☆「天和元年(九月二十九日改元)辛酉」(1681)
〈浮世絵年間〉
・此年、菱川師宣の画にて『卜養狂歌集』二巻。『難字訓蒙図彙』等出版
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・二月、高田にて護国寺開創(上野国八幡別当護国寺住持法印亮賢開基、五月院家と成る)
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・山王神田の祭礼隔年に成る(是れ迄は両祭礼年毎に出でしなり)〔『増訂武江年表』〕
☆「天和二年 壬戌」(1682)
(浮世絵)
・正月二十一日、月直清親、村山座狂言の絵を画きて京都祇園社に額を懸く。
・正月、浮世草子の鼻祖と目せらるゝ井原西鶴の傑作『好色一代男』八冊出版。挿画は蒔絵師源三郎なり。
後年の江戸版は蓋し師宣の挿画なり。
・同じき正月、菱川師宣の『屏風掛物絵鑑』三巻。同じく『四季模様諸礼絵鑑』三巻。
『西行和歌修業』三巻。『当世風流千代の友鶴』三冊等出版。
・二月、師宣の挿画にて『諸国名所歌すゞめ』二冊出版。
・六月、吉田半兵衛『平家物語』十二冊に画きて出版。
・七月、菱川師宣『狂歌旅枕』二冊、及び『貞徳狂歌集』三冊に画きて出版〔以上六項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
・草双紙(赤本)出版(1点)
画工名未詳 『たからねずみ』〔「日本古典籍総合目録」〕
(一般)
・四月、琉球人来聘(正使名護王子)
・八月、朝鮮人来聘(正使尹趾寛、副使李彦綱、従事朴慶俊、本誓寺を旅館とす)〔以上二項『増訂武江年表』〕
〈李進熙著『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社学術文庫)は、正使を尹趾完、副使を李彦綱、従事を朴慶後
とする〉
☆「天和三年 癸亥 五月閏」(1683)
(浮世絵)
・正月、師宣の挿画にて『定家藤川百首』出版。
・二月、吉田半兵衛の挿画にて、山八の『風流嵯峨紅葉』四冊、
又菱川師宣の挿画にて『日蓮聖人註画讃』二巻出版。
・五月、師宣画の『花鳥絵つくし』『美人絵つくし』
吉田半兵衛挿画の『歌仙金玉抄』『嶋原大和こよみ』出版。
・七月、師宣の画にて『岩木絵つくし』三冊。『百人一首像讃抄』出版。
・九月、吉田半兵衛の挿画にて『有馬名所鑑』出版〔以上五項『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「天和年間記事」
(浮世絵)
・此頃、杉村治信なる浮世絵師ありて『古今男』といへるものを画けるも、其伝詳ならず
(一般)
・大屋形船を停めらる。東国丸(浅草橋大船始め也)、神田市丸(神田一の大船)、熊一丸(座敷九間、
台所一間有りし也)、分けて大船なり。其の余、楼船の名、「紫の一本」「江戸砂子拾遺」等にあり
・この頃 土佐節浄るり流行す
・此の頃はやりし唄比丘尼の内、神田めつた町(多町なり)より出づる、永玄、お姫、おまつ、長伝と
いふが名とりにてありしとぞ。しゆすか羽二重の投頭巾をかぶるによつて、これを繻子鬢(シユスビン)
と名づけたり。又宝永の頃までありし、綿摘といひしも土妓にてありし
・池の端の錦袋円(キンタイエン)行はる〔以上四項『増訂武江年表』〕