☆ 安政四年(1857)
◯『藤岡屋日記 第七巻』(藤岡屋由蔵・安政四年(1857)記)
◇生人形 p440
〝(安政四丁巳年二月、両国で興行の軽業師・早竹虎吉に対抗し、浅草奥山では以下の興行が行われる)
奥山生人形
細工人御馴染 竹田縫之助
大道具大工 長谷川友吉
同 竹田芳太郎
肥後熊本 秋山(一字欠)猪次郎
同 作次郎 万助
生人形細工人、熊本秋山平十郎
看板次第
新吉原遊女屋二階之処
中の町さくら、おいらん道中
田舎源氏光氏酒宴之処
招き人形
信濃や前の所、長のれん懸ヶ行灯
母にお半、下女にでつち、人形四ツ
脇に角力取二人 大形〟
◯『増訂武江年表』2p259(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(安政四年・1857)
〝正月より、浅草寺奥山に於いて、故人高屋柳亭翁が編述の稗史(ハイシ)「田舎源氏」の趣をもて作れる偶
人(ニンギヨウ)、其の余花街(イロマチ)の体(テイ)、歌舞妓狂言の偶人を造りて看せ物とす(秋山平十郎が製造
なり)〟
☆ 安政六年(1859)
◯『増訂武江年表』2p171(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝正月より、浅草寺奥山に偶人細工人肥後熊本秋山平十郎、機関細工人竹田縫之助にて、活偶人数種、又
ゼンマイからくり、宝船に七福神笑布袋等の見せ物出る(唐子の獅子舞殊に奇巧なり。笑布袋は文政三
年以来三度目なり)〟
☆ 万延元年(1860)
◯『増訂武江年表』2p179(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝三月十五日より六十日の間、浅草観世音開帳。日毎に参詣群集せり(奥山に肥後の松本喜三郎が細工に
て、三度目の活人形見せもの出る。四十八癖と号し、男女四十八種の偶人(ニンギヨウ)を見する。喜怒哀楽
の情態をうつし、さながら生ける人に向ふがごとし。招きには龍宮玉取女の形なり。又同所に秋山平十
郎が作男女相性の偶人、竹田縫之助がからくり人形の見せ物も出たり)〟
☆ 文久元年(1861)
◯『増訂武江年表』2p182(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝正月より、浅草寺奥山に於いて、秋山平十郎作加藤清正虎狩の活人形、竹田縫之助が作のからくり人形
を見せものとす。活人形は次第にたくみになりたれど、珍らしからねば見物少し〟
☆ 文久二年(1862)
◯『増訂武江年表』2p187(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝十二月より浅草寺奥山に於いて、怪談活偶人(イキニンギヨウ)見せ物出る(秋山平一郎作、ぜんまい機関竹田
縫之助細工也)〟
☆ 慶応元年(1865)
◯『増訂武江年表』2p201(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝正月、浅草寺奥山に於いて、秋山平十郎作にて十二支に因ある活人形の見せ物出る〟
☆ 慶応二年(1866)
◯『増訂武江年表』2p203(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝正月より浅草奥山見せ物、秋山平十郎活人形、竹田縫之助ゼンマイからくり等なり〟
☆ 慶応三年(1867)
◯『増訂武江年表』2p214(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
〝(四月、浅草)奥山、秋山平十郎作の活人形、竹田縫之助が細工見せもの出たれど、此の度は見物少し〟
〝六月、活偶人細工に名ありし秋山平十郎卒す〟