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浮世絵年表
浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
寛永元年(元和十年)~二十年(1624~1643)
浮世絵年表一覧
☆「寛永元年(二月三十日改元)甲子」(1624)
(一般)
・二月十五日より中橋に於て、
中村勘三郎
歌舞伎芝居
始めて興行す(此の時櫓は上げしかど、仮建にてあ りしとぞ) ・十二月、朝鮮人来聘(正使通政太夫鄭岦、副使通訓太夫姜弘重、従事辛啓栄)
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・目黒村不動堂御再建 ・東叡山寛永寺御建立 開山慈眼大師 ・道本山霊巌寺開創
〔以上三項『増訂武江年表』〕
☆「寛永二年 乙丑」(1625)
(必要とするデータなし)
☆「寛永三年 丙寅 四月閏」(1626)
(一般)
・寛永三年十一月十日、烏丸大納言光広卿御下向の序(ツイデ)、江戸須田町を通り給ひし頃、平親王の古 墳あるを見給ひて、帰京の後、勅勘の儀やゝ久しければ、勅免あらん事を奏聞ありて、同年十二月九 日勅免ありしかば、神田の社内にまつりけると云々 ・十月、
吉原
五町の家々、全く普請成る(すみ町は京橋のすみ町より今年引越したる町なり)
〔以上二項『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・亀戸天満宮鎮座
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永四年 丁卯」(1627)
〈浮世絵年間〉
・此年、算書『塵劫記』の挿画
彩色摺
のものあり
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・三月、源通村卿御下向あり(浅草瑞竜山興雲寺竜岳和尚へ遣はす) 紫の色にしさきて武蔵野のゝ草のゆかりの床(トコ)なつのはな
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永五年 戊辰」(1628)
(一般)
・十二月、斎藤徳元(医師にして連歌をよくす)関東へ下り、馬喰町二丁目に居す(中略) 江戸にて句集を梓に行ふ事、この人に始れり
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永六年 己巳 二月閏」(1629)
(一般)
・六月上旬より、目黒村不動尊諸願成就するよしにて、俄に江戸中老若男女群集す
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・今年より武家かた辻番を置かる。端々に於いて辻斬りありし故とぞ
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永七年 庚午」(1630)
(一般)
・六月、琉球人来聘。 ・八月、山王社御造営。 ・十二月、八丁堀より出火、禰宜町、長谷川町、吉原町類焼
〔以上三項『増訂武江年表』〕
☆「寛永八年 辛未 十月閏」(1631)
(一般)
・四月二日、浅草寺炎上
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・東叡山に大仏像(丈六釈迦)造営あり。 ・清水観音堂営建
〔以上二項『増訂武江年表』〕
☆「寛永九年 壬申」(1632)
〈一般年間〉
・中村勘三郎が芝居、中橋より禰宜町へ移る(今の人形町なり) ・是年江戸地図開版
〔以上二項『増訂武江年表』〕
☆「寛永十年 癸酉」(1633)
〈一般年間〉
・
都伝内
芝居御免ありて興行す(其の地未詳)
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永十一年 甲戌 七月閏」(1634)
〈浮世絵年間〉
・此年、
北村忠兵衛
、京都清水寺に末吉船を画きて額を掛く 六段の浄瑠璃本『はなや』二冊出版、
丹緑
の小本なり、作者は薩摩太夫にして版元は西洞院さうしや太 郎右衛門なり
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・七月、琉球人来聘(正使佐敷王子金武王なり、京二条まで来る)
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・王子権現社、芝神明宮、西久保八幡宮、目黒不動堂等御造営あり(何れも御再建なり) ・品川妙国寺本堂、五重塔、二王門御再建 ・平塚明神社御建立。秋に至りて成就す ・当年より山王御祭礼備はり、大祭礼と成る ・
村山又三郎
芝居、葺屋町に於て始て興行(
市村羽左衛門
が祖なり)
〔以上五項『増訂武江年表』〕
☆「寛永十二年 乙亥」(1635)
(一般)
・八月四日、狩野山楽光頼卒す(七十七歳) ・八月、茅場町薬師如来安置
〔以上二項『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・春、烏丸大納言光広卿関東御下向あり。御道の記を「春の曙」といふ。又源通村卿も御下向あり ・高輪如来寺開創。五智如来を安置す(木食但唱上人開基) ・堺町天下一下り薩摩太夫、紫の幕を鼠木戸の上に張り、人形衣装結構を尽し、又歌舞伎役者の衣類も 美を尽せしかば、彦作・勘三郎も共に禁獄しせらる
〔以上三項『増訂武江年表』〕
☆「寛永十三年 丙子」(1636)
(一般)
・六月朔日、新銭「寛永通宝」の通用始る ・十二月、朝鮮人来聘(正使白麓任統、副使束渲金世濂、従事青丘黄床、旅館本誓寺なり
〈李進熙(巳が己)著『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社学術文庫)は、正使を任絖(白麓)、副使を金世濂(東溟)、 従事を黄(*戸+木)(漫浪)とする〉
〔以上二項『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・高田へ馬場を築かせらる ・井の頭弁財天社御建立
〔以上二項『増訂武江年表』〕
☆「寛永十四年 丁丑 三月閏」(1637)
〈一般年間〉
・江戸町々踊流行 ・江戸中風呂女、三人限りに命じ給ふ(此の掟を破りしものを、吉原大門の外にて刑せらる)
〔以上二項『増訂武江年表』〕
☆「寛永十五年 戊寅」(1638)
(一般)
・十一月、品川に万松山東海寺御建立(開山沢庵和尚)
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・夏より来年二、三月頃に至るまで、遠近の男女、伊勢宗廟へ詣づる事夥し(近ごろいはゆるおかげ参り なり)
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永十六年 己卯 十一月閏」
(一般)
・五月、阿蘭陀人来る
〈一般年間〉
・高田西方寺開創(開山貞茂和尚) ・江戸御城御本丸御殿焼失
〔以上二項『増訂武江年表』〕
☆「寛永十七年 庚辰」(1640)
(浮世絵)
・六月十七日、武州川越喜多院の額に、
岩佐又兵衛勝以
三十六歌仙を画く
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
〈一般年間〉
・此頃何某侯に宮づかへせし伊丹右京といへる美少年(十六歳)、男色の意地によりて、今年四月同藩細 野主膳といふ者を切害したれば、同月それの日主君より命ぜられ、浅草慶養寺に於いて自尽を給ふ。其 の時、右京と男色の契りありし、同藩舟川采女といへる美少年(十八歳)も、爰に来りて倶に自害して 失せけるを、此の頃世のかたりぐさとなりけるとぞ 右京辞世の歌 春は花秋は月にとたはふれてながめし事も夢のまたゆめ 采女辞世の歌 もろともにいさゝは我もこゆるぎのいそぎてこえんしでの山川
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永十八年 辛巳」(1641)
(一般)
・正月二十九日夜、桶町より出火、翌晦日夜へかけて鎮る。町数九十七町、武家かた百三十軒程、慶長以 来の大火と聞へし
〔『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・「武家系図」三百七十巻成就
〈林羅山等編『寛永諸家系図伝』〉
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛政十九年 壬午 九月閏」(1642)
(一般)
・二月十九日、浅草寺焼亡 ・五月、諸侯参勤交代始まる ・三十三間堂始て浅草に建つ
〔以上三項『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・「あづま物語」梓行(吉原細見記の始めなり) ☆「寛永二十年 癸未」(1643)
(一般)
・六月、朝鮮人来聘(正使尹順之、副使趙綗、従事申竹堂。旅館本誓寺なり)
〈李進熙(巳が己)著『江戸時代の朝鮮通信使』(講談社学術文庫)は、副使を趙絅、従事を申濡(竹堂)とする〉
・十月二日、天海僧正寂す(齢百三十三といふ)
〔以上二項『増訂武江年表』〕
〈一般年間〉
・「あづまめぐり」板成る(中略)江戸の名所を記せるもの此の書を始めとす
〔『増訂武江年表』〕
☆「寛永年間記事」
(浮世絵)
・
山本理兵衛
なる者ありて、浮世絵を能くすれども、其伝詳ならず
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・寛永の頃まで神田佐柄木(サエキ)町、雉子町の続きに、堀丹後守殿御屋敷あり。丹後殿前といふを略して 丹前(タンゼン)といふ。此の辺風呂屋多く、美麗なる湯女もありて、こゝに遊びける若人等のさまを、歌 舞妓に学びて丹前風といひし事、諸書に見えたれば爰に略しつ
〔『増訂武江年表』〕