有るに過ぎないので、切り離された後に、第    二第三の分は、無印となつたのも有らう、これは、広重の短冊絵などに多く見る例である。これ等の諸    欠点を見るにつけても、錦絵の完好のものと言へば、初版にして且つ摺放したまゝ、少しも手を加へな    いものでなければならず、又その様なものは、どの方面から見ても、愈尊び重んぜられるのは当然であ    る。     同じ出版ものでも、非売品の広告類のもの、同志者間にだけ頒つ摺物、火事地震流行病等随時の出来    事を図したものは、(寛政の法令中に、読売のことは見えて居るが、其の実は)無改印が常であつた。    故に本文には、自らこの錦絵以外の数種を除外してある、又団扇絵は「改め印」の様式を異にするので、    錦絵と混同して説き難く、これは別に略説しやうと思ふ。  ◯「錦絵の『改め印』考證と発行年代の推定法(五)」石井研堂著(『錦絵』第二十号所収 大正七年十一月刊)    (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝 錦絵改印の七変遷    第一期 極印の時代       (印影)前の単印時代        寛政       文化元子年   〈◯ニ「極」〉       (印影)年月の副印時代       文化二丑年    同 六巳年   〈◯ニ「極」+「年月」〉       (印影)行司の副印時代       文化八未年    同 十一戌年  〈◯ニ「極」+「行司」〉       (印影)後の単印時代        文化十二亥年   天保十三寅年  〈◯ニ「極」〉    第二期(印影)名主の単印時代       天保十四丑年   弘化四未年   〈「名主」〉    第三期(印影)名主両人双印の時代     弘化四未年    嘉永五子年   〈「名主」+「名主」〉    第四期(印影)名主両人と年月と三印の時代 嘉永五子年二月  同 六丑年十一月〈「名主」+「名主」+「年月」〉    第五期(印影)改と年月と双印の時代    嘉永六丑年十二月 安政四巳年十一月〈「改」+「年月」〉     第六期(印影)年月単印の時代       安政四巳十二月  同 五午年十二月〈「年月」〉    第七期(印影)年月改三字の一印時代    安政六年正月   明治八亥年   〈◯ニ「年・月・改」〉  ◯『黄表紙總覧』後編(棚橋正博著・日本書誌学大系48・昭和六十一年)   (享和元年刊『伊呂波短歌』(十返舎一九作・画)の備考記事)   「黄表紙で改印の有するものは寛政五年前後においては、西村屋と村田屋、和泉屋に限り、寛政十年頃に    はこれに山口屋と岩戸屋も加わる如くである」    〈『伊呂波短歌』は十丁裏に「極」印がある由〉    ☆ 寛政四年(1792)   〔国書DB〕所収の黄表紙32点中、「極」印のあるもの一点    『山入桃太郎昔噺』(村田)  ☆ 寛政五年(1793)   〔国書DB〕所収の黄表紙58点中、「極」印のあるもの三点    『朝比奈茶番曾我』(西村)『歌化物一寺再興』(村田)『酒田金時遊気の酒夢』(村田)  ☆ 寛政六年(1794)   〔国書DB〕所収の黄表紙41点中、「極」印のあるもの七点    『源平布引滝』(村田)『七々里富貴』(村田)『春遊相場将門』(村田)『歌化物一寺再興』(村田)    『酒田金時遊気の酒夢』(村田)    『冠物語』(西村)『朝比奈茶番曾我』(西村)  ☆ 寛政七年(1795)   〔国書DB〕所収の黄表紙34点中、「極」印のあるもの二点    『内辨慶勘忍帳』(西村)『桃食三人子宝噺』(村田)  ☆ 寛政八年(1796)   〔国書DB〕所収の黄表紙47点中、「極」印のあるもの一点    『㩮会入雲鳥』(村田)  ☆ 寛政九年(1797)   〔国書DB〕所収の黄表紙51点中、「極」印のあるもの二点    『金生水抜幹』(岩戸)『時花壍抜井』(岩戸)  ☆ 寛政十年(1798)   〔国書DB〕所収の黄表紙60点中、「極」印のあるもの三点   『仮名文草女忠臣』(西村)『忠信辰月夜』(村田)『化物和本草』(山口)  ☆ 寛政十一年(1799)   〔国書DB〕所収の黄表紙47点中、「極」印のあるもの一点    『絵本大江山物語』(鶴屋)  ☆ 寛政十二年(1800)   〔国書DB〕所収の黄表紙48点中、「極」印のあるもの一点    『心学芋蛸汁』(山口)  ☆ 享和元年(寛政十三年(1801)   〔国書DB〕所収の黄表紙44点中、「極」印のあるもの一点    『いろは短歌』(巻末署名の蕎麦に「極」 岩戸)  ☆ 享和二年(1802)   〔国書DB〕所収の黄表紙55点中、「極」印のあるもの一点    『絵本天神一代記』(巻末署名の上に「極」 西村)  ☆ 享和三年(1803)   〔国書DB〕所収の黄表紙56点中、「極」印のあるもの一点    『深山草化物新話』(村田)  ☆ 文化元年(享和四年・1804)   〔国書DB〕所収の黄表紙45点中、「極」印のあるもの未見  ☆ 文化二年(1805)   〔国書DB〕所収の黄表紙48点中、「極」印のあるもの一点    『怪談四更鐘』『敵討蟒蛇榎』(巻末目録に「極」 西村)  ☆ 文化三年(1806)   〔国書DB〕所収の黄表紙46点中、「極」印のあるもの未見  ☆ 文化四年(1807)   〔国書DB〕所収の合巻47点中、「極」印のあるもの一点    『諏訪湖狐怪談』(村田)一点(但し絵題簽「丁卯春新板」文化四年、序「丙寅孟春」文化三年)  ☆ 文化五年(1808)   〔国書DB〕所収の合巻78点中、「極」印のあるもの一点    『歌舞伎伝介忠義話説』(山城屋)(後編(下)絵題簽 ◯ニ極)    ☆ 天保以降  ◯『舞扇出世景清』「一勇斎国芳画」美図垣笑顔作 泉市板 〔国書DB〕極印    〈〔国書DB〕画像に刊年は見当たらない。「極」印は扉のカルタ箱にある版元名の上にあり〉     ☆ 弘化二年(1845)  ◯『吉原細見年表』(日本書誌学大系72・八木敬一、丹羽謙治共編・青裳堂書店・平成八年(1996)刊)   (吉原細見に改め名主印が入るのは弘化二年(1845)の春から)    弘化二年(1854)春 一印「普」 (普勝伊兵衛)    弘化三年(1846)春 一印「濱」 (濱弥兵衛)               秋 一印「村田」(村田左兵衛)    弘化四年(1747)春 二印「村田」「村松」(村田左兵衛・村松源六)                  「衣笠」「濱」 (衣笠房次郎・濱弥兵衛)              秋 二印「衣笠」「濱」 (衣笠房次郎・濱弥兵衛)    弘化五年(1848)春 二印「衣笠」「濱」 (衣笠房次郎・濱弥兵衛)    嘉永元年(1848)秋 二印「濱」 「衣笠」(濱弥兵衛・衣笠房次郎)    嘉永二年(1849)春 二印「濱」 「馬込」(濱弥兵衛・馬込勘解由)              秋 二印「村田」「米良」(村田左兵衛・米良太一郎)    嘉永三年(1850)春 二印「衣笠」「渡邊」(衣笠房次郎・渡邊源太郎)              秋 二印「村田」「米良」(村田左兵衛・米良太市郎)    嘉永四年(1851)春 二印「村田」「衣笠」(村田左兵衛・衣笠房次郎)               秋 二印「村松」「福」 (村松源六・福島三郎右衛門)    嘉永五年(1852)春 二印「村田」「衣笠」(村田左兵衛・衣笠房次郎)              秋 二印「渡邊」「米良」(渡邊源太郎・米良太市郎)    嘉永六年(1853)春 一印「濱」 (濱弥兵衛)              秋 三印「濱」 「馬込」/「玉山」(濱弥兵衛・馬込勘解由)    〈「玉山」は当時、吉原細見の板元であった玉屋山三郎の印。嘉永六年から改め印に変化が生じたようである〉    嘉永七年(1854)春 二印「改」「寅四」〈名主印がなくなり、「寅四」は十二支と月数〉    (安政元年)    秋 三印「改」「寅七」/「玉山」    安政二年(1855)春 三印「改」「卯正」/「玉山」              秋 三印「改」「卯七」/「玉山」    安政三年(1856)  三印「改」「辰五」/「玉山」    安政四年(1857)記載なし    安政五年(1858)春 不明    安政六年(1859)春 二印「午十二」/「玉山」              秋 二印「午七」 /「玉山」    〈安政六年は「未」年。「午十二」とあるのは五年の十二月に翌六年刊のものを改めたという意味であろうが、「午七」は     単なるミスであろうか〉    安政七年(1860)春 二印「朱十二改」/「玉山」    〈「朱」は「未」の誤植であろう。安政六(未)年の十二月に改めたという意味である〉    万延元年(1860)秋 二印「申八改」 /「玉山」    万延二年(1861)春 二印「玉山」 /「申八改」    〈万延二年の春の細見改めに「申八」万延元年八月の改めは不審である〉    文久元年(1861)秋 二印「酉七改」/「玉山」    文久二年(1862)  二印「玉山」 /「戌五改」    文久三年(1863)秋 一印「亥七改」