◯ 土平飴(明和)
土平飴(本HP「浮世絵事典」【と】参照)
◯「鎌倉節の飴」無声記(嘉永頃)(『此花』第十一号(朝倉亀三著 此花社 大正二年(1913)八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝嘉永の頃より、江戸市中に鎌倉節の飴売とて、小人大人ともに持囃されたる行商人あり、齢は四十前後
と見ゆる外、姓名は元より其住家さへ絶て知るものあらざれども、其妙音の鎌倉節み聞惚れて、何時し
か其の曲節(ふし)の名を以て、通称せられしこそ面白けれ、日々担ぎ来たる三尺の台の上には、機関仕
掛の小さき人形を据えて、歌の曲節に合して鉦打鳴らす仕掛は、児童を呼び集める趣向に過ぎざれども
弾く三味線に合せてうたひ出る艶麗の声は、かぶりし手拭の外にもれて、いつしか粋士の耳を驚かしむ
れば、今は飴商売は片手間にして、酒宴の席へも招かれて、其名は次第に高く、江戸市中に喧伝せらる
ゝに至りしかば、当時是等高名の振売を狂言に脚色(しくみ)て、喝采を博せし例なれば、野心勃々たる
若手の市村羽左衛門、如何で此好題目を見遁すべきや、この飴売を密かに我家に招きて、其曲節まはし
を習ひし上、市村座の所作事に演ぜしかば、新奇を愛づる人心、大に好評を得し礼心とて、己が紋所染
出したる仕着を、年々飴売に贈る事となりてより、当人も身の誉を打喜び、着飾りて家業に出たりしに、
以前に倍して繁昌せしは共に目出度き事といふべし〟
◯ 二上り飴(幕末~明治初年)
(『実見画録』(長谷川渓石画・文 明治四十五年序 底本『江戸東京実見画録』岩波文庫本 2014年刊)
〝二上り飴は、人物は俗なるも美声にて、三味線をかね・太鼓をあわせ、本町糸やの娘、又は金を拾ふた
ら浴衣を染な、とか抔(など)いふものを多くうたつて、趣味ある上品なものは唄はざりし。五代目菊五
郎は此あめやを演じたり〟〈幕末から明治初年にかけての見聞記〉