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浮世絵師総覧享保元年(正徳六年・1716)~二十年(1735)浮世絵年表一覧
 ☆「享保元年(六月二十二日改元)丙申 二月閏」(1716)     (浮世絵)   ・正月、大森善清の画ける『新うす雪物語』五巻出版   ・七月、河邊隆為の画ける『親鸞上人絵詞伝』三冊出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保二年 丁酉」(1717)     (浮世絵)   ・正月、吉川盛信の画ける『忠義太平記大全』十二巻(吉川盛信は京都の浮世絵師にして通称半次といへ       り)、       羽川珍重の画ける狂言本『柏木右衛門古今集』『富士権現筑波の由来』出版      〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保三年 戊戌 十月閏」(1718)   (浮世絵)   ・正月、中路定年の『対類二十四孝』出版   ・五月、染物絵師井村勝吉の『絵本稽古帳』三巻出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・十一月、琉球人来聘(正使越来王子)〔『増訂武江年表』〕    ☆「享保四年 己亥」(1719)   (浮世絵)   ・正月、橘守国の画ける『唐土訓蒙図彙』十五冊出版       川島叙清の挿画になる『それ/\草』三巻出版   ・五月、鳥井清朝の画ける『俳諧田植塚』二巻出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此頃より和泉屋権四郎紅彩色の絵を売り始む。即ち紅絵の始まりなり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕       (一般)   ・九月、朝鮮人来聘(正使供(ママ)致中、副使黄(王偏+盾)、従事李明彦等なり、旅宿東本願寺、此の時       韓人曲馬に乗るを見て、徂徠先生詩を賦せり。先生の文集に出版たり)〔『【新撰】浮世絵年表』〕    〈李進熙著『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社学術文庫)は、正使を洪致中、副使を黄璿とする〉     〈一般年間〉   ・江戸町火消いろは組はじまる 〔『増訂武江年表』〕    ☆「享保五年 庚子」(1720)   (浮世絵)   ・正月、羽川珍重の挿画ある『吉原丸鑑』三巻出版   ・六月、大岡春卜の『和漢筆画本手鑑』六巻出版   ・九月、橘守国の『絵本写宝袋』九巻出版 〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此頃、菱川師房歿せりといふ   ・『色伝授』絶版   〝『月堂見聞集』に享保五年八月十八日口触として左の一條あり     一 頃日色伝授と申す草紙板行致、不埒成事有之様に相聞候、絶板商売停止申付候條、右草紙取あつ       かひ仕間敷旨、洛中洛外へ可触知者也    風俗を紊すものとしての禁買なるべし〟〔『筆禍史』「色伝授」〕    〈この「洛中洛外」とあるからこの「口触」は京都市中に対するものであろう〉     ・草双紙(赤本)出版(1点)    画工名未詳 『福神寿命袋』〔「日本古典籍総合目録」〕    ☆「享保六年 辛丑 七月閏」(1721)   (浮世絵)   ・正月、奥村政信の『若草物語』二冊       石河流宣の『関東和讃(口偏+息)題目』出版       羽川珍重の赤本『三国志』、       奥村政信の六段本『頼光山入』等出版〟〔『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・「草双紙(赤本)」出版    羽川珍重画『三国志』〔「日本古典籍総合目録」〕    ☆「享保七年 壬寅」(1722)   (浮世絵)   ・正月、京都の浮世絵師川嶋重信の画ける『守武世中百人一首絵抄』(川嶋重信は西川祐信門人にして柳       花堂又一々堂等の号あり。当時の八文字屋本の挿画の署名なきもの多くは此重信の画なり)出版。       俳人水間沾徳の撰に成る俳書『俳度曲集』に英一蝶・鳥居清信、狩野興栄等画きて出版せり。       近藤清春(清春は鳥居清信の門人にして俗称助五郎といひ、当時の六段本に多く画けり)六段       本『新田四天王』に画きて出版。    十二月七日、時の奉行より男女心中の読売禁止を布令せり。    又同じき十六日の布令中に、「只今まで有来り候板行物の内好色本の類は風俗の為にもよろしからざる    儀に候間早々相改め絶板可仕候事」といへる箇條あり。(天野信景の塩尻に「享保七、此冬難波京師東    都に令して春絵(マクラヱ)楽事(カウシヨク)凡時尚の俗書板行を禁したまへり」とあるは蓋し此の事をいへるな    り)〔『【新撰】浮世絵年表』〕〈下記『筆禍史』参照〉    ◯『筆禍史』「色伝授」p46   〝好色本禁止令(享保七年)    春画好色本の出版は寛永年間以来行はれたれども、当時は未だ何等んお取締令あらざりしかば、著画者    及び版元は公然其実名を著して出版し、書肆亦之を公然売買したりしが、此年の至りて幕府は初めて左    の如き令を発せり    一 唯今迄有来候板行物ノ内好色本之類ハ風俗之為ニモ不宜儀ニ候間、段々相改絶板可申附候事(享保      七寅年十一月)    此令の発布によりて、従来売買せし好色本は、爾後禁止となりしかば、卑猥の挿絵なき好色本は、改題    して好色の二字を削り去れり、彼の井原西鶴著にして貞享元年出版せし『好色二代男』を『諸艶大鑑』    と改題し、同三年出版せし『好色五人女』を『当世女容気』と改題し、元禄元年出版せし『好色盛衰記』    を『西鶴栄花話』と改題したりし類は、皆これが為めなり、然り而して、其好色の二字を削り去りて、    幸に絶版の厄を免れ得たりしならんが、其改題前の好色本は勿論、改題もせざりし公刊の春画好色本は    此時悉く絶版となりしものと見て可なるべし     此好色本禁止令と同時に、諸種の出版取締令も亦発布されたるなり   〔頭注〕好色本禁止令の年代    大久保葩雪氏編『浮世草子目録』中貞享三年の項に     本年遂に好色本差止めの令は当路の有司より下りぬ    とあれども、貞享三年とするは誤なるべし、元禄年間は最も盛に公刊され、宝永正徳の末までも、好色    何々と題せるもの多く公刊されたり、尚又改題して好色の二字を削りしも、元禄後の事たりしなり      出版物取締令    享保七年十一月、好色本禁止令と共に発布された諸種出版物取締令は左の如し      新板書物之儀ニ付町触    一 自今新板書物之儀、儒書仏書神書医書歌書都テ書物類、其筋一通リ之事者格別、猥リ成儀異説ヲ取      交作出候儀、堅可為無用事    一 唯今迄有来候板行物之内、好色本之類ハ風俗之為ニモ不宜儀ニ候間、段々相改絶板可申付候事    一 人之家筋先祖之事抔ヲ彼是相違之儀共、新作之書物ニ書顕シ世上流布候有之候、右ノ段自今御停止      候、若右之類有之、其子孫ヨリ於訴出ハ急度吟味有之筈ニ候事    一 何書物ニヨラズ此後新板之物、作者並板元実名奥書為致可申事    一 権現様之御儀者勿論、惣而当家之御事板行書本自今無用ニ可仕候、無拠子細モ有之バ、奉行所へ訴      出差図請可申候事    一 右の趣ヲ以、自今新作之書物出候共遂吟味可致売買候、若右定ニ背候者有之バ奉行所へ可訴出候、      経数年相知候共其板元之問屋共ヘ急度可申付候、仲間致吟味違犯無之様可相心得候〟    ☆「享保八年 癸卯」(1723)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の画ける『百人女郎品定』二巻出版。板元は京都の八文字屋八右衛門なり    〈下記『筆禍史』「百人女臈品定」参照〉     ・二月、土佐派の画家奥山常則の画ける『澄禅和尚行状記』三巻出版   ・十一月、菊岡沾涼の俳書『百華実』に鳥居清信画きて出版。他の多くは素人の俳画なり〟    〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、懐月堂歿せりといふ説あり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕     ・草双紙(赤本)出版(全6点)    画工名未詳 『きん平大力』『舌切雀』『とりをひ』『福神ゑづくし』『もゝ太郎』『八嶋』    〔「日本古典籍総合目録」〕    ◯『筆禍史』「百人女臈品定」p47   〝宝暦七年、馬場文耕筆記『近世江都著聞集』英一蝶の項に曰く、    百人女臈の絵共を本として、其後洛陽西川祐信といへる浮世絵師、好色本枕絵の達人といはれしが、或    年百人女臈品定といふ大内の隠し事を画き、其後夫婦契ヶ岡といふ枕絵をいふ枕絵を板木にして、雲の    上人の姿をつがひ絵に図し、やんごとなき方々の枕席、密通の体を模様して、清涼殿の妻隠れ、梨壺の    かくし妻、萩の戸ぼそのわかれ路、夜のおとゞの妻むかへと、いろ/\の玉簾の中の、隠し事を画きし    に因て、終に公庁に達して、厳しき御咎にて、板を削られ絶板しけるとかや、是世人の多く知る所也云    々    又渓斎英泉著『無名翁随筆』に曰く、    西川祐信、古今比類なき妙手なり、春画は此人より風俗大に開けたり、百人美女郎とて、雲上高位の尊    きより、賤のいやしき迄、各其時世の風俗を写し画き分たり、後又是を春画にかきしかば、罪せられし    と云、筆意骨法狩野土佐の二流をはなれず、委く画法にかなひし浮世絵師は此人に限れり、或人の蔵書    に、祐信、画の事にて罪せられし事を書きたるものを見たりしが、書名を忘れたり云々    此両記事によれば、西川祐信は始め『百人女臈品定』といふ普通の絵本を出版せしめ、後又其図を春画    に画きかへて出版せしめしが為め、罰せられたりと云ふにあり、    然れども、春画の『百人女臈品定』といふ版本あるを聞かず、其絶版となりしは享保八年正月出版のマ    ジメなる絵本『百人女臈品定』なるべし、同絵本は、上は女帝皇后より下は湯女鹿恋いの買女に至るま    での風俗を描出したるものなるが、河原者を小倉百人一首に擬したりとて、絶版となりし前例もあれば、    至尊高貴の方々を賤しき買女等と共に画き並べたるは上を畏敬せざる仕業なりとて、公家より絶版を命    ぜられたるならん。然るに之を春画のためと伝ふるに至りしは同人が春画の妙手なりと云ふに付会せし    説ならん乎、講釈師馬場文耕の記述は所謂見て来たやうな嘘なるべし。      〔頭注〕百人女郎品定    マジメの『百人女臈品定』女臈にあらずして女郎と書けり     禁庭に百官百寮の座をわかてり、百敷の大宮人とは訓つゞけり、美女に百の媚あり云々    といへる八文字舎自笑の序文ありて大和画師西川祐信と署せり、大本二冊にて版元は京麩屋町通誓願寺    下ル町の書肆八文字屋なり    其画様は茲に模出せるが如きものにして別に説明文附けり〟    『百人女郎品定』 西川祐信画 (早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」)    ☆「享保九年 甲辰 四月閏」(1724)   (浮世絵)   ・正月十三日、英一蝶歿す。行年七十三歳。近世奇跡考に英一蝶伝を載していはく、諸書にのする所誤す    くなからず。且つ漏らせる事多し。案るに一蝶承応元年摂州に生る。父を多賀伯菴と云、某侯の侍医な    り。一蝶寛文六年十五歳の時江戸に下り。狩野安信を師とす。姓は藤原、多賀氏、名は信香、一に安雄、    幼名を猪三郎と云、後に次右衛門といひけるよし望海毎談に見ゆ。或云、助之進、剃髪して朝湖と称す、    翠蓑翁・牛丸(ウスマロ)・暁雲堂・旧草堂・一蜂閑人(後門人にゆづる)・一閑散人・鄰樵菴・鄰濤菴・北    窓翁等の諸号あり。書を佐玄龍に学びて後一家の風をかきて書名あり。俳諧を芭蕉に学び、其角・嵐雪    等と交り深し。俳号を暁雲、又和央(洞房語園)と云。元禄十一年十二月(元禄八年とするは非なり)    呉服町一丁目新道に住し時、故ありて謫せらる。時に四十七、謫居にある事十二年、宝永六年九月(宝    永四年とするは非なり)帰郷して後、英一蝶と称し、北窓翁と号し、深川長堀町に住みぬ(人物志)享    保九年甲辰正月十三日病みて歿せり。享年七十三。二本榎承教寺(日蓮宗)塔中顕乗院に葬る。法名英    受院一蝶日意。辞世、まきらかすうき世の業の色とりもありとや月の薄墨の空。                            門人養子続師家     英一蝶 ────────┬───────── 一舟【名信種号東窓翁、俗称弥三郎、明和五年】              │ 男二世                 ├ 一蝶【名信勝、俗称長八】              │ 次男                 └ 一蜩【俗称百松又源内、一説ニ号弧雲】    正月、英一蝶の画『類姓草画』出版。    五月、大阪の画工望月勘助、都良香を画きて京都祇園社に額を懸く。    〔『【新撰】浮世絵年表』〕〔下記『古今諸家人物志』参照〕      ◯『古今諸家人物志』「英画」〔人名録〕③346(奥村意語編・明和六年十一月刊)   〝英一蝶     暁雲堂、称北窗翁     姓多賀、名信賀、字暁雲、号一蝶      英氏、又称簑翠翁 又号潮湖斎     摂州の人、石川侯命を以て、狩野安信に師として事ふ。意匠運筆巧妙にして、遂に一家の作る。更に先    生画温良而して細密滋潤に而曽て妙処を竆き。承応三甲午年に生る、摂州に於在二子、長男長八、次男    源内。遂に先生病没す。時に享保九年甲辰正月十三日、享年七十一歳。居東武、初深川長掘町。墓は東    武麻布二本榎常教寺寺内顕乗院に葬る。明和六年迄四十五年に成る。      辞世曰    まぎらわす浮世のわざのいろどりもありとや月のうす墨の空〟     〈浮世絵年間〉   ・草双紙(赤本)出版(全4点)    画工名未詳 『おくりの判官』『四天王の始』『びじん』『福神ゑづくし』〔「日本古典籍総合目録」〕    ☆「享保十年 乙巳」(1725)   〈浮世絵年間〉   ・享保九年は如何なる年なりしか、江戸にては此年正月に出版の絵入本殆ど無く、僅に日本橋升屋五郎右    衛門より、京の鴬といへる者の作、『狂歌仙』といへる二巻ものあるのみなり〟〔『【新撰】浮世絵年表』〕     ・草双紙(赤本)出版(1点)    画工名未詳 『とんさく新じ口』〔「日本古典籍総合目録」〕    ☆「享保十一年 丙午」(1726)   (浮世絵)   ・正月、江月堂の挿画に成れる『発句百人染』二巻出版〟〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保十二年 丁未 正月閏」(1727)     (浮世絵)   ・二月、橘守国の画本『画典通考』十巻出版。   ・九月、大阪の染物師中嶋丹次郎の画ける『絵本心の種』三巻出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、近藤清春、赤本『猿蟹合戦』の目附絵を画きて出版。又京都の浮世絵師川嶋叙清、祇園の百合女       の歌集『さゆり葉』に挿画して出版せるあり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕      ・草双紙(赤本)出版(全3点)    近藤清春画『大友真鳥』『猿蟹合戦』『目附絵』〔「日本古典籍総合目録」〕    ☆「享保十三年 戊申」(1728)   (浮世絵)   ・正月、近藤清春『諸芸評判金の揮(ザイ)』を画きて出版。板元は奥村源六なり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保十四年 己酉 九月閏」(1729)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の『絵本答和鑑』三巻。『教戒女家訓』三巻。近藤清春の挿画ある『伊勢物語』二巻出       版   ・六月、石仲子守範の画ける『画図百花鳥』五冊(守範は浮世絵師にあらず、狩野探雪の門人にして生国       は下野なり)   ・七月二十八日、鳥居清信歿す。行年六十六歳。(清信は清元の子にして庄兵衛と称し、画は父及び菱川    師宣等に学びし如く、父清元にまさり出藍のほまれあり。鳥居家中清長以前にては最も重きを置かるゝ    人にして、芝居狂言絵としては清信の右に出づる者無かるべし。二代清信ありといふも詳ならず、門人    にては奥村政信・近藤清春等その最たる者なるべし)   ・十月、片岡喜平の画作『絵本愛子車』三巻出版 〔以上四項『【新撰】浮世絵年表』〕    〈「日本古典籍総合目録」は『絵本愛子車』の作者を片岡某とするのみ。また刊年も記載せず。片岡喜平の名で5点ほ     どあがるが、いずれも著作で作画はない〉     〈浮世絵年間〉   ・此頃、川嶋重信歿せりといふ 〔『【新撰】浮世絵年表』〕   ・草双紙(赤本)出版(1点)    近藤清春画『象のはなし』〔「日本古典籍総合目録」〕     (一般)   ・五月、交趾(コウチン)国の>鄭大威といふ者、広南国の産大象渡す(去年六月長崎へ牡牝二匹を渡す。牝は長    崎に於て斃る。今年四月牡一匹を大坂へ牽き来たり、同月京都へ入り、大内へ牽く。五月二十五日江戸    へ着す。牡は中野にありしが寛延中に斃る。其の骨今も中野宝泉寺にあり。この時京師にて縉紳家の御    歌あまたありし中に、世に賞美し奉りしといへるは、      竹の葉をかふけたものゝまつやこし実をはむ鳥もまたぬ御代とて  烏丸光栄卿    この時、中村三近が編の「象の貢」、白梅園が「象貢珍記」、又編者知らず「象志」などゝいふ書印行    せり。江戸の俳人仙鶴が句に、「今やひく富士の裾野のかたつむり」。山王御祭礼の時、麹町より大象    作り物いだす事、この時のまねびなりといへり)   ・七月、吉原仲の町の燈籠を出す(角町中万字屋の名妓玉菊といへるもの、享保十一年午三月二十九日死    せり。今年三回忌にいたり、盆中霊をまつるとて、仲の町俵や虎文、揚屋町松屋八兵衛などいへる者此    の事をはじむ。始めは切子どうろうにてありしが、小川破笠が奇巧より次第にたくみになりしといへり。    ことし「玉菊追善袖さらし」といへる河東節の上るり、竹婦人の作にて行はれたり)     筠庭云ふ、此の燈籠玉菊が追善に始まれりとは、普くいへることながら非なるべし。其の考「嬉遊笑     覧」にあり。開き見るべし 〔以上二項『増訂武江年表』〕    〈喜多村筠庭の『嬉遊笑覧』は文政十三年(1830)の序〉    ☆「享保十五年 庚戌」(1730)   (浮世絵)   ・正月、京都の絵師川枝豊信の挿画に成れる『からくり訓蒙鑑草』三巻       大阪の絵師長谷川光信の画ける『絵本御伽品鑑』三巻出版。(光信は柳翠軒と号し、大阪車町に       住し、狂歌を鯛屋貞柳に学び文筆もいさゝかありたるものゝ如し)   ・二月、小川破笠英一蜂の挿画に成れる元祖市川団十郎追善の書『父の恩』二巻出版。本書彩色摺にし       て珍しきものなり。世に彩色摺の絵本の嚆矢は延享三年の大岡春卜の摹になれる『明朝紫硯』な       りなどといふ説あれば、該説を破するに好料材といふべし   ・八月、西川祐信の『絵本常盤草』三巻。橘守国の『絵本通宝志』九巻出版   ・九月、中島丹次郎の画ける『雛形宿之梅』三冊出版   ・十二月、高木貞武の画ける『野山の錦』二巻出版〟〔以上五項『【新撰】浮世絵年表』〕   〈漆山天童は『父の恩』を彩色摺り出版の嚆矢とする。これについて鈴木重三氏は「図形を彫りこなす技術はある水準に    達していたが、これに色面を加えて版画美を形成する技法は、まだ会得されていなかったとみられるのである」として    否定的である。(「『父の恩』と『わかな』の版画技法 ―彩色摺りの問題を中心に―」(『絵入俳書集』「日本古典    文学影印叢刊31・昭和61年刊」)所収)〉     〈浮世絵年間〉   ・草双紙(赤本)出版(1点)    画工名未詳 『ねうみ文七』〔「日本古典籍総合目録」〕    ☆「享保十六年 辛亥」(1731)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の画ける『絵本喩艸』三巻(絵本答話鑑の後編なり)、       中路定年の画作『画本図貨』三巻出版 〔『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、近藤清春の挿画ある『酒餅論』『当流小謡断錦集』あり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保十七年 壬子 五月閏」(1732)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の画ける『女中風俗玉鏡』二巻。『咲顔福の門』五巻       高木貞武の『絵本御伽草』三巻出版    五月、俳士豊嶋露月の撰俳書『倉の衆』三冊出版。福王雪岑・二代英一蝶・懐月堂・指水等の挿画なり    七月、染物絵師野々村通正の『雛形染色の山』三冊出版〟〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保十八年 癸丑」(1733)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の『絵本美奈能川』三巻出版   ・九月、俳士露月撰の『絵本東名物鹿子』三巻出版(英一蝶・福王雪岑等の挿画あり)    〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、川島叙清の挿画にて『商人軍配記』出版せり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保十九年 甲寅」(1734)   (浮世絵)   ・正月、奥村政信の『絵本金龍山浅草千本桜』二巻       西川祐信の『最明寺殿教訓百首』三巻       高木貞武の『絵本武勇誉艸』三巻出版   ・七月、長谷川光信の『絵本武勇力艸』三巻出版   ・八月、高木貞武の『画本和歌浦』三巻出版 〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・二月二十日、行徳高谷村の浜鯨二ッ流れ寄る(五尋二尺)。両国橋辺広場に出して見せ物とす    〔『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉   ・大坂豊竹肥前掾(ノジヨウ)江戸へ下り、是れより義太夫節の浄るり大いに行はる。肥前掾は延享中芝居座    元と成る 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保二十年 乙卯 三月閏」(1735)   (浮世絵)   ・正月、橘守国の画ける『謡曲画誌』十巻出版   ・四月、野々村忠兵衛の画ける『絵本道知辺』出版。光琳風の模様画にて染物に応用せり   ・七月、橘守国の『扶桑画譜』五巻出版〟〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、川島叙清・川枝豊信等歿せりといふ。いづれも行方不明なり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「享保年間記事」     (浮世絵)   ・浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川    吟雪房信等行はる 〔『増訂武江年表』〕       ・草双紙(赤本)出版(全6点)    近藤清春画『鼠花見』・『富貴長命丸』・『文福茶釜』    藤田秀素画『桃太郎』〔「日本古典籍総合目録」〕       ・草双紙(黒本・青本)出版(1点)    画工名未詳『総角助六狂言之記』〔「日本古典籍総合目録」〕     (一般)   ・(享保十八年刊『江戸名物鹿子』より、同時代の名物)    塩瀬饅頭、本町色紙豆腐、味噌屋元結、本郷麹室、歌比丘尼鬢簓、油町紅絵、白木呉服、本町益田目薬    五霊香、破笠塗物、清水夏大根種、勧化僧、赤坂左たばこ、浅草茶筌、芝三官飴、横山町花蓙織、弥左    衛門町薄雪せんべい、浅草簑市、こん/\妨、吉原朝日のみだ、さん茶女郎、目黒飴、駒込富士団扇、    麹町助惣やき、てうし蝶、髭重兵衛が飴、赤坂鍔、長坂元結、松井源左衛門居合、佃島藤、吉原太神楽、    麹町獣、湯島唐人祭のねりもの、浅草柳屋挽伍倍子、両国の幾世餅 〔『増訂武江年表』〕