☆「延享元年(二月二十一日改元)甲子」(1744)
(浮世絵)
・正月、西川祐信の『絵本寝覚種』『絵本武者考鑑』出版
・五月、寺井重信の挿画に成れる『女文台綾袋』出版。〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
・蜀山人の一話一言に、此年芝神明前の江見屋(上村吉左衛門)始めて数枚の板を用ひ、見当をつけて彩
色を摺ることを発明せりといふ記事あり。されど彩色摺は本書享保十五年の條に、『父の恩』につきて
記せる如く、これよりさきに既に出でたり。
・此年始めて黒本出づ。即ち鱗形屋よりは『十団子の始まり』『牛午前ものがたり』『敵討亀山通』『敵
討巌流島』、奥村よりは『敵討御法の庭』、山本(九左衛門)よりは『福人よめ争ひ』『相州矢立杉』
『執着一念物語』『新義経記』『南朝太平記』、岩戸屋より『丹波てゝ打栗』等なり。挿絵の画工は奥
村利房、鳥居清倍・西村重信等なれども多くは署名なし
・此年、西田常清挿画の浮世草子『風俗遊仙窟』成る 〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈漆山天童の彩色摺り『父の恩』濫觴説については否定的見解あり。享保十五年の項参照〉
(一般)
・二月十五日より三日の間、中村勘三郎芝居興行の初年より百二十一年の寿狂言興行 〔『増訂武江年表』〕
☆「延享二年 乙丑 十二月閏」(1745)
(浮世絵)
・正月、西川祐信の『絵本ひめつばき』『絵本若草山』『絵本福禄寿』出版。
・十一月、橘守国の『絵本直指宝』十冊出版〟〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
☆「延享三年 丙寅」(1746)
(浮世絵)
・正月、西川祐信の『絵本鶴の棲』『絵本都草紙』出版。
又富川房信、黒本『白鼠妹背の中立』を画作。
・五月、大岡春卜の摹本に成る『明朝紫硯』出版。(本書は支那明代の画集にして一名か明朝生動画図』
と称し、彩色摺にして此頃のものとしては珍しきものなり〟〔以上二項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
☆「延享四年 丁卯」(1747)
(浮世絵)
・正月、西川祐信の『絵本河名草』『絵本亀尾山』『絵本筆津花』等出版。
又奥村政房黒本『盛景両面鑑』、
又鳥居清経黒本『近江源氏よつきの雛形』画作出版。
・六月三日、小川破笠歿す。行年八十五歳。(破笠は絵を英一蝶に学び、俳諧を芭蕉・其角等に学び、多
芸多能の人にして蒔絵を善くし破笠細工の名を得、旅行家にして旅に歿せるものゝ如く、通称は平助、
俳名を宗宇といひ、卯観子・夢中菴等の号あり)
・十一月、寺井重信の画ける『女文章都織』出版
北尾雪坑斎『小倉塵』に画く 〔以上三項『【新撰】浮世絵年表』〕
〈浮世絵年間〉
・春川秀蝶、愛宕社へ祇園会細図の額を掲ぐ 〔『増訂武江年表』〕
☆「延享年間記事」
(浮世絵)
〈浮世絵年間〉
・此頃、浮絵流行す 〔『【新撰】浮世絵年表』〕
(一般)
・真先(マツサキ)稲荷社、延享三、四年の頃より詣人多く繁栄せり。
・谷中笠森稲荷参詣始む。
・延享二年の春、江戸の流行物を集めたる句集あり、「時津風」と題す。時々庵の門人反故斎果然とい
へる人の編也(画は寄合書きなり)。其の内を選びて目次のみを左にしるす
浮絵(遠景の山水をうきゑといふ)/雑司谷会式(エシキ)飾物/同百度参り/同風車/志道軒講釈/中
野桃園/富が岡吹矢/丁子屋喜左衛門香具/女角力/紙屋五良兵衛/辻宝引/象股引/拳角力/大名
倹鈍(ケンドン)/聾道心/竹村煎餅/笠森稲荷/両面帯/雷鶴之介相撲/芝鋏切形/赤坂奴(ヤツコ)/正燈
寺紅葉/薩摩芋(元文以来のものなれば、此の時代に珍重せしものか/回向院前淡雪/池の端槌屋
(小間物か)/深川笊蕎麦(いせ屋伊兵衛)/牡丹屋敷(花二十日牛込白と申すべし。松下南花とあ
り)/海老蔵蜻蛉売/愛宕下頭巾/山下前膝(マエダレ)〈筠庭補注「売色・けころばし」〉/中村屋貸物(貸
衣裳なるべし)/吉原燈籠/釈迦坊主(未詳)/麒麟の助(軽業(カルワザ)か)/瀬川帽子/兼平桜/
忍(オシ)倹鈍〈筠庭補注「忍」を「しのび」とする〉/鳥越口罾/巻鬢(此の時代の風俗也)/豊島屋酒(か
まくらがし)/芝楽(若芝に焼くや鰻の黒けぶり 沖𥿻)/広沢石摺/豊後節/大名縊(ククリ)袖口/神
田の鳶の者/羽織長紐/江戸川椎木(矢場)/狂言作者津打治兵衛/熊野十二所/凉珉大黒(新米や
二ににつこりとあさひ山、狩野貴信。凉珉は水戸の画師にて日の出大黒を画くに名あり)/八人芸/
智恵筏(イカダ)(今も子供のもて遊ぶちゑの板なり)/鳴子瓜/扇屋染(丸く四角団扇地紙六角菱な
どに形を交へ、其の中に花鳥唐草の類を色入にしてうつしくしく染めたり)/加賀骨扇/蕃椒(トウガ
ラシ)地蔵尊/懐紙折(通新石町望月善九郎)/狂歌妨(未詳)/木葉煎餅餅。
・婦女のたぼさしといふ物始まる。後、一旦廃れしが、寛政より再度行はる。
・郡内微塵縞(ミジンジマ)衣類はやる。
・江戸節、土佐節、肥前節等の操芝居ありしが、次第に廃れ大坂の義太夫節となれり。
〔以上六項『増訂武江年表』〕