☆「承応元年(九月十八日改元)壬辰」(1652)
(浮世絵)
・四月、雛屋立圃らしき画の絵入本にて『つれ/\なぐさみ草』八冊出版さる
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・六月、若衆歌舞妓御制禁(前髪を剃りての紫の帽子をかくる。玉島主水、小晒作弥、市弥、伊織抔(ナド)
云ふもの殊に美少年にてありしといへり
筠庭云ふ、慶安五壬辰六月二十七日此の御触(オフレ)ありしなり)〔『増訂武江年表』〕
☆「承応二年 癸巳 六月閏」(1653)
(一般)
・九月、琉球人来聘(正使国頭王子)〔『増訂武江年表』〕
☆「承応三年 甲午」(1654)
(浮世絵)
・八月、山本春正自ら画きて『源氏物語』絵入本、大本六十巻を出版せり。二百二十六図の多数の挿絵な
り。版元は蓋し八尾勘兵衛なり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕
〈一般年間〉
・今年町奴御穿鑿あり(夢の市郎兵衛、唐犬権兵衛などいへる男伊達(オトコダテ)と号せし悪党の事なり。六
方組などゝ号して市中をはいくわいし、喧嘩を仕かけ諸人の妨(サマタゲ)せしもの也。六方組、六方言葉
等の事、醒世翁が「奇跡考」、柳亭翁の「用捨箱」等を見て其の趣きをしるべし。この男伊達の内、山
中源左衛門といふもの、正徳年中麹町真法寺にて腹切りし時、
時世 わんざくれふんばるべいかけふばかりあすはからすがかつかじるべい
これ即ち六方言葉なり。この時の町奴の名三十四人「談海」に見へたり
〈「醒世翁」こと山東京伝の『奇跡考』は文化十年(1813)の成立。柳亭種彦の『用捨箱』は天保十二年(1841)刊。
「談海」は『玉滴隠見』か〉
・市村羽左衛門が芝居にて、放れ狂言を始む。放れ狂言とは、女鬘(カツラ)をかけて島原傾城買ひの体(テイ)
を仕組み、髪切り島原、坂田島原抔題号にせしより、芝居の総名を島原と云ひしとぞ(この頃上方より
小唄三味線の芸者よび下せり)
筠庭云ふ、羽左衛門芝居のみにあらず、京難波すべて昔は傾城買ひの狂言流行(ハヤ)りたり。夫故、傾
城何々といへる名題の狂言多く、浄るりも多くありて今にあまた残れり
〔以上二項『増訂武江年表』〕
☆「承応年間記事」
(浮世絵)
・花田内匠なる者ありて、浮世絵を能くし、画風岩佐又兵衛に似たりといふも、伝記詳ならず
〔『【新撰】浮世絵年表』〕