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浮世絵年表
浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
宝永元年(元禄十七年・1704)~七年(1710)
浮世絵年表一覧
☆「宝永元年(三月十三日改元)甲申」(1704)
〈浮世絵年間〉
・此年、
奥村政信
十九歳にして『養老瀧』といへるものに画けりといふ説あるも未だ見ず。
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
〈一般年間〉
・『島原観戦記』絶版 〝寛永十三年肥前島原に起りし切支丹宗徒一揆の顛末を、当時の従軍者(匿名)が、同十七年に記述した るものにて一に『天草軍記』ともいふ、宝永元年六月の出版(絵入三冊物)なるが、後に絶版を命ぜら れたりといふ、これも切支丹に関するが為めなること明かなり、 されど、これより前、凡そ寛文頃の版本と見るべきものに、絵入三冊の同文本あり、此古版本の方は絶 板の命に接せざりしならんか 〔頭注〕島原記 『絶焼録』には『島原記』を絶版書目中に加へあれど、此版本あるを聞かず、島原合戦記の誤ならん
〔『筆禍史』「島原合戦記」〕
〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は『島原記』を統一書名としている。版本はこれ以前にもあり、慶安二 年、寛文十三年、貞享五年と刊行されている。絵入本であるが、画工名はない〉
☆「宝永二年 乙酉 四月閏」(1705)
(浮世絵)
・四月、浮世草子『好色花すゝき』出版。又此年『一休可笑記』五冊出版。いづれも
吉田半兵衛
風の画な り。此頃まで半兵衛生存するや否や不審なれば、参考までに右二書を載す
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「宝永三年 丙戌」(1706)
(浮世絵)
・正月、
奥村政信
の挿画に成れる浄瑠璃本『勇将御伽婢子』、浮世草子『和気の裏甲』等出版。
政信
此の 時二十一歳なり ・四月、
宮川長春
、『狂女』を画きて相州市場の観音堂に額を掛く
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「宝永四年 丁亥」(1707)
(浮世絵)
・正月、
奥村政信
の自作自画の『若草源氏物語』出版
友禅
の画ける『梶の葉』(祇園梶子の家集なり)、 ・六月、
雪翠
といへる者の挿画ある歌書『渚の玉』出版
〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
・此年、
奥村政信
る浮世草子『男色比翼鳥』あり
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「宝永五年 戊子 一月閏」(1708)
(浮世絵)
・正月、
西川祐信
にて浮世草子『本朝古今新堪忍記』といへるあり。蓋し祐信の署名せる絵入本の 嚆矢なるべし
奥村政信
に成れる『関東名残の袂』『風流門出加増蔵』等出版
石川流宣
成れる『江戸案内巡見図鑑』出版 ・二月、清経といへる画工『花陽ひいながた綱目』に画きて出版。(清経は鳥居にはあらず) ・狂言本には『愛兄墨田川』『凱陳十二段』『唐太宗』等あり。唐太宗は蓋し
奥村政信
なり
〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕
☆「宝永六年 己丑」(1709)
(浮世絵)
・正月、
奥村政信
『紅白源氏物語』六巻。浮世草子『寛濶色羽二重』五冊。『風流鏡が池』六冊
石川流宣
吉原大黒舞』等出版 ・九月、
英一蝶
流謫地をいふ)より帰る。始め多賀朝湖と称せしを是より英一蝶と称せり
〈下記『瀬田問答』参照〉
以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕 ◇『瀬田問答』〔燕石〕①348(大田覃・瀬名貞雄問答・天明五年~寛政二年成立) 〝直政按、
一蝶
へ被流候は、元禄十一寅十二月なり、時四十六なり、表徳和央、呉服町一丁目新道 に住す、宝永六丑九月九日御赦免、夫より深川に住す〟
〈この記述は南畝のものでなく、「直政」なる人が後年書き入れたものであろう〉
☆「宝永七年 庚寅 八月」(1710)
(浮世絵)
・正月、
奥村政信
草源氏物語』再版
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・十一月、
琉球人
正使美里王子、豊見城王子)
〔『増訂武江年表』〕
☆「宝永年間記事」
(浮世絵)
・京都に
赤猫斎全暇
ありて
鳥羽絵
を画く。(
赤猫斎
俗名佐野金蔵歟、昌運門人なりといへり) 馬琴の随筆燕石雑志に、宝永年間
奥村政信
の画ける『きほひさくら』を載す、今小田久太郎氏の所蔵と なる〟
〔『【新撰】浮世絵年表』〕
・草双紙(赤本)出版(全2点) 画工未詳 『幸太夫物語』・『幸太夫物語』
〔「日本古典籍総合目録」〕
〈この二つは同名異書の由〉
(一般)
・宝永中疫病はやりし頃、駒込の百姓喜八といふもの、
麦藁の蛇
を作り、駒込富士の市に売りけるが、求 め帰りしもの疫癘の患をのがれしより、後富士参りの方物(ミヤゲ)となれり。此時代近辺の童子髪を乱し て詣でけるとぞ。
〔『増訂武江年表』〕