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浮世絵師総覧寛延元年(延享五年・1748)~三年(1750)浮世絵年表一覧
 ☆「寛延元年(七月十二日改元)戊辰 十月閏」(1748)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の『絵本貝歌仙』『絵本花の鏡』『絵本十寸鏡』出版。       又北尾辰宣の画ける『小倉塵』出版(北尾辰宣は大阪の画工にして雪坑斎と号し擅画云々と署せ       る人なり)。       又山本重春画作『紅皿缺皿昔物語』あり。蓋し黒本なり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此頃、橘守国歿す。行年七十歳。(守国は狩野派の画工鶴沢探山の門人にして浮世絵にはあらざれども    よく風俗人物を画き、時の浮世絵画家に関係ある人なり。大阪の人にして、楢村氏、名は有税、通称弁    次といひ、後素軒と号せり。)   ・此年、長谷川光信の画ける『大学倭絵抄』出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・五月、朝鮮人来聘(正使洪啓禧、副使南泰、従事曹命菜。旅宿東本願寺あんり。真狂金啓升といふ人、    浅草寺閻王堂の額を書す)    〈李進熙(巳が己)著『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社学術文庫)は、従事を曺命采とする〉   ・十二月、琉球人来聘(正使具志川王子)〔以上二項『増訂武江年表』〕    ☆「寛延二年 己巳」(1749)   (浮世絵)   ・正月、寺井重房の『絵本浜真砂』、       西川祐信の『絵本小倉山』『絵本武者備考』『絵本勇武鑑』出版。   ・二月、西川祐信の『雛遊の記』『貝合の記』出版。   ・七月、橘守国の『有馬勝景図』出版。   ・九月、橘守国の『運筆粗図』出版 〔以上四項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、読本の嚆矢とせらるゝ、大阪の都賀庭鐘(近路行者と号す)の作『古今奇談英草紙』出づ。挿画    は大阪の画工竹原春朝斎信繁ならん 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「寛延三年 庚午」(1750)   (浮世絵)   ・正月、鳥居清満の画作黒本『化物義経記』(清満の画作黒本は延享四年に既に『振袖蝉丸対面の琵琶』       あり。)       西川祐信の『絵本垣衣草』、       寺井重房の『絵本千賀浦』、       北尾辰宣の『絵本信夫摺』『絵本教訓草』、       大岡春卜の『和漢名画苑』出版   ・九月、法眼周山の『和漢名筆画英』出版   ・十二月、攖(エイ)寧斎温然の鞘画『鏡中図』出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕  ☆「寛延年間記事」   (一般)   ・延享四年三月頃より、不忍池新たに築地出来て、茶店、楊弓、講釈場等建てつらね繁昌し、又寛延二年    弁財天の島より西茅町の裏へ板橋を四ッ折にして架(ワタ)す。水にうつりて八ッに見ゆ。依りて八ッ橋と    いへり。然るに池の鯉多く死せる由にて、頓(ヤガ)て毀(コボ)ち取らる〟   ・此の時代より開帳場に神仏によらず(ノボリ)を立てる事始まれり(筠庭云ふ「操(アヤツリ)外題(ゲダイ)年    代記」、享保十六年五月、国姓爺三度目、天満のひいき組より芝居の表に幟を立てるといへり。やゝふ    るくより稀には有り也)   ・傀儡師(クグツシ)、江戸の方言に山猫といふ。一月に七、八度づゝ同じ所を廻りしが、此の時代より絶え    たり〟   ・宗十郎頭巾はやり出す。筠庭云ふ、(中略)「芝居役者伎芸故実」に、宗十郎頭巾は故助高屋、いまだ    宗十郎といひし時、梅の由兵衛にて被りしより今に其の名を残すといへり。いとゞ忌はしき物なり    〔以上四項『増訂武江年表』〕