Top浮世絵年表浮世絵文献資料館
 
浮世絵師総覧万延元年(安政七年・1860)浮世絵年表一覧
 ☆「万延元年(三月十八日改元)庚申 三月閏」(1860)   (浮世絵)   ・十二月十七日、大阪の暁鐘成歿す。行年六十八歳。(本姓は木村、俗称弥四郎、名は明啓、暁晴翁、鹿           の屋真萩、漫戯堂等の号あり。戯作狂歌を能くし、又浮世絵を画けり。丹波福地山に遊           び藩主の失政あるを見て、人民の為に訴状、檄文等を草し、獄に投ぜられ、遂に獄中に           死せりといふ)〔『【新撰】浮世絵年表』〕   ・三月、画人高島千春卒す(八十一歳、薙髪して融斎鼎湖)〔『増訂武江年表』〕               四月、川鍋暁斎の『暁斎画譜』。       玉蘭斎貞秀の画ける『横浜土産』出版       松川半山の画ける『三国高僧図会』出版〔以上一項『【新撰】浮世絵年表』〕      〈浮世絵年間〉    此年、国芳の門人一宝斎芳房歿す。行年二十四〔『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・二月二日より五十日の間、本所押上春慶寺普賢菩薩開帳   ・二月二十三日より六十日の間、深川永代寺に於いて、遠州豊田郡山東村光明山鎮守摩利支天火防光明大    権現開帳   ・二月二十八日より六十日の間、深川浄心寺に於いて、洛北実相院宮南御殿(法円山証光寺)天拝朝日妙    見菩薩、子安鬼子母神開帳   ・三月朔日より六十日の間、市谷八幡境内茶の木稲荷社開帳   ・三月三日、上巳佳節、朝より雪降り積る。外桜田に於いて悤劇の事あり(他書に見えたればこゝにしる    さず)   ・三月十日より六十日の間、回向院に於いて、野州安蘇郡彦間村大正院根本山神本地薬師如来開帳       ・三月十五日より六十日の間、浅草観世音開帳。日毎に参詣群集せり(奥山に肥後の松本喜三郎が細工に    て、三度目の活人形見せもの出る。四十八癖と号し、男女四十八種の偶人(ニンギヨウ)を見する。喜怒哀楽    の情態をうつし、さながら生ける人に向ふがごとし。招きには龍宮玉取女の形なり。又同所に秋山平十    郎が作男女相性の偶人、竹田縫之助がからくり人形の見せ物も出たり)   ・四月朔日より八月晦日迄、富士山へ男女登る事をゆるさる。諸国より参詣夥し    ・五月、角筈村十二社権現境内に花菖蒲を栽うる。遊観多し(一両年にして廃れたり)   ・五月十五日より六十日の間、回向院に於いて、京都嵯峨清凉寺釈迦如来開帳。(中略)境内見せ物多く    出でし内、傀儡師(クグツ)の大人形は坐像にて高さ三丈余なり。腹の中より座敷をせり出し、又浄るりの    出語(デガタリ)をなす。又松本喜三郎作怪談其の外の活人形も出たり   ・浅草奥山に、箒を以て十余間のを作りて見せ物とす〟   ・〔無補〕六月十日、浮世絵師一宝斎芳房歿す(二十四歳、国芳門人なり)   ・六月十五日、山王権現祭礼、当年より旧例の如く車楽、附祭伎踊、邌物、御雇独楽廻し等出て御城内へ    入る。異国人辰の口御作事方定小屋に於いて見物をゆるさる   ・〔無補〕七月十一日、アメリカより豹渡来(吹上に於いて御覧あり)   ・七月の末、浅草寺二王門の傍に見せ物出る。変死人或ひは幽霊等の作りものなり   ・七月下旬より、両国橋西詰にてを見せ物とす。見物群集す(蘭人持渡る所といふ。身丈四尺余もある    べし。尾は三尺に余れり。去年十一月に生れて、纔(ワズカ)に九ヶ月に及ぶといふ。鶏狗の類生餌(ナマエ)    を食す)   ・八月二十七日曇、南風烈しく扇(アオ)ぎしが、暮六時、猿若町一丁目勘三郎が芝居の後ろ茶屋奴利屋栄助    宅より失火して、二丁目三丁目もともに三座の芝居焼亡す。(中略)    (山谷拍戸(リヨウリヤ)八百屋善四郎焼くる)   ・十一月、三座芝居顔見せ狂言なし〔以上十八項『増訂武江年表』〕  ☆「万延年間」      記事なし