浮世絵文献資料館  Top「浮世」を冠した言葉と呼称「浮世絵」の時系列 浮世絵の誕生と終焉加藤好夫編
 ※◎は判読できなかった文字および表示不能文字
年代(西暦)言葉用例出典分類地域
寛永二十年
(1643)
浮世狂うき世ぐるひなどは述懐にあらず、恋の世になるべし」 〈初版寛永13年〉
〈山東京伝曰く「昔は遊女(あそび)にたはぶるゝを浮世ぐるひといひしなり」『骨董集』〉
『はなひ草』
雛屋立圃著
俳諧
慶安四年
(1651)
浮世袋「花/\のつほみはうき世袋かな」
〈『誹諧続独吟集』万治元年(1658)・『誹諧雑巾』延宝九年(1681)にもあり〉
『崑山集』
鶏冠井令徳編
俳諧
万治三年
(1660)
浮世歌「水の上に蛙の声や浮世歌 女 山人」『慕綮集』
親祐軒常辰編
俳諧
寛文五年
(1665)
浮世がかり「わか竹やうき世がゝりのだておとこ 立圃」『小町躍』
野々口立圃編
俳諧
延宝四年
(1676)
浮世町「見ほれたる軒はの花の浮世町」 〈遊里の意味〉『談林三百韻』
松意
俳諧江戸
延宝六年
(1678)
浮世語り浮世がたりのしら声の波 言水」『江戸八百韻』
高野幽山編
俳諧江戸
延宝七年
(1679)
浮世杖「玉鉾の里の茂りや浮世杖 調和」『坂東太郎』
椎本才麿編
俳諧江戸
延宝八年
(1680)
浮世絵
菱川師宣
序「菱川氏(中略)頃日うき世絵といひしを自然と工夫して」 署名は「大和絵師菱川師宣」
〈この序文がこの延宝八年の初版時に付いていたか否かはっきりしない。元禄四年の再刊本『月次のあそび』の序が初出という説あり〉
『年中行事之図』
菱川師宣画
絵本江戸
浮世絵師
菱川師宣
序「菱川氏(中略)この道一流をじゆくして、うき世絵師の名をとれり」 署名は「大和絵師菱川吉兵衛尉」
〈上記同様、この序が延宝八年の初版時に付いていたか否かはっきりしない。天和三年の同書名の再版時に付けられたという説あり〉
『大和武者絵』
菱川師宣画
絵本江戸
天和元年
(延宝九年)
(1681)
浮世茶屋「悪銀などを見ぬ者のため、浮世茶屋やうすがあつて立破り」『西鶴大矢数』
井原西鶴編
俳諧大坂
浮世道心「奥は月だんぎり鱧の神垣や/浮世道心ねるは誰か秋」『七百五十韻』
伊藤信徳編
俳諧
浮世百人女
菱川師宣
菱川氏(中略)浮世百人女と名づけて一冊にして」
〈表題に「浮世」を冠した師宣最初の作品〉
『浮世百人女絵』
菱川師宣画
絵本江戸
浮世絵浮世絵や下に生たる思い草」〈延宝八年の句とする説あり〉『それそれ草』
知幾軒友悦編
俳諧江戸?
天和二年
(1682)
浮世女「あるひは物馴手たれのうき世女にも、それぞれの仕掛ありて」『好色一代男』
(二・四)(三・三)(三・一)
井原西鶴作
浮世草子大坂
浮世小路「大坂のうき世小路に我が事忘れぬ人ありと尋行」
浮世比丘尼「売子・浮世比丘尼のあつまり、朝にもらひためて夕にみなになし」
浮世絵
宮崎友禅
「扇も十二本祐善浮世絵
〈貞享三年刊・井原西鶴作『好色三代男「柳屋が下緒,ゆうぜん扇,音羽かるやき,今の世のはやり物」とあり。友禅の扇は流行の最先端をゆくもの〉
『好色一代男』
(七・二)
井原西鶴作
大和浮世絵
菱川師宣
大和うき世絵とて世のよしなし事、その品にまかせて筆をはしらしむ」奥書「右之一冊大和絵は四氏の形像を菱川氏筆こまかに書れしを愚眼にも褒美して令板行出之(中略)大和絵師 菱川氏」『浮世続絵尽』
菱川師宣画
絵本江戸
天和三年
(1683)
うき世絵師
菱川師宣
「菱川氏(中略)この道一流をじゆくして、うき世絵師の名をとれり」
奥書「大和絵師 菱川吉兵衛尉」〈延宝八年参照〉
『大和武者絵』
菱川師宣画
絵本江戸
浮世木うき世木を麓に咲きぬ山桜 其角」『虚栗』
榎本其角編
俳諧江戸
浮世美人 「海棠や浮世美人の空ねいり 樵花」
天和頃
(1681-83)
浮世人形「天和頃の浮世人形〔割註 高さ四寸、紺地もん金〕当世風の人形を浮世人形といふ」『筠庭雑考』
喜多村筠庭著
考証江戸
貞享元年
(1684)
浮世御座「〔雍州府志〕【貞享元年】に浮世御座あり」〈山東京伝『骨董集』に云う〉『雍州府志』
黒川道祐著
地誌
浮世遊び「太夫(略)貴様一座とたのめば、これ変わったる浮世遊び『好色二代男』(三・二)
井原西鶴作
浮世草子大坂
貞享三年
(1686)
浮世元結「なげ島田かくすむすびの浮世もとゆひ」『好色一代女』
(一・一)(二・三)
井原西鶴作
浮世草子大坂
浮世寺浮世寺のおかしさ、魚鳥も喰ひ女ぐるひも其夜にかぎりて」
浮世笠「素足に紙緒のはき物、うき世笠跡よりもたせて」『好色五人女』
(三・一)(一・一)
井原西鶴作
浮世蔵〈遊女の届文、紋付の送り小袖を〉 浮世蔵と戸前に書付てつめ置ける」
菱川師宣菱川が書しこきみのよき姿枕を見ては、我を覚ず上気して」『好色一代女』(一・三)
井原西鶴作
貞享四年
(1687)
浮世紺屋「東洞院の浮世紺屋の娘、姿のお春といへる名とり有」『男色大鑑』
(六・四)(五・三)
井原西鶴作
浮世草子大坂
浮世絵
花田内匠
「承応元年秋〈若衆絵に〉浮世絵の名人花田内匠といへる者、美筆をつくしける」
浮世節 「色道に首だけ沈み、そそりかけてのうき世ぶし『好色貝合』(上)
吉田半兵衛作・画
浮世念仏「思ふにかなはぬ辛気のもや/\より浮世念仏の投げ声張りあげて」
浮世絵
吉田半兵衛
浮世絵の逸物吉田氏が筆をかりて」『女用訓蒙図彙』(四)
奥田松柏軒編
吉田半兵衛画
往来物
元禄元年
(1688)
浮世小紋「男女の衣類品品の美をつくし、雛形に色をうつし、浮世小紋の模様、御所の百色染」『日本永代蔵』(一・四)
井原西鶴作
浮世草子大坂
浮世巾着「禿も一歩の四五十づつは浮世巾着に絶さずありぬ」『好色盛衰記』
(三・四)(一・一)
井原西鶴作
浮世頭巾「めしたる浮世頭巾を取て捨て、焼じるしの大編笠をきせ」
浮世絵
菱川師宣
菱川が筆にて浮世絵の草紙を見るに、肉(シシ)置(オキ)ゆたかに、腰付に丸みありて、大方は横の目遣ひ、男珍らしさうなる顔の色さながら屋敷めきて、江戸女このもしく、見ると聞と寝と、恋ほど各別にかはれるものはなし」『色里三所世帯』
「江戸の巻」(一)
井原西鶴作
元禄二年
(1689)
浮世人形「京都の細工山田外記がつくりなせる浮世人形にさへわづかのおもひどは有事也」
〈『耽奇漫録』下(『日本随筆大成』1期別巻所収)に人形の図あり、その下半身の服を取ると性器が現れる仕掛けがしてある〉
『吉原常々草』(上)
磯貝捨若作
浮世草子江戸
浮世男「此商人の同町にうき世男ありて、此女を目にて忍び」『本朝桜陰比事』(四・三)
井原西鶴作
大坂
元禄四年
(1691)
浮世絵
菱川師宣
菱川師宣氏(中略)頃日うき世絵といひしを自然と工夫して」
(奥書)「日本絵師 菱河吉兵衛師宣」〈延宝八年刊『年中行事之図』の再刊本〉
『月次のあそび』
菱川師宣画
絵本江戸
浮世草「あさがほや惣領殿のうき世草 軽舟」『色杉原』
友琴編
俳諧
元禄五年
(1692)
浮世絵
菱川師宣
〈吉原遊女・小むらさき〉
「きりやうのやんごとなき事、尊朝の仮名ぶみ、菱川うき世絵もをよばず」
『諸わけ姥桜』(四・十)
遊色軒作
浮世草子
浮世模様「其のときの浮世模やうの正月小袖をたくみ」『世間胸算用』(一・一)
井原西鶴作
浮世草子大坂
元禄六年
(1693)
浮世絵〈女臈〉「一生本(ホン)の男といふ事をしらず、浮世絵のやさしきをほゝ(懐)に入て、せめては心をうごかすばかり、欲も罪もなく此事のみに思ひ暮しぬ」『浮世栄花一代男』
(二・二)
遊色軒作
浮世草子
元禄七年
(1694)
浮世話「此たび病中にも世間のおもわくばかりに跡や枕に夢程の間もあくびして、次の間にて浮世咄しもまた親仁もよい年なれば」『西鶴織留』
(一・一)(一・四)
井原西鶴作
浮世草子大坂
浮世茣蓙「是に浮世御座永枕聟に成人の果報は前の世によき種蒔て、今はへ出る恋草のはしめ」
浮世尼「気に入て後家の供する浮世尼『奈良土産』
田宮言簂編
雑俳上方
元禄八年
(1695)
浮世枕絵
菱川・吉田
菱川、吉田浮世枕絵有程ひろげて、爰な男はかつかうよりもち物がちいさいの」『好色とし男』
(二・一)作者未詳
浮世草子未詳
浮世小袖「左右に振袖十人、としま十人、対にそめたるうき世小袖」『好色酒呑童子』
(五)(三)
桃林堂蝶麿作
江戸
浮世虚無僧「彼女の好色よのつねに成べからず、只つやをもつてたばかるにしくはなし。先風流の衣類をまとひ、二人三人引はなれてうき世虚無僧に姿をやつし」
元禄九年
(1696)
菱川師宣「白郡内の裏に、菱川が筆をうごかせし男女の交はり、裸身のしゝつき、女は踵(カガト)を空に指さき屈め」〈枕絵〉『好色小柴垣』(五)
酔狂庵作
浮世草子
浮世絵
菱川師宣
「あのやうな美しいこもそうは江戸みやげに貰うた菱川うき世絵の外みた事は御座らぬ」『好色艶虚無僧』
(一)(六)
桃林堂蝶麿作
江戸
浮世人「おゆりのうつくしさをちらと見たるうき世人は、こゝのやしろかしこの宮へまふで、おゆりとゑんをむすび給はらば」
元禄十年
(1697)
浮世風流「嵯峨に来て浮世風流(うきよぶり)なき頭巾哉 和水」『ゆふくれなゐ』(下)
岸本調和編
俳諧江戸
元禄十一年
(1698)
浮世姿「昔日(キノフ)の浮世姿を今日の黒染になして」〈『柳亭筆記』「隠元頭巾」の考証より〉『好色飛鳥川』序
作者未詳
浮世草子未詳
元禄十二年
(1699)
浮世心「明月やうき世心の稲むしろ 等元」『伊達衣』
乍単斎等躬編
俳諧江戸
元禄十三年
(1700)
浮世帽子「大ふり袖を、しばかきに打かけ、むらさきのうき世ぼうしのひまより打ゑみしかほばせ」『好色一本すゝき』(一)
蝶麿作・師房画
浮世草子江戸
浮世絵
菱川派・東波軒
「風吹洞にうき世絵かいて、鎗踊など彩色菱川がながれ東波軒となんいゑる女中もの専ら此道をうれしがりけるとかや」〈井上和雄著『浮世絵師伝』「東波軒」の項より〉『野良姿記評林』
華蕊軒蘭水作
菱川「(若女方)瀬川竹之丞を評する条に 誠にたへなる御かたちうつすに、菱川にても、つたなき筆をはぢてにげぬべし」『役者万年暦』
八文字屋八左衛門板
役者評判記
元禄十四年
(1701)
浮世絵浮世絵にいくさは見たり春は花 序令」〈斎藤月岑著『増補浮世絵類考』より〉『焦尾琴』
其角編
俳諧江戸
浮世絵やあちらむけたる土用干 百六 こちらむけよと火かき立」〈枕絵の虫干しか〉『乙矢集』
巨霊堂東鷲編
元禄十五年
(1702)
浮世躍浮世躍こんくゎいを得物といへども、是また金沢五平次に三割劣ちて見ゆ」『元禄大平記』(八・一)
梅薗堂作
浮世草子
浮世事「追善の為、柏崎のクセを舞ておめにかけん、たゞし浮世事かといへばいや/\当世事は猫に小判、しつた能こそ面白からん」『女大名丹前能』
(六・三) 西沢一風作
浮世草子大坂
浮世絵「堺よりみちの寒気をふせがんと、浮世絵の火消頭巾、頓頂(しころ)のきはを引さき、帋にて一所いはせ」『五ヶ津余情男』
(四・二) 都の花風作
「いかなる絵馬ならん、あの娘の物づきならば八景四季、又は女すがたの浮世絵にてもやあるあらん」『飛鳥川当流男』
(二・一) 秋花堂久澄作
浮世絵
菱川師宣
「大坂新町に於て、京屋の御琴といふ米(よね)は、松の位のわかみどり、常盤の色の名に高き、天人と呼るゝ程の器量。宍戸与一が仮名文、菱川の浮世絵も及ばず」
〈米は遊女の異称、宍戸与一は作者の都の錦〉
『風流日本荘子』
(一・四) 都の錦作
浮世絵浮世絵もまづ巻頭は帯とかず」〈この浮世絵は枕絵〉『当世誹諧楊梅』
調和・其角等点
雑俳上方
元禄十六年
(1703)
浮世後家「しろじろと古い顔せぬうき世後家『誹諧媒口』
曲水等点
雑俳江戸
浮世絵「手に取て見ればみる程美しき 笑ひをふくむ浮世絵のつや」『当流俳諧村雀』
来山序
俳諧
元禄年間
(1688-1703)
浮世知り「さらば此心当りもと浮世しりの佐七様をたのめ」『好色産毛』
(五・四)(五・四)
雲風子林鴻著
浮世草子
浮世盛り「若旦那、もはや浮世盛り花時分」
浮世絵
恋川舟思
「本所の片ほとりに恋川舟思と云うき世絵の名人ありけり」
〈頴原退蔵著「『うきよ』名義考」より〉
『好色濡万歳』
桃の林紫石作
江戸
宝永元年
(1704)
菱川師宣菱川師宣氏が筆の品、面影うつす姿絵の、どふもいはれぬ、いはじたゞ、口なし色にそめなせるきむくひむくの衣装人形、いづれなり共おめにかけんと」『たが袖の海』(一・三)
由之軒政房作
浮世草子
浮世後家〈頴原退蔵著「『うきよ』名義考」より。『日本国語大辞典』によると、浮気な後家とある〉『心中大鑑』(一)
書方軒作
宝永三年
(1706)
浮世数寄「極々の隠遁者にもあらず、又浮世数寄にもなき順庵といふ生法師」『宇津山小蝶物語』(八)
森田吟夕作
浮世草子
宝永四年
(1707)
浮世草子「末はよし原細見図、一つとやの数へうた、さてはどうしやのうき世ぞうしなどうりあるき」『男色比翼鳥』(十)
東の紙子作
浮世草子江戸
宝永五年
(1708)
浮世気「世が半粋の人心、当流の浮世気からは」『美景蒔絵松』(三)(二)
市中軒作
浮世草子
浮世絵
菱川師宣
「大尽の家見として菱川浮世絵、床の最中に産女が出て興覚したる寝姿を屏風に画せての音物もをかし」
宝永五-六年
(1708-09)
浮世川「秘曲を奏し人の心を慰め、心うき立浮世川、流れの里のよせ太鼓」『傾城伽羅三味線』序
西沢一風作
浮世草子大坂
宝永六年
(1709)
浮世山師浮世山師の謀計、子どものいふ事、かならず誠すべからず」『子孫大黒柱』(四・一)
月尋堂作
浮世草子
浮世組「去年の夏舟にて出合し、ざりばの浮世組六七騎、今のよのそそり太鼓、色男の引合一体すんで」『関東名残の友』(二)
忍岡やつかれ作
浮世絵書「浮世絵書の喜平次」 〈宝永六年序〉『傾城玉子酒』(四)
八文字屋自笑作
浮世絵
浮世又兵衛
菱川・鳥居・奥村
浮世絵の品定め」 「おとくじやう(お多福)」顔の「うき世又兵衛
「近代やまと絵の開山」の「菱川
〈后・官女・娘・嫁、遊女〉その風俗のうつし絵」の「今の鳥井(ママ)奥村
『風流鏡か池』(一・三)
奥村政信画
独遊軒好文の梅吟作
江戸
宝永七年
(1710)
浮世染「散らし小紋地浮世染『松の落葉』
大木扇徳編
歌謡
浮世言葉浮世言葉によそへて問うて、とかく浮世ぢや恋の道」
浮世絵
吉田半兵衛
菱川師宣
「板行の浮世画を見るにつけても、むかしの庄五郎が流を、吉田半兵衛学びながら、一流つゞまやかに書いだしければ、京大阪の草紙は半兵衛一人にさだまりぬ。江戸には、菱川大和画師の開山とて、坂東坂西此ふたりの図を、写しけるに」〈『古画備考』「浮世絵師伝」の「前書き」〉『寛濶平家物語』
作者未詳
浮世草子
宝永年間
(1704-10)
浮世絵
菱川師宣
潮湖(英一蝶)
「屏風、掛ものなども、うは絵書、又は菱川様の浮世絵書たるが見にくゝ、くつわも女郎もつたなく覚ゆる也。大形もてる調度は、床違い棚、出格子に取ちらし、たんす積重ねたるは、あまだな(尼店)に似たるなんど、長湖も書たるなり」 〈長湖は潮湖で後の英一蝶〉『吉原徒然草』
(上八十二段)
結城屋来示作
評判記江戸
正徳元年
(1711)
菱川師宣〈勘当されて零落したかつての大臣〉太夫の浮雲事を忘れず、世にありし時、菱川師信に筆力を尽させし姿絵を表具して、是を床に掛けて不断我楽しみとなして」〈遊女絵〉『傾城禁短気』(四・二)
江島其碩作
西川祐信画
浮世草子
正徳四年
(1714)
浮世煙草入れ「林四郎工夫をめぐらし、浮世たばこ入れといふ手がはりの細工と仕出し」『近代長者鑑』(三)(四)
落月堂操巵作
浮世草子
浮世管弦「はやしかたの衆はまた琴、三味線で浮世管弦をはじめたまへ」
享保初年
(1716頃)
浮世絵
西川祐信
「和国の奥づとめの女中が、浮世絵のやさしきを見て、目顔に皺をよせ、後には同士討ちの道具で心をうごかさるる」『和漢遊女容気』(一・三)
江島其碩作
浮世草子
享保三年
(1718)
浮世絵
菱川師宣
「きら/\としたる御ひたいつきに、まゆずみのみどりは、菱川が墨絵の、とをやまよりさしのぼる日のひかりにひとしく、隠れもない御面ざし」
「京かまくらの芝居のかぶきを、目がねにてこま/\と見物いたし、菱川といへる浮世絵のめいじんにかゝせ、ひとり/\の身ぶり衣裳づけ、舞台がかり、序びらきより中いりの出端に、新べこの腰もと役、いひのきのちらしまで、こまやかに書あらはし」
「いかさま菱川とやらんは画図に妙ありと、兼てうけ給りおよびさふらひしが、人形をつくるにも又上手にて、去かたより御のぞみにまかせ、この座の役者ども四五人がすがたを、手づからきざみ、舞台衣裳そのまゝにさいしき、さし上ると申せしを」
『猿源氏色芝居』
(三・二)(四・一)
九二軒鱗長作
浮世草子
享保五年
(1720)
浮世絵
菱川師宣
〈親父〉「野郎やの親かたが、新部子(シンベコ)に女形の風を教ゆるごとく、万事を捨てて娘の所体(シヨテイ)を指南し、菱川がすがた絵を買ふてあてがい、をのが娘を売物のごとく、身嗜みにかゝらせ」『浮世親仁形気』
(四・二)
江島其碩作
浮世草子
浮世絵浮世絵の男福引く長つぼね」『雪みどり』雑俳江戸
享保八年
(1723)
浮世小路「せまい事うきよせうじに九尺店」『若みどり』雑俳江戸
浮世絵
江戸絵
浮世絵本
菱川師宣
浮世絵は江戸元祖菱川りう美人三十二相図、是によりて江戸絵と名づく、尤菱川も古風に◎て、浮世の風俗もうつりかはりし時々の風を書故に浮世と申、又本絵とは絵形ちがい候が、本絵を心がげし浮世絵はじやうぶ也、浮世絵本だん/\出来申候」
「四能 画 江戸絵と申事は江戸菱川師宣、浮世又平を常風(とうふう)に書かへ浮世とも江戸とも申習。本絵は古人仙人墨絵を本と遊す、浮世は浮世の風を書、日本の人の姿を書故に日本絵と申、日本とは大和の事故に大和絵と申也」
〈刊年は国文学研究資料館の「古典藉総合データベース」の「享保八年?」に拠った〉
『絵本風雅七小町
琴碁書画』
奥村政信画
絵本江戸
浮世絵
鳥居清信
鳥居清陪
奥村政信
「嵐わかの 市川団十郎 大谷広次」署名「鳥居清信筆」
浮世絵根元絵双帋問屋〔商標〕湯島天神女坂下小松屋」
「市川団十郎 大谷広次」署名「鳥居清倍筆」
うき世ゑ地本ゑそうし問屋〔商標〕天神男坂丁岩いや」
「日本画工浮世絵一流奥村親妙るい〔商標〕なし政信正筆 通塩町えさうしといや あかきひやうたん印 奥村屋」〈以上、一枚絵の画工名及び版元名の「帯型表記」武藤純子著『初期浮世絵と歌舞伎』より〉
細判漆絵
版元名・商標
版画
役者絵
江戸
享保中期浮世絵
奥村利信
「三ぷくつい 右 江戸もとゆひ」
「大和画工 奥村利信筆」 「うき世絵版元絵そうし問屋」
漆絵版画江戸
享保九年
(1724)
浮世絵
一蝶ほか
浮世絵にて英一蝶などよし、奥村政信、鳥居清信、羽川珍重、懐月堂などあれども、絵の名人といふは、西川祐信より外なし、西川祐信は浮世絵の聖手なり」〈『近世随想集』(『日本古典文学大系』所収)〉『ひとりね』
柳沢淇園著
随筆上方
享保十一年
(1726)
浮世絵
奥村政信
「日本画工 浮世絵一流根元 奥村親妙政信筆 通塩町ゑさうしといや あかきひやうたん印 奥村屋」
〈一枚絵の画工名及び版元名の「帯型表記」(武藤純子著『初期浮世絵と歌舞伎』より)〉
漆絵版画江戸
享保十二年
(1727)
浮世琴「奥に音曲数々の中に哀の浮世琴『三荘太夫五人嬢』
竹田出雲作
義太夫
浮世絵
奥村政信
浮世絵一流根元奧村政信正筆〔商標〕あかきひやうたん印 通塩町絵本といや」
〈一枚絵の画工名及び版元名の「帯型表記」(武藤純子著『初期浮世絵と歌舞伎』より)〉
漆絵版画江戸
享保十四年
(1729)
浮世医者「女房を代脈にやる浮世医者『十八公』
寸松堂知石撰
雑俳
享保十五年
(1730)
浮世商売「小間物商ひに談義咄シは揚屋の◎◎が持斎する様なもので、うきよ商売に不相応」『手代気質』(二・三)
江島其磧作
浮世草子
破戒僧(ウキヨソウ)「月の夜に芋はほらいで破戒僧(ウキヨソウ) 拾景叟」『正風集』
松月堂不角編
俳諧江戸
享保十七年
(1732)
浮世後家「誹諧も楊弓もなる浮世後家『裏若葉』
苔翁
雑俳江戸
享保十九年
(1734)
浮世絵
江戸絵
菱川・古山
懐月堂・奥村
「江戸菱川(ヒシガワ)吉兵衛と云人書はじむ。其後古山(フルヤマ)新九郎、此流を学ぶ。現在は懐月堂、奥村正信等なり。是を京都にては江戸絵と云」
紅絵 浅草御門同朋町和泉屋権四郎と云者、版行のうき世絵役者絵を、紅彩色にして、享保のはじめごろよりこれを売、幼童の翫びとして、京師、大坂諸国にわたる。これ又、江戸一ツの産と成て江戸絵と云」
『本朝世事談綺』
菊岡沾凉著
随筆江戸
寛延二年
(1749)
浮世絵
西川祐信
「きりやうのやんごとなき事、尊朝の仮名ぶみ、西川うき世絵
〈元禄五年刊『諸わけ姥桜』の改題本。原本は「菱川が浮世絵」となっていた〉
『傾城千尋之底』(四・十)
遊色軒
浮世草子
延享~寛延
(1744-50)
江戸絵
奥村政信
「江戸絵一流元祖芳月堂奥村文角政信正筆〔瓢箪印〕正名印 通油町奥村屋源六板元」
〈ARC古典籍ポータルデータベース画像〉
「花傘三幅対」紅摺絵江戸
宝暦十一年
(1761)
浮世絵
西川祐信
西川浮世絵、狩野家よりいはゞ定て絵の法をも背き、狩野家にては決して書ぬ事なども有べし、然ども下情のあらん限りは筆に顕し、肆店田野の有様より農業渡世の人物、画中声有り、なくかたち笑顔、いやといはれず、狩野家も土佐も及ばぬ処多し、譬画は下手にもせよ、無法にもせよ、人情に応ずるを以て、いはゞ絶世の妙手ともいふべし」
〈『三田村焉魚全集』17巻「細田栄之」〉
『狂訓反古溜』
守黙斎南楽著
滑稽本
明和七年
(1770)
浮世茶人浮世茶人といふは茶の湯をすき、風雅を悦(ぶ)ていに見せて」『風流茶人気質』
一永井堂亀友作
浮世草子
明和八・九年
(1771-2)
江戸絵「一枚画は江戸絵とて賞翫すといへり。今當所にて商ふ画は皆江戸より廻るといへり。尤當地にても江戸にて似せて板行を摺れども画ハよからず」(明和八年六月、大坂滞在記事)
「他国より廻りてしかも多く有るものハ、京の水菘(ナ)、紀ノ国蜜柑、望潮魚(イイダコ)、松茸、江戸画、伏見人形、唐物、蝦夷昆布」(明和九年四月大坂滞在記事)
『難波噺』
池田正樹著
随筆大坂
安永五年
(1776)
浮世絵
勝川春章
「なるほど、仰せの通り、春章と申人は、さて/\凄い者で御座ります。浮世絵では黒極ときております」〈黒極は黒極上上吉で最高位〉『其返報怪談』
恋川春町作・画
黄表紙江戸
天明四年
(1784)
浮世絵
重政(花藍)・春章
清長・湖竜・歌麿
「当世流行するものは何々ぞ(中略)浮世画は 花藍 春章 清長 湖竜 歌麿」『彙軌本紀』
島田金谷作
洒落本江戸
浮世物真似「相の手の合図に咳はせきなから逢はて別るゝうきよ物真似  襖明立」『狂歌すまひ草』
四方赤良等編
狂歌江戸
天明八年
(1788)
浮世絵
又平・菱川・西川
「うき世絵は又平に始り、菱川に定り、今、西川に尽たるといふべし」『鶉衣』後編
横井也有著
俳文名古屋
寛政元年
(1789)
浮世絵
恋川春町
「草双紙を作り佐竹留守居、萬石通抔と時事を造候に付、萬一御咎も有ては済ぬと申候て、国勝手に申付られ候由、浮世絵を画候小笠原の留守居も主人より御咎申付られ候と申(後略)」
〈佐竹留守居が朋誠堂喜三二(秋田藩平沢平格)寛政改革を諷したとされる『文武二道万石通』の作者。小笠原の留守居は恋川春町(駿河小島藩倉橋寿平)春町は鳥山石燕の門人〉
『よしの冊子』
水野為長著
雑記江戸
寛政三年
(1791)
浮世絵
山東京伝
「右之者(山東京伝)儀親伝左衞門手前に罷在、浮世絵と申習し候絵を認め、本屋共へ売渡、渡世仕候処、五六年以前より不計草双紙読本の類作り出し(後略)」
〈山東京伝作洒落本三作が筆禍。町奉行・初鹿野河内守の「吟味始末書」〉
『山東京伝一代記』所収
雑記江戸
寛政十一年
(1799)
浮世絵
葛飾北斎
「(三囲稲荷開帳)提灯十、絵絹にてはり、色々之浮世絵をかく、北斎之筆にて、其巧ミに見殊なる譬ふべき物なし(中略)狂哥或ハ徘諧連中之額数々有リ、ふちハ多分雲形又ハ唐草、金之高ぼり、口画色々有ル内、婦人之驚きしに蚊帳を釣りし体至ておかしく、また見殊なり、此分都て北斎の画(以下略)」『天明記聞寛政記聞』
著者未詳
随筆江戸
寛政年間
(1789-1800)
江戸絵「美女のかほは、いかにも/\かほよくかくべきなり、みにくやかなるはいと/\心づきなし、但し今の世に、江戸絵といふゑなどは、しひてあながちにかほよくせんとするほどに、ゑのさまのいやしき事はさらにもいはず」『玉勝間』14巻
「つら/\椿」
本居宣長
随筆江戸
浮世絵
〈大田南畝は「浮世絵」を考証して次の八つを立項〉
「一 浮世絵/一 大和絵/一 漆絵【金泥又は墨にてぬりし絵】/一 一枚絵【紅絵共江戸絵共云】/艸双紙 【赤本 青本 唐紙表紙】初メ萌黄色表紙ナルユヘ青本と云 今ハ黄表紙ナレトモ青本と云ナリ】/一 吾妻錦絵/一 役者似顔/一 摺物絵」
〈南畝が取り上げた絵師名は次の通り〉
岩佐又兵衛・菱川師宣・鳥居庄兵衛/清信/清満/清倍/清経/清長・橘守国・近藤清春・奥村政信
西川祐信・石川豊信・鈴木春信・富川吟雪・小松屋・勝川春章/春好/春英・恋川春町
北尾重政/政演/政美・一筆斎文調・湖竜斎・歌川豊春・喜多川歌麿・栄之/栄理/栄昌・国政・写楽
窪俊満・宗理・豊国・春朗・歌舞伎堂・春潮・豊広」
「浮世絵類考」
大田南畝著
考証江戸
大和浮世絵
菱川師宣
「古代 大和浮世絵ノ始リ(中略)貞享元禄之比古代之銘人 土佐流 菱川師宣」
〈「始系」は本HP「浮世絵類考」にあり〉
「古今大和絵浮世絵始系」
笹屋邦教編
考証江戸
浮世絵文献資料館  Top「浮世」を冠した言葉と呼称「浮世絵」の時系列 浮世絵の誕生と終焉加藤好夫編