☆ 安政五年(1858)
◯『武江年表』斎藤月岑著
〝七月末の頃より都下に時疫行はれて、芝の海辺、鉄砲洲、佃島、霊岸島の畔に始まり、家毎に此の病痾
に罹らざるはなし。八月の始めより次第に熾(さかん)にして、江戸中并びに近在に蔓(はびこ)り、即時
にやみて即時に終れり
(物故せし著名人)緑亭川柳 山東京山 柳下亭種員 楽亭西午 一立斎広重 清元延寿太夫など〟
◯「【十方世界三仏乗主/菩提手向三服追善】冥途旅蓮台道連(よみぢのたびのみちづれ)」紀おろか作(番付)
冥途旅蓮台道連(コレラで亡くなった著名人を追悼する摺物)(国書データベース)
〝悼広重(紀おろか詠)
極楽の景色を頓に画くらん影薄墨ときえし後まで〟
〈これからは極楽の景色を画くのだろうと思いやった〉
〝狂句 かへすがへすも 柳下亭種員 (戯作の他に雑俳でも知られた存在か。享年52歳)
景画 おなごり 一立斎広重 (享年62歳)
狂歌 おしい 燕栗園千寿〟(書肆文会堂・山田佐助。享年55歳)
〝悼国郷(紀おろか詠)
立川の水かれ/\て歌川になみだの雨のいとどますらむ〟
〈国郷は国貞門人。立川は本所の立川に因んだ画姓〉
〝音曲 うりだし 竹本児玉太夫〈義太夫、未詳〉
画工 かゝつて 立川国郷 〈享年未詳〉
音曲 これハしたり 天狗連魚辰〟〈天狗連は素人芸人〉
〈評判が出始めて、いよいよこれからという矢先、無念の横死であった〉
〝書家 さかぬ 大竹蒋塘 〈享年58歳〉
画家 うちに 英一笑 〈享年55歳〉
狂歌 ちりました 六朶園二葉〟〈狂歌師・栴檀二葉、享年未詳〉
〈才能開花せぬうちに亡くなってしまった〉
◯「蓮台高名大一座」錦絵 二枚続 画工・版元不明
蓮台高名大一座(コレラで亡くなった著名人を追悼する錦絵)(日本芸術文化振興会・文化デジタルライブラリー)
〈浮世絵師では広重と国郷の像が画かれている〉
◯『寐ものがたり』〔続大成〕⑪78(鼠渓著・安政三年序)
〝いとおしや狂句の友たりし彫久も没去(ミマカ)りぬ【安政五年夏より秋にかけてころりといふ病はやる】
辞世 秋寒にきへるわか身は空蝉のおしゐ/\といふも迷か 象工庵
また
糸瓜も死水とりてある月見頃
この病気にて五代目川柳も死し、座禅堂三箱も死し、あら玉も死す
川柳もころり達磨もあら玉もころり/\となき人の数
(彫久、狂句師、西久保青松寺門前、家主・河内屋久七、象牙細工の妙手なり)〟