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浮世絵師総覧宝暦元年(寛延四年・1751)~十三年(1763)浮世絵年表一覧
 ☆「宝暦元年(十月二十七日)辛未 六月閏」(1751)   (浮世絵)   ・正月、中路定年(京都の画家にして雲岫と号せり)の『画本必用』       長谷川光信の『絵本藤の縁』出版   ・七月、大岡春卜の『画史会要』出版   ・九月、山田信斎撰『二十四輩図彙』出版   ・十一月、寺井雪蕉斎の『画本拾葉』出版。〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕    〈寺井雪蕉斎は寺井重房〉     〈浮世絵年間〉   ・西川祐信歿す。行年七十四歳。(祐信は京都の画家にして西川流の祖なり。もと狩野・土佐等の画を学    びたるも、江戸の菱川・鳥居等の画を見て其の影響を受け純浮世絵画家となれるが如し。俗称は右京・    祐助等といひ、文華堂・自得斎等の号あり。宝暦四年八十一歳にて歿せりといふ説もあり。宝永五年三    十一歳にして初めて浮世草紙『新堪忍記』を画き、超えて享保八年四十六歳のとき『百人女郎品定』に    画き、大いに名声を高め、又超えて享保十八年よりは死に至るの前年七十三歳まで毎年四五部宛の絵本    を画かざる無く、其刊年不明のもの及び署名せざるもの種々の書籍に亘りて存在する者百十七部にして、    其画の巧拙は暫く措き、其努力に至りては実に偉なりといふべし。後年江戸に葛飾北斎あり、一は婉柔    を極め、一は勁抜を尽せり。唯だ其の孜々として研鑽倦むなきの点に至りては東と西と古と今と一対の    好画伯たりといふべし   ・山本義信『吉原細見里巡礼』に画く 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈一般年間〉    ・吉原に女芸者といふもの今年より始まる(扇屋の歌仙といへるもの、始めなり。夫より追々に出来たり    しよし、「後は昔物語」に出たり)〔『増訂武江年表』〕    ☆「宝暦二年 壬申」(1752)   (浮世絵)   ・正月、山本義信の画作黒本『酒田金平渡邊竹綱鬼熊退治』       石川豊信の『絵本東の森』『絵本ことわざ草』       西川祐尹の『絵本鏡百首』『絵本花の宴』       長谷川光信の『絵本かゞみ伽』『絵本今様比事』出版。   ・九月、高木貞武の『本朝画林』出版。   ・十一月十三日、宮川長春歿す。(長春は尾張国宮川村の産にして後江戸に出で本所菊川町に住せり。長    春おもふところありしか、終世版画を画かず。余は懐月堂の版画さへ見たるに、長春は絶えて見たる事    なく、又遊女の風俗画はよく見るところなれども俳優の画くは絶えて見たる事なし。余の浅見の然らし    むるところなるか、記して以て世の識者に問はんとす。門人には長亀あり。春水あり。斯界の偉人勝川    春章は実に、春水の門人なり)   ・十一月、西村重長の画ける『桃太郎物語』成る   ・十二月、岡山友杏の『絵本艶歌仙』出版 〔以上五項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、勢月堂蘭渓なる者の挿画にて浮世読本『都老子』出版   ・此年、劇場にて販ける所謂芝居番附と称する狂言絵本出づ。中村勘三郎座の七月狂言『諸たつな奥州黒』       二冊あり。鶴屋の版にして画工の署名なし。蓋し鳥居清倍に似たり    〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・十二月、琉球人来聘(正使今帰仁(ナキジン)王子)〔『増訂武江年表』〕    ☆「宝暦三年 癸酉」(1753)   (浮世絵)   ・正月、西川祐信の遺画『絵本雪月花』『絵本糸ざくら』       西川祐尹の『絵本鏡百首』『絵本みつの友』『絵本勇士艸』『絵本唐詩仙』       月岡雪鼎の『絵本龍田山』『伊勢物語』       北尾雪坑斎の『絵本謡姿』『絵本大江岸』       寺井重房の『画図伊勢海』       長谷川光信の『絵本えくぼのちり』等出版   ・五月、大岡春卜の『丹青錦囊』出版   ・六月、西村重長の『絵本江戸土産』   ・十月、大岡春卜の『卜翁新画』〔以上四項『増訂武江年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、羽川珍重歿せりといふ説あり。蓋し翌宝暦四年説真なるが如し   ・此頃、近藤清春歿せりといふ   ・此年、皎天斎国雄といへる画工『女筆蘆間鶴』に画けるあり 〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     (一般)   ・三月十六日、甲州身延山祖師開帳に付き、江戸到着の日、迎ひの人数品川より日本橋迄つづく。何町講    中と書きたる旗幟あまた立つる(開帳講中此の頃より賑はへり)四月朔日より、深川浄念寺にて開帳。   ・四月十五日より、深川永代寺にて、奥州金花山弁才天(大金寺)開帳(鼈甲(ベツコウ)細工の蜈蚣(ムカデ)    を納む。細工人八幡屋鼈甲やなり)。右開帳済みて、◎月◎◎より十一日迄、木母寺にて◎縳あり   ・仕月、歌舞伎芝居晾戕祭、今年より始ぺる 〔以上『妗訂武江年表』〕    ☆「宝暦四年 焲戌 二月閏」(1654)   (浮世絵)   ・正月、月岡雪鼎の『絵本言葉花』       西川祐尹の『絵本かほよ花』『絵本硯の海』       北尾雪坑斎の『絵本武者海』等出版   ・四月、長谷川光信の『日本山海名物図絵』五巻出版   ・七月二十二日、羽川珍重歿す。行年七十七歳。(本姓真中氏、名は沖信、絵情斎、又三同と号す。俗称    大田弁五郎、鳥居清信門人なり。武州川口の産にして、曲亭馬琴の祖先と因縁あるものゝきは、馬琴の    随筆に記せるところなり)    (『増訂武江年表』〝七十余歳也。池のはた東円寺葬す。其の伝、曲亭の「燕石雑志」に見えたり。辞     世 たましひのちり際も今一葉かな)   ・十一月、北尾辰宣の『絵本武者兵林』出版 〔以上四項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、鳥居清重『宝寺富貴の槌』といへる黒本を画けり   ・此年、市村羽左衛門座の狂言絵本『皐需曽我橘』二巻出づ。画工は鳥居清満、版元は鶴喜なり       又中村座の狂言絵本には西村重長の画ける『百千鳥艶郷曽我』あり    〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「宝暦五年 乙亥」(1755)   (浮世絵)   ・正月、月岡雪鼎の『絵本和歌園』『絵本武勇名取川』       西川祐尹の『絵本氷面鏡』       北尾雪坑斎の『絵本浦千鳥』       長谷川光信の『絵本都鄙問答』       漕川小舟『見立百花鳥』       可耕といへる絵師の『絵本風流訓』       大岡春卜の『画本福寿草』等出版   ・八月、橘保国の『絵本野山草』五巻出版。〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・三月十六日より、深川永代寺にて、信州戸隠明神九頭竜権現(顕光寺)開帳(この時神楽を舞ふ神子(ミ    コ)、美女の聞えあり。其の名をおゑんといふ。踊子の事を俗におゑんといふ諺はこれより始まれり)    〔『増訂武江年表』〕    ☆「宝暦六年 丙子 十一月閏」(1756)   (浮世絵)   ・正月、月岡雪鼎の『絵本好禁酒宴桜』       東嬰といへる絵師の『絵本七宝珠』       北尾雪坑斎の『絵本倭論語』       長谷川光信の『絵本鎧歌仙』等出版   ・六月二十七日、西村重長歿す。行年六十歳(重長は俗称孫三郎といひ、仙花堂と号し、鳥居・奥村等の    画風を学びたるものゝ如く、江戸通油町の地主にして後書店を営めり。石川豊信・鈴木春信の如きは西    村重長に負ふところ多くこれを譬ふれば、木門に新井白石・室鳩巣の出でし如く、又偉なりといふべし)   ・六月、絵師黒川亀玉歿す。行年五十五歳。或はいふ五十八歳と。或はいふ二十五歳と。   ・六月、『雛本古筆絵図』出版。〔以上四項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、勝間龍水英一蜂の画に成れる『発句帳』ありといふ説あるも未だ見ず   ・此年、古面堂の『続百化鳥』出版。前編は前年にして漕川小舟の画作なり 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「宝暦七年 丁丑」(1757)   (浮世絵)   ・正月、石川豊信の『絵本末摘花』       西川祐尹の『絵本常盤謎』       寺井重房の『吾妻百人宝艸』       中山吾八の『画本時勢鑑』       松村文助の『画本諷見立艸』       茂義堂の『絵本深名帳』       絵師文月堂の『画本洛陽祭礼鑑』等出版   ・二月、寺井重房の『画本国見山』出版   ・五月、寺井重房の『絵本和歌緑』出版   ・九月、仙華堂百寿といへる画工『和漢衆画苑』を画きて出版    〈仙華堂百寿は西村重長の別号〉     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・三月より、上野清水観世音開帳。画工雪仙斎尚徳、上野清水堂へ景清牢破の額を掲ぐ    〔『増訂武江年表』〕    ☆「宝暦八年 戊寅」(1758)   (浮世絵)    ・正月、西川祐信の遺書『絵本三津輪草』出版       寺井重房の画ける『百人一首浪花梅』       月岡雪鼎の『絵本姫文庫』『花福百人一首』       北尾雪坑斎の『絵本玉の池』出版 〔『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉   ・此年、怡顔斎松岡玄達の『桜品』『介品』等出版   ・此年、絵師一松子なる者『春のみなと』といへるものに画きて出版せり    〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「宝暦九年 己卯 七月閏」(1759)   (浮世絵)    ・正月、江戸の書肆辻村五兵衛、元禄二年出版の菱川師宣の画ける『異形仙人絵つくし』を再版して『絵       本列仙画典』と題し、画工春川師宣と署せしより、世人は此当時春川師宣なる画工あるものと信       じて飯島虚心氏の其著『浮世絵師便覧』には師宣、春川氏、大阪の人、宝暦年間と記せり   ・正月、石川豊信の『絵本武勇太図那』出版   ・七月、春川甫政の画ける『描金画斧』出版   ・十月、月岡雪鼎の『絵本高名二葉艸』出版       又勝間龍水・高嵩谷等の画ける俳書『桑岡集』出版 〔以上四項『【新撰】浮世絵年表』〕    〈春川甫政は大岡春川の別号〉     〈浮世絵年間〉    ☆「宝暦十年 庚辰」(1760)   (浮世絵)   ・正月、勝川春水の『絵本武者軍鑑』       月岡雪鼎の『絵本神武百将伝』       長谷川光信の『絵本きまゝ艸』出版   ・四月二十八日英一蜂歿す。行年六十四歳(一蜂は春窓斎と号す。一蝶の末子なり)    〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕    〈英一蜂初代。『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」は元禄四年(1691)生れの七十才没とする〉     〈浮世絵年間〉   ・此年、北尾重政二十三歳にして『絵本荒獅山』を画く 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「宝暦十一年 辛巳」(1761)   (浮世絵)   ・正月、富川吟雪の画作黒本『女敵討故郷錦』出版。       勝川春水の『絵本友千鳥』       武村祐代(祐代は西川祐信の門人にして、姓を西川ともいひ、花月亭と号せり。)の『絵本長柄       川』『絵本初音森』『絵本恵方謎』       月岡昌信の『絵本泰平楽』『絵本深見草』『絵本菊の水』『絵本諸礼訓』       寺井尚房の『絵本勇名草』       長谷川光信の『絵本初代草』等出版   ・五月、建部孟喬の『寒葉斎画譜』出版 〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・四月、三田八幡宮開帳(綱が金札とて霊宝に出せり)   ・八月十七日、堺町の中の芝居(操座)より失火、堺町、葺屋町類焼(中村座が芝居は普請中なりしがや    けず)〔以上二項『増訂武江年表』〕    ☆「宝暦十二年 壬午 四月閏」(1762)   (浮世絵)    ・正月、月岡雪鼎の挿画に成る『東国名勝志』『雲水閣雑纂』出版   ・ 二月、勝間龍水の『絵本海之幸』出版   ・八月二十五日、西川祐尹歿す。行年五十七歳(祐尹は祐信の男にして通称祐蔵、得祐斎と号せり)   ・十一月、石川豊信の挿画に成る『女今川』出版 〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉    ・此年、鳥居清経の挿画に成れる『銀杏栄常盤八景』あり 〔『【新撰】浮世絵年表』〕    ☆「宝暦十三年 癸未」(1763)  (浮世絵)    ・正月、鈴木春信の『絵本古金襴』出版。(蓋し春信の絵本としての処女作なるが如し)。       石川豊信の『絵本花の緑』       勝川春水の『絵本武者鑑』       西川祐代の『絵本御代春』       月岡丹下の『絵本勇見山』出版   ・六月十九日、大岡春卜歿す。行年八十四歳。蓋し浮世絵師にあらず   ・七月、西川祐代の挿画に成れる『女今川姫鑑』出版   ・十二月二日、鳥居清倍没す。行年五十八歳。(清倍は清信の弟にして通称庄二郎といへり。漆絵・丹絵・    紅絵等の作あり。二代の清倍もある如く。或はこの宝暦十三年に歿したる清倍こそ二代にあらずやと想    はるゝ疑あり、世の識者の教と後の考を待つ)   ・十二月、鈴木春信の『絵本諸芸錦』出版 〔以上五項『【新撰】浮世絵年表』〕     〈浮世絵年間〉     (一般)   ・六月、俳優、荻野八重桐船に乗り、中州に遊び、粋酔の余り蜆を取らんとて川へ下り立ち、深みへ落ち    入り溺死す。平賀鳩渓、「根なし草」といへる草紙をつくり、其の事をのぶ 〔『増訂武江年表』〕    ☆「宝暦年間記事」   (浮世絵)   ・浮世絵師、鈴木春信、石川豊信(秀葩と号し、六樹園飯盛の父にして馬喰町の旅店ぬかや七兵衛といへ    り)、鳥居清倍、山本義信(平七郎と称す)、鬼玉其の外多し 〔『増訂武江年表』〕     草双紙(黒本・青本)出版(全4点)(そのうち画工名が明確なもの)    羽川元信画 『新なぞづくし』    鳥居清倍画 『煙草恋中立』〔「日本古典籍総合目録」〕     (一般)   ・宝暦末より、矢口新田社に参詣多し。社地に矢を売り始め、詣人求めて守とす   ・根岸円光寺庭中、藤の花盛りの頃貴賤遊観多し   ・婦女菅笠廃り、青き紙にて張りたる日傘行はる   ・夏合羽(ガツパ)、夏火事羽織漸く始まる   ・土佐節浄るり廃れ、江戸節、河東節、大坂の義太夫節、京の園八節、正伝節等の浄るり行はる   ・宝暦三年の頃より、大文字屋の大かぼちやと云ふ童謡(コウタ)行はる。吉原京町大文字屋市兵衛、かたち    見ぐるしく、其の頭かぼちやいふ瓜のごとし。皆人かぼちやと異名しける故、自らかくうたひて人を笑    はせけるとぞ。蜀山人「仮名世説」に見えたり   ・寄合茶屋浅草並木藤屋、深川西之宮行はる。   ・宝暦中、西村重長が「絵本江戸みやげ」図中、両国涼の図に水茶屋葭簀(ヨシズ)の屋根なし、見物毎に行    燈を置いて御涼所(オスズミドコロ)と記せり。吉原五十軒茶屋に編笠釣るしてあり。歩行の女中帽子をかむ    る。浅草二十軒茶屋のあんどう、(扇の図)屋(ジガミヤ) (桔梗紋)屋などどあり   ・婦女の衣類、丁子茶(チョウジチャ)の色を好み、花簪(カンザシ)はやる、朱塗の櫛(旭の櫛といふ)象牙の笄    (コウガイ)も行はれたり   ・硝子(ビイドロ)は外国のものなるを、蘭人持ち渡り、中古長崎にて製する事を得、京大坂へ伝へしを、近    頃東都に其の職人多く出来て、万の器を製し、活業(ナリワイ)にする者あまたあり    〔以上十項『増訂武江年表』〕