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浮世絵師総覧慶応元年(元治二年)~三年(1865~1867)浮世絵年表一覧
 ☆「慶応元年(四月七日改元)乙丑 五月閏」(1865)   (浮世絵)   ・六月、橋本貞秀の画ける『絵本孫子童観抄』出版〔『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此頃より、絵合流行し、此年芳幾・是真・京水・幾丸・鳥居清満(六代歟)鄰春・玄魚等の合作『花吹    雪』二冊出版、蓋し絵合なり     (一般)   ・正月十一日、狂歌師梅の屋秣翁死す(六十二歳、称吉田佐吉、一号鶴寿、神田佐久間町住。辞世 爪づ    くがさいご此の世の暇乞ひま行駒の送り狼)    ・正月、浅草寺奥山に於いて、秋山平十郎作にて十二支に因ある活人形の見せ物出る   ・六月二十八日より六十日の間、本所回向院境内に於いて、奥州金花山大金寺の本尊自然木八臂弁才天開    帳あり。(中略)(開帳中寺内に大なる仮屋を構へ、渡辺捨次郎といふ者曲馬の芸をなす。見物多し。    その外、力持怪談人形などいふ物見せたり)   ・七月中三十日間、三田台町薬王寺祖師開帳   ・九月十日より十日の間、猿若町一丁目中村勘三郎が芝居寿狂言興行す(去年六十一年目に当るを延ばし    たるなり)    ・九月十五日、神田明神祭礼。本社には仮の祭典のみにして神輿も出ず、恒例の執行なし。幕府の御進発    御留守故也。然るに産子町々の内、作事の職人其の余遊侠の党竊(ヒソカ)に議して、車楽(ダシ)数輌、伎    踊(オドリ)邌物(ネリモノ)等を催し、十四日より町々を渡し、十五日にた筋違橋御門の内に揃ひて、御茶の    水通りより本郷通り、本社の前を曳渡しければ、本社の賑ひ見物の群集、錐を立べき所なかりし。然る    に官府より御沙汰ありて、各貲贖銭(アガナイセン)を命ぜられたり 〔以上六項『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉   ・今年(忌辰を失す、声云ふ、四月十三日歿、画人谷口月窓卒す(九十一歳、名世達、号孟僊、痴絶庵、    勢州山田寂照寺の月僲師の門人にして、善く師の画かれし人物の骨格山水等之風趣をうつしける人なり。    伊勢の産にして壮歳の時江戸に下れり。晩年薩州侯の芝邸に住し、又目黒村に住せり)   ・大坂の浄るり語り竹本対馬太夫江戸に下れり。諸人競ふて聴聞す    〔以上二項『増訂武江年表』〕    ☆「慶応二年 丙寅」(1866)   (浮世絵)   ・四月、立祥広重の画ける『江戸方角名所杖』二冊。   ・五月、一魁斎芳年の『一魁斎漫画』出版。   ・十二月、松川半山西川祐春の画ける『京みやげ』東山の部出版 〔以上三項『増訂武江年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・正月より浅草奥山見せ物、秋山平十郎活人形竹田縫之助ゼンマイからくり等なり   ・二月、茅場町薬師境内花角力殊の外繁昌す   ・三月、南伝馬町三丁目東の横町に住する救火(ヒキシ)傭夫(ニンプ)の頭と唱へし金太郎(町火消せ組の鳶頭な    り)といふ者、近頃世に行はるゝ寄せ場といふを開き、家号を佐の松と称へ、間口十一間半奥行九間余舞    台四間余、三方二階桟敷を構へたり。歌舞妓狂言を催し、俳優は少年の男子にて十七、八歳より十二歳を    限りとし、又年わかき女子も交り、各無言にして浄るり語りの詞により口を動し、物いふさまして芸をな    す。世に綽名して活人形と云ふ。江戸第一の大寄(オオヨセ)と称して、見物日毎に群集しけるが、制度に触る    ゝ事ありて三月の末興行を停められ、罪科に処せられたり(俳少年は駒雀、玉子、駒次郎などいふもの上    手分なり)   ・浅草御蔵前へ活人形見せ物出る。膝栗毛弥二北八の人形、亦遊女浴湯裸の姿を見する   ・(四月)近き頃より弁当屋といふ者(行厨(ワリゴ)に比して調理し、重箱へ詰めたる物なり)はやり出し    けるが、次第に行はれ、商ふ家数軒に及べり    ・五月より両国橋の東詰に於いて、西洋伝来木匠(ダイク)の器械を見せ物とす(多くの車を以て板を挽割り或    ひは錐揉(キリモミ)等なして穴を穿つの奇巧なり。されど見物甚だ少かりし故、間もなく止む)   ・六月二十日より六十日の間、本所回向院に於いて、三河国勝鬘皇寺聖徳太子像開帳あり(境内見せ物、曲    馬、力持、活人形、笑話家肖像、牛若丸、僧正坊、天狗、熊坂長範なり、細工人淡野当久平)   ・八月の頃より、浅草御蔵前に場を張りて、天神小僧となづけたる男児出て、文字の曲書(キヨクガキ)をなす。    生年七歳、桶川宿の生まれといへり、容貌も醜くからず、姓名は聞かざりし。逆筆、左文字或ひは手巾を    もて頭へ筆を結へつけ、又は臂へはさみて書す。見物の好により真草、逆筆(ギャクヒツ)等自在に書す。奇と    いふべし   ・十一月末より、猿若町三丁目守田勘弥が芝居にて、大仕かけ土間の真中より橋をせり上る   ・十一月、三芝居顔見せ狂言興行なし。茶屋錺り物もなし 〔以上十項『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉   ・今年、独楽廻し軽趫(カルワザ)技幻(テズマ)等の芸術をもて亜墨利加人に傭はれ、彼の国へ赴きしもの姓名左    の如し。是れは当春横浜に於いて銘々其の技芸を施しけるが、亜米利加のベンクツといふ者の懇望により、    当九月より来辰年十月迄二年の間を約し傭はれけるよし也。     独楽廻し  浅草田原町三丁目 松井源水、妻はな、娘みつ、同さき、忰国太郎七歳     幻戯(テズマ) 北本所荒井町 柳川蝶十郎、神田相生町 隅田川浪五郎、妻小まん     軽趫(カルワザ)縄亘(ツナワタリ) 右浪五郎忰登和吉、三味線右浪五郎妹とら     手妻    同居浪七     こま廻し  浅草龍宝寺前 松井菊二郎娘つね八歳(世に云ふ角兵衛獅子の曲なり)           同居人梅吉、同松十、     曲持足芸  吉原京町二丁目 浜碇事定吉、右上乗 養子長吉、同居梅吉、後見 小石川白壁町市太郎、           上乗 龍之助、南伝馬町一丁目 吉兵衛忰兼吉、笛吹 小石川上富坂町 林蔵、           太鼓打 妻恋町 繁松等なり     〈以下、芸の目録あり。省略〉   ・牛を屠りて羮(アツモノ)とし商ふ家所々に出来たり。又西洋料理と号する貨食舗所々に出来て、家作西洋の風    を模擬せるものあり    ・西洋絹布毛氈の類、諸器物等商ふ店次第に増えたり   ・菖蒲屋和佐之介となのれる女太夫、諸流の浄るり語り分と号し、はやり小唄をさへ取り交へて諸所の寄せ    場へ出て行はれたり。内藤新宿茶屋の娘なるよし 〔以上四項『増訂武江年表』〕    ☆「慶応三年 丁卯」(1867)   (浮世絵)   ・菊川英山歿す。行年八十一。(英山は渓斎英泉の師なり。名俊信、俗称は近江屋万五郎、重九斎の号あ    り。錦絵に美人を画けるを見れども、図書には稀に見るところにして、文久三年七十七の高齢を以て画    来たる『江戸大節用海内蔵』といへる大本二冊あり)   ・十月九日、鳥居清行歿、行年三十二〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     ・正月、川鍋暁斎の画ける『能画図式』出版。   ・二月、芳幾、幾丸、其他素人数十名の合作に成れる絵合『端月集』出版。   ・四月、綾岡是真の画ける『俳諧歌広幡集』出版。   ・五月、橋本玉蘭斎の画ける『英名百雄伝』二編出版   ・十月、葛飾為斎の画ける『山水花鳥早引漫画』出版 〔以上五項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・二月十日、初午稲荷祭、世上一統執行なし。三月末又は四月に執行(トリオコナ)ふ   ・(四月、浅草)奥山、秋山平十郎作の活人形竹田縫之助が細工見せもの出たれど、此の度は見物少し    ・五月八日より六十日の間、牛込原町円福寺に於いて、中山法華経寺鬼子母神開帳   ・(五月)文字鏁(モジクサリ)の童謡(コウタ)行はる   ・(五月)下賤の婦女簪を二本をつかねて頭へさすものあり。めをとざしといふ   ・此の頃(五月)、西洋の傘を用ふる人多し。和俗(コウモリガサ)といふ。但し晴雨ともに用ふるなり。    始めは武家にて多く用ひしが、翌年よりは一般に用ひる事になる   ・六月、細工に名ありし秋山平十郎卒す   ・(九月)鉄砲洲海岸築地船松町二丁目十軒町続き御軍艦操練所の跡へ、異国人の旅館を建てられ、且つ    貿易の所とせらる(蛮名ホテルといふ)。翌年夏の頃に至り大抵成就し、大廈甍を列ね、丹漆(タンシツ)黝    堊(ユウアク)を以て装飾す    ・九月十五日、神田明神祭礼神輿行列のみにして、昼四時頃神田橋を入り常盤橋を出て、夫よりは例の道    筋を渡しまゐらす。夕八時、還御あり。産子町々車楽ねり物等更にこれなし 〔以上八項『増訂武江年表』〕     〈一般年間〉  ☆「慶応年間記事」