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浮世絵師総覧正徳元年(宝永八年・1711)~五年(1715)浮世絵年表一覧
   ☆「正徳元年(四月二十五日改元)辛卯」(1711)   (浮世絵)   ・四月、八文字屋自笑の浮世草子『傾城禁短気』六冊出版。挿画は西川祐信ならん〔『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、宮崎友禅歿せりといふ。(友禅は染工にあらず、扇工なり)〔『【新撰】浮世絵年表』〕    (一般)   ・十月、朝鮮人来聘(正使趙泰億、副使任守幹、従事李邦彦なり。旅宿是れ迄本誓寺なりしが、深川へ引    きたるがゆへ、今年よりは東本願寺と成る)〔『増訂武江年表』〕    ☆「正徳二年 壬辰」(1712)     〈浮世絵年間〉   ・此年、西村重長十六歳にて画ける『死霊解脱物語』出版。本書原版は元禄三年なれども此年再版にあた       りて重長の挿画にて刊行せるなり。重長此時仙花堂と号せり〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「正徳三年 癸巳 五月閏」(1713)   (浮世絵)   ・正月、石川流宣の画作『吉原七福神』五冊出版。流宣此時躍鴬軒と号せり   ・三月、光栄といへる者の草花絵本『福寿草』三冊出版〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・六段本にて近藤清信と署せる挿画にて『源平両輪后』。又懐月堂風の挿画にて『たるいおせん江戸物ぐ    るい』あり〔『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・二月、二挺立、三挺立の船を禁ぜらる   ・四月、木挽町山村長太夫芝居にて、助六の狂言始めて興行す〟〔以上二項『増訂武江年表』〕    ☆「正徳四年 甲午」(1714)     (浮世絵)    ・増訂武江年表に八月二日画家菱川師宣卒七十七歳とあり。信じ難けれども参考までに暫く爰に載す   ・正月、松根高當の画ける『雛形祇園林』出版   ・三月、懐月堂安慶(俗称源七)伊豆の大島に流刑。蓋し俳優生島新五郎事件によりてなり。同時に木挽       町山村長太夫芝居断絶せり   ・五月、橘守国の『絵本故事談』八巻出版せり〔以上四項『【新撰】浮世絵年表』〕      ・〔只補〕八月二日、画家菱川師宣卒す(七十七才)〟    〈〔只補〕は関根只誠の補注である。斎藤月岑の記事ではない。只誠は何を典拠としたのものであろうか。『原色浮世     絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」は過去帳から、元禄七年(1694)六月四日没、享年未詳とする〉     〈浮世絵年間〉   ・此年、奥村政信の挿画に成る六段本『愛護の若』あり〔『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・三月、木挽町六丁目、山村長太郎芝居断絶(この時俳優生島新五郎、八丈島に謫せらる。かの島にて、    「釣鰹からし酢もなき涙かな」。「江戸真砂六十帖」に云ふ、(以下略))   ・十一月、琉球人来聘(正使与那城(ヨナグスク)王子、金武(キン)王子)〔以上二項『増訂武江年表』〕    ☆「正徳五年 乙未」(1715)   (浮世絵)   ・九月、西山淡水の画ける『絵本良材』十巻出版     〈浮世絵年間〉   ・此年、川島叙清の挿画に成れる『それ/\草』二冊及び『和漢合類絵本鑑』五巻あり    〔『【新撰】浮世絵年表』〕  ☆「正徳年間記事」     (浮世絵)   ・浮世絵師菱川師宣、正徳中七十余歳にして終れり(薙髪して友竹といへり)。また懐月堂(号安慶、称    源七)この頃行はる(誠云ふ、懐月堂は浅草蔵前に住ひす〔『増訂武江年表』〕   ・此頃、古山師重歿す。(俗称太郎兵衛、菱川師宣の門人にして始め菱川姓を冒せるも、後本姓古山と称       せり。門人に同姓師政)〔『【新撰】浮世絵年表』〕