☆「寛保元年(二月二十七日改元)辛酉」(1741)
(浮世絵)
・正月、西川祐信の『絵本朝日山』三巻出版。
・三月、西川祐信の『絵本千代見艸』三巻出版〟〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「寛保二年 壬戌」(1742)
(浮世絵)
・正月、西川祐信の『絵本和泉川』、『絵本姫小松』等出版
・二月、西川祐信の画ける『女教文章鑑』出版。此画の口絵彩色摺なり
・五月、高木貞武の『絵本勇武誉草』出版。〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
・奥村利信歿す。行年三十五(利信は漆絵を多く画ける浮世絵師なれども、其伝記詳ならず、蓋し政信の
子なるべし)
・此年春日の大宮若宮の大祭礼ありて、五月藤惇の画作を出版せり。板元は奈良の伊勢屋庄六なり。
〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「寛保三年 癸亥 四月閏」(1743)
(浮世絵)
・六月、西川祐信の『絵本大和錦』三巻出版 〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・閏四月、勧進比丘尼中宿を停めらる(寛保元年の頃、ある比丘尼、八官町にて、桜田辺の武士と倶に情
死せり。しかりしより比丘尼町中へ出る事を止め給ひし由也。「江戸真砂」六十帖に云ふ、神田より出
るを上とし、早稲田下谷竹町本所あだけを下とす。宿は新和泉町を上とし、八官町を中とし、其の余浅
草門跡前、京橋太田やしき、同心町所々へ出る。頭巾は黒縮緬加賀笠なり。正徳二年より俄に浅黄木綿
の頭巾になる。上の比丘尼は子びく尼二人つれる。全盛目をおどろかしけると云ふ)
筠庭云ふ、比丘尼の事御触は、是れより先宝永三亥にもありしなり。比丘尼情死の事、猶ふるくは
「吉原徒然草」に、源太郎といふ比丘尼、米屋のむすこと情死したる由見ゆ 〔『増訂武江年表』〕
☆「寛保年間記事」
(浮世絵)
(一般)
・宮寺の地に、山猫となづけし茶屋女房所々に多かりし〟