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浮世絵師総覧明和元年(宝暦十四年・1764)~八年(1771)浮世絵年表一覧
   ☆「明和元年(六月二日改元)甲申 十二月閏」(1764)   (浮世絵)   ・正月、鳥居清秀の画に成れる黒本『車塚曽我物語』       鳥居清倍の画に成れる青本『尋陽江世猩々』       鳥居清重の画に成れる『三鱗あけほの染』出版       勝川春水の『絵本万葉集』       石川豊信の『絵本江戸紫』       月岡丹下の『絵本源氏山』『名数和歌選』       月岡錦童の『画本蘭奢待』出版   ・十二月、鈴木春信の『絵本花葛羅』        北尾雪坑斎の『絵本草錦』出版〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、奥村政信歿す。行年七十九歳(或はいふ、明和五年二月十一日同じく七十九歳にて歿せりと)。    政信は原来書肆にして通油町奥村屋源六即ちこれなり。菱川師宣・鳥居清信等の絵を私淑して学びたる    ものゝ如く、又文字もありて著書あり、挿画も自ら成し、其著書は先に散見せるが如し。通称源六の外    源八ともいひ、芳月堂・丹鳥斎・文角・梅翁・親妙等の号あり。其才早熟にして三十歳前より盛んに製    作し、晩年に至りて却つて其作稀なり)〔『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・二月十六日、朝鮮人来聘(正使鄭尚淳、副使李仁培、従事洪楽仁、東本願寺旅宿)    〈李進熙著『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社学術文庫)は、正使を趙曮、従事を金相翊とする〉   ・三月六日、上野に曲馬あり。諸人見物す   ・十一月、琉球人来る。正使読谷(ヨミタン)王子〔以上三項『増訂武江年表』〕    ☆「明和二年 乙酉」(1765)   (浮世絵)   ・正月、石川豊信の『絵本千代の春』、『絵本喩問答』       北尾雪坑斎の『絵本綟摺草』『絵本恵の海』       勝間龍水の『山幸』       北尾重政の画に成れる『漢楚軍談絵尽』出版   ・二月、勝川春水の『絵本紅梅武者』出版   ・七月、月岡雪鼎の画作『如月百人一首競鑑』出版〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、版木師金六彩色摺を創む。蓋し曲亭馬琴・北村節信等の説。    〈大田南畝の反論あり。「浮世絵用語」の「色摺」「紅摺」「見当」の項参照〉   ・此年、絵暦多く出づ〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     ◎草双紙(黒本・青本)出版(全55点)(そのうち画工名・刊年の明確なもの)    富川房信画 『扇絵物語』・『大野長者物語』・『寿天香久山』・『白梅泰平衩』・『提彦松浦軍記』          『小山田求女塚語』・『狐馬乗出世寿』・『つれづれ絵尽』・『名筆倶梨加羅丸』          『胴丸鎧軍記』・『三ツ巴勇力始』〈富川吟雪と同人〉    鳥居清満画 『出雲於国 芝居始』・『越後国夜都業油』・『根元草摺曳』・『佐々木三郎藤戸日記』          『忠臣仮名書初』・『東山獅子谷物語』・『都鳥艶物語』丈阿作    鳥居清経画 『鉢かつき嫩振袖』    富川吟雪画 『上総木綿』〈富川房信と同人〉〔「日本古典籍総合目録」〕     (一般)   ・三月七日、講釈師深井志道軒終(オ)ふ(名栄山、号無一堂と云ふ。もとは知足院の僧也。衒艶郎(カゲマ)    に惑溺して財を失ひ、後、浅草花川戸戸沢長屋といふ所に住み、浅草寺境内に於いて軍書を講ず。其の    間に戯言を交へ人をして絶倒せしむ。一座に僧と女あれば、必ず譏る事甚だし。日々多くの銭を得ると    いへども、すべて酒にかへて翌日の蓄へをなさず。在世の日、自ら肖像を画きて梓に上(ノボ)せ、戯言    を書きつけて人に与ふ。「元なし草」と云ふ草紙一冊を著す。今年八十四歳にして終れり。浅草中金剛    院に葬す。一男一女あり。男(ムスコ)を三之介といふ。諢名(アダナ)を志道軒三之助と称しけるとなん。志    道軒が歌とて聞へしは、     辞世 思ふ事あるもうれしき我身さへ心のこまの世につながれて        東よりぬつと生れた月日さへ西へとん/\我もとん/\   ・滋野瑞竜軒といふ講釈師も共に行はれし也。其の男甚蔵、父の名を継ぎて舌耕せり〟   ・六月より、平井満右衛門といふ者、深川州崎の東に汐除(シオヨケ)土手、長さ十七町余高さ一丈二尺、敷六    間馬踏貳間を築立て、新たに二十万坪余の地を開き、翌戌年七月二十四日より塩を焼き始む。この所を    平井新田といふ。江戸より見物の人夥しいかりしが、安永に至り間もなく止みたり(此の所遊観の所と    成りて、大紋屋といふ料理屋も出来て行はれたり)〟   ・(八月)芝浦より一丈余の魚上る。後、両国橋畔にて見せ物とす。色白く鱗なし。鮫の類なり。名をマ    ンボウと云ふ〔以上四項『増訂武江年表』〕    ☆「明和三年 丙戌」(1766)     (浮世絵)   ・正月、鈴木春信の『絵本さゞれ石』       北尾重政の『絵本初日山』『絵本深みとり』       北尾雪坑斎の『絵本盤手山』『女七宝操庫』       京都の絵師下河辺拾水の『絵本二葉松』       大阪の絵師探古斎の『初心墨画草』出版   ・七月、月岡雪鼎の『画本操草』出版。   ・九月、北尾雪坑斎の『倭百人一首玉柏』出版〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・二月二十九日、堺町鬢付(ビンツケ)油の店(音羽屋)より失火して両座の芝居類焼し、大風にて焼け広が    り囚獄(ロウヤ)の辺に至る〔『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉   ・亀戸竜眼寺庭中に池辺に、数株の萩を栽ゑたり。是れより毎年盛りの頃、貴賤遊覧の地と成る(寿阿弥    奝師の説に、此の時代迄の、当時の辺に盗賊徘徊して行来の人の衣類を剥ぎ取りける故、剥寺(ハギデラ)    と異名しけるを、寺主悪名を嘆きて、萩を栽ゑて萩寺と呼ばしめしといへり。しかるや否をしらず)     筠庭云ふ、萩寺寿阿弥が説、聞き伝へしことあるなるべし。〔『増訂武江年表』〕    ☆「明和四年 丁亥 九月閏」(1767)   (浮世絵)    ・正月、鈴木春信の『絵本千代の松』『絵本春の友』『絵本童の的』       勝川春水の『絵本金平武者』、北尾重政の『絵本多武岑』出版   ・二月、下河辺拾水の『絵本福緒縮』出版。   ・九月、北尾雪坑斎の『色彩画選』(この書フキボカシの彩色にて世に彩色摺の嚆矢なりなどいふ説あり)       『絵本文武談』『女類題小倉錦』出版。〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉    ☆「明和五年 戊子」(1768)     (浮世絵)   ・正月二十七日、英一蝶の養子一舟歿す    (『増訂武江年表』〝称弥三郎、名信種、号東窓翁。二本榎承教寺中顕乗院に葬す〟)   ・正月、鈴木春信の『絵本続江戸土産』(正編は西村重長の画にして宝暦三年の出版なり)『絵本八千代       草』       北尾重政の『絵本吾妻花』『絵本藻塩草』『画本歌雅美久左』       下河辺拾水の『絵本高名鑑』       馬淵忠治の『絵本軽口福笑』       柳原源次郎の『絵本武者録』出版       〈柳原源治郎は蔀関月の別称〉   ・名人忌辰録に二月十一日奥村政信歿すとあり。蓋し疑あり、明和元年の歿なるべし    〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、大雅堂の画作なりといふ『春臠拆甲』あり、挿絵は純浮世絵なり。〔『【新撰】浮世絵年表』〕      (一般)   ・四月六日、暁八ッ時、吉原江戸町貳丁目より出火、大風にて廓(クルワ)残らず、五十軒道まで焼亡す(明    暦丁酉の災後、当所に移りて後、火災たま/\有りしが、悉くはやけず。今年廓中のこらず焼けたり。    九郎介稲荷のみつゝがなし。仮宅(カリヤ)を並木町、今戸、橋場、山谷、新鳥越へ出して百日の間商売せ    り)    〔以上二項『増訂武江年表』〕    ☆「明和六年 己丑」(1767)     (浮世絵)   ・正月、北尾重政の『絵本浅むらさき』『絵本勲功艸』       鈴木春信の『絵本武の林』       石川豊信の『絵本八代の春』       下河辺拾水の『倭詞接木花』       北尾雪坑斎の『都百題女訓網目』等出版。〔『【新撰】浮世絵年表』〕   ・四月八日より湯島社地にて、和泉石津大社笑姿(エミス)開帳(式内の神といひ、社人石津連と云ふ。この    時、巫女二人みめよきを択みて舞はす。名をおなみ、おはつと云ふ。鈴木春信錦絵に多く画けり。     筠庭云ふ、「半日閑話」には、このゑびす開帳二月四日とあるは非なるにや。巫女はふり袖の上にち     はやを着たりとかや。神楽みこの美を択ぶこと、是れなん俑(ヨウ)をなしける    〔『増訂武江年表』〕   ・六月、娘評判記発禁   〝明和六年六月、此節娘評判甚だしく、評判記など写本にて出る。読売歌仙などにして売りあるく、公よ    り之を禁ず(半日閑話)    これは当時の娘評判記を、一枚或は二枚の粗末なる版行摺にして、市中に読売せしを禁止せしといふ事    なり     〔頭注〕娘評判の大流行時代    『寸錦雑綴』に『風流娘百人一首』の摸刻絵一葉を掲出し、尚     明和六己丑、大江都に名高き妓女或は茶店の少女を集めて見立三十六歌仙といひて売りありきしとな    むとあり、また当時江戸の三美人とて名高かりし谷中笠森稲荷の茶屋鍵屋の娘お仙、浅草楊屋の娘お藤、    同茶屋蔦屋お芳などの姿絵を     浮世絵師 鈴木春信    が江戸絵として版行せしも、此時代なりしなり、その娘評判記のはやりしこと推して知るべし    〔『筆禍史』「娘評判記」〕   ・七月、馬淵仲二の『絵本若菜種』出版〔『【新撰】浮世絵年表』〕   ・十月、『明和妓鑑』発禁   〝太(ママ)田南畝(蜀山人)の随筆『半日閑話』明和六年の條に「十月、此節役者評判記を武鑑になぞらへ    て梓行す、明和妓鑑と名づく、公より是を禁ず、実は塗師方棟梁栗本兵庫の作、手代かはりて遠島せら    るといふ」とある、是は江戸三座と称せられた中村座、市村座、森田座の役者及び狂言作者、囃子方、    芝居茶屋等を武鑑に擬して著作したのを、幕府では、河原乞食の事を天下鎮撫の武家に擬して述作する    などは、公儀を畏れない不届至極の者なりとあつて、出版即時に発売禁止を命じ、作者淡海の三麿とは    何者かと糾問し、実は栗本兵庫の著作なれども、手代何某主人に代つて其罪を受ける事になり、その何    某が遠島流刑に処せられたと云ふ事である、此『明和武鑑』といふのは、半紙四ッ折の小形本であつて、    総数七十四枚ある、画者の名は署して無いが、勝川春章の筆らしい云々(此花)〟    〔頭注〕「明和妓鑑と勝川春章」    〝(*序文あり、省略)著者淡海三麿の長き序あり、此序の文字も浮世絵師勝川春章の筆蹟に似たり、     挿画と共に此序もかきしなるべし     明和妓鑑の版元は 本町四丁目 書栄堂 伏見屋清兵衛〟〔『『筆禍史』「明和妓鑑」〕
    『明和伎鑑』 淡海三麿著・勝川春章画?(東京大学付属図書館・電子版「霞亭文庫」)     〈浮世絵年間〉    ☆「明和七年 庚寅 六月閏」(1770)     (浮世絵)   ・六月十五日、浮世絵師、鈴木春信卒す。五十三歳〔『増訂武江年表』〕     ・正月、鈴木春信の画に成る『よしはら美人合』四巻       勝川春章一筆斎文調の合筆に成れる役者似顔絵本『絵本舞台扇湖三巻。       鈴木鄰松の筆に成れる『一蝶画譜』。       柳原源次郎の『絵本深山猿』『増補国見山』等出版。   ・十二月、石川豊信の『絵本あけぼの草』三巻出版。〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・六月十九日より八月中旬迄、回向院にて、嵯峨釈迦清凉寺釈迦如来開帳   ・十一月、市谷長延寺にて、雲州釈迦嶽雲右衛門大関と成り、雷電為右衛門、一世一度の相撲興行    〔以上二項『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉   ・此の頃、とんだ茶釜といふ諺はやる。或ひは云ふ、明和七年二月、大隅といひし妓(オンナ)なるよし、人    みな見にゆく。名づけて茶がま女といふ。錦絵に出る。又云ふ、笠森お仙他に走りて、跡に老父出居る    を戯れにいへることゝかや。二説に何れか是なる。思ふに延享二年の春の「時津風」といふ発句集は、    江戸の名物を集めたるなり。其の中に「炉開きや二階にとんだ茶釜かな」といふ句見えたれば、前説は    うけがたし。〔『増訂武江年表』〕    ☆「明和八年 辛卯」(1771)     (浮世絵)   ・正月、鈴木春信の『絵本春の錦』、       北尾重政の『絵本さかえぐさ』       宮川春水の挿画に成る『役者名物袖日記』       橘珉江の画ける『職人部類』       柳原源次郎の画ける『絵本倭詩経』       大阪の陰山梅好の滑稽画『狂歌浪花丸』等出版   ・十月、月岡雪鼎の画ける『和漢名筆金玉画譜』六巻出版   ・十一月、下河辺拾水の画ける『興歌百人一首嵯峨辺』出版〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・四月二十三日、暁寅刻、吉原揚屋町より出火、廓中焼亡(此の時も九郎介稲荷の社残る。今戸端辺両国    辺へ仮宅を補(オギナイ)理(オサメ)て商売せり〔『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉   ・東埔塞瓜(カボチヤウリ)の小さきを唐茄子(トウナス)と号してはやり出す〟   ・薬研堀といへるは、米沢町一丁目、二丁目、三丁目の地先に在りし入堀なりしが、今年六月より十一月    迄に埋立て、其の頃町屋と成り、薬研堀埋立地と号す(筠庭云ふ、この入堀の中程に橋ありて、其の詰    に物もらひの尼、常に居りたれば、此の橋を俗に尼がはしと呼べりとぞ。又、此の埋立地に其の時、大    坂下りの曲馬出て、見物多く大評判なりしとぞ)   ・是の年、不忍池へ木にて造れる亀をはなし、糸を出し是れをあやつる。山下亀屋の寄進なり    〔以上三項『増訂武江年表』〕    ☆「明和年間記事」     (浮世絵)   ・浮世絵師、勝川春章(門人数多あり)、一筆斎文調、磯田湖竜斎、柳文朝、小松屋百亀等行はる。   ・画家 狩野栄川院、鈴木𥻘松、吉田蘭香、佐脇嵩之、三輪花信斎、諸葛藍(文静斎と云ふ。花鳥上手、    門人に劉安生あり)。   ・土平といふ飴売はやる。谷中笠森稲荷境内の茶屋鍵屋おせん、浅草奥山銀杏木の下楊枝店柳屋のおふぢ、    美女の聞えあり(春信の錦絵に多く画けり)。   ・曲亭云ふ、明和二年の頃、唐桟の彩色摺にならひて、板木師金六といふもの板摺某にかたらひ、板木へ    見当を付くる事を工夫し、始めて四、五遍の彩色摺を製し出せしが、程なく所々にて摺出す事となりぬ    と云々(蜀山翁云ふ、此の説非也。見当を付くる彩色摺は、延享元年江見屋吉右衛門工夫を始めとすと    云へり)     筠庭云ふ、彩色摺のはじめは紅絵なり、四、五遍の彩色にてありしは、延享元年奥村文角が画など見     ゆ。かゝれば蜀山の説なかへり。さて、此の処其のよき方の説を細注とし、悪しき誤説を本文とした     るはいかにぞや。若し其の誤説をもしるさば、それを挙げて、さてこれを非としたる説を、本文にか     くべきなり。其の上、この年間のくだりにはしるすべきに非ず。馬琴が誤説を信じて、明和の条にし     るせるなり〔以上四項『増訂武江年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・俳諧 蓼太、存義、買明、沽山、田社、宝馬、露十。   ・三井親和が篆書行はれしより、親和染めとて篆字のかすれたる形を染物にする事行はる。又、婦女の衣    類表は無地にして、裏に模様を付くることはやる   ・細身の脇差はやる(武家にも細心刀を用ひしもありしが、天明より止む)〟   ・明和二年の頃、大坂人形遣ひ吉田文三郎、同文吾抔(ナド)下りし頃、彼が風を見習ひて羽織の丈再び長    きを好みけるが、程なく短く成れり。   ・二挺鼓(ツヅミ)はやる。   ・朝鮮の弘慶子といふ薬売り市街をあるく(柿色筒袖衣類、竹の子笠の先尖りたるをかぶる)   ・大晦日の夜、扇売りの声かしましかりしが、此の時代より次第に止みたり    〔以上七項『増訂武江年表』〕