浮世絵の基礎知識
B 彩色版画の変遷
① 墨摺絵(すみずりえ)
墨一色の版画。元禄後半まで(17C後半まで)
墨摺絵 菱川師宣画
② 丹絵(たんえ)
鉱物性の丹を用いて手彩色。元禄後半から享保初年(17C後半~18C前半)
丹絵 鳥居清倍画
③ 紅絵(べにえ)
植物性の紅を用いて手彩色。享保初年から享保年間(18C前半)
紅絵 西村重長画
④ 漆絵(うるしえ)
紅絵の墨の部分を膠(にかわ)入りの墨で手彩色。享保から延享年間(18C前半~18C中頃)
漆絵 鳥居清重画
⑤ 紅摺絵(べにずりえ)
墨・紅・草・藍等の板木よる三色から五色の色摺。延享元年から明和二年(1744~1765)
(見当(けんとう)の発明によって、色ズレの調整が可能になった)
紅摺絵 鳥居清広画
⑥ 錦絵(にしきえ)
墨板とさまざまな色板を重ね合わせる多色摺。明和二年以降(1765年以降)
(越前奉書や伊予柾紙のような丈夫な和紙を使用することによって摺る度数を増やし、繊細な色調の表現も可能になっ
た。明和二年、江戸の武士を中心とする俳諧愛好家たちが、自ら工夫した図案の絵暦(大小絵)を持ち寄って、その
交換会を始めた。その時、彼らが着目したのが色摺の木版画と画工の鈴木春信。絵暦は配り物であるから、量産可能
な版画は格好の表現媒体であったし、また、春信の画く可憐な男女の絵姿には、人の目を惹くに足る清新な魅力が漂
っていた。この俳諧連と春信との協業、これが木版画に色彩革命をもたらし、錦絵を誕生させた。これまで江戸は上
方文化の一方的な需要地であったが、この多色摺版画に限っては江戸が独自に開発したものである。これを春信や版
元たちは商用にして「吾妻錦絵」と名付けて売り出した。目にも綾なる「錦絵」のほかにわざわざ「吾妻」を冠した
ところに、上方を意識した江戸人の得意が現れているのだろう。2016/02/15)
※絵暦(大小絵 だいしょうえ)とは、太陰暦では毎年、大の月(ひと月30日の月)小の月(ひと月29日)が変わるた
め、絵で月の大小を表したもの
錦絵 鈴木春信画