二つの「浮世絵」-「うきよゑ」と「UKIY0-E」-(3)
加藤 好夫
三 余波
A 浮世絵(古版画)の高騰
さて、その西洋的な「UKIY0-E」観の流入とともに、江戸時代と大きく変わってしまったのが、ほかならぬ
浮世絵の値段です。西洋での高い評価を受けて浮世絵の値段が劇的に高騰します。それを少し見ていきましょ
う。
明治十二、三年頃、当時は古錦絵なんか買う人がなく、紙くず類の仕切場にいくと「古錦絵なんていうもの
は、皆千住の紙漉場へ持って行って釜うでにしてしまうので、束になって縄でふんじばって」あった時代の話
です。
ある日、二足三文の古錦絵を夜店に並べておいたところ、一人のドイツ人がやってきて「コレ一枚イクラデ
スカ」とたどたどしく聞いてきた。当方は1銭のつもりで指一本出すと、ドイツ人は紙束の中から五十枚ほど
選び出していきなり5円札を差し出した。当方は五十枚で50銭と見積もっていたところに5円が出てきたの
で、おつりの4円50銭にすっかり弱ってしまった。ところがこのドイツ人、買った版画をぐるぐる巻くやい
なやおつりも取らずにスタスタ行ってしまった。5円というと、この当時の巡査の月給が5円20銭くらいと
いうから大金です。このドイツ人(ブリンクリー。ベンケイさんという渾名が付いていた)は、その後もやっ
てきては、一枚10銭で、専ら歌麿ばかり買い求めていったそうです。(注1)
こういう発端があって、古い錦絵に信じられないような値が付くという噂が広がり始めたようです。当然そ
れを輸出して儲けようという人が日本人の中からも出てきますので、相場が急騰していきます。この図表を見
てください。
古版画浮世絵の値段の推移
一番上の鳥居清倍を除くとすべて錦絵、これが、明治の二年頃は歌麿であれ写楽であれ、まだ一枚1銭。ベ
ンケイさんに値段を聞かれたとき、この感覚で指一本差し出したわけです。ついでに言うと、この頃は新刊の
方が古版より少し高くて3~5銭であったと言います。ですから当時がいかに今の感覚とずれていたかよくわ
かります。それが、見てください、例えば春信、明治十九年には2~3円、明治二十八年には10円、明治三
十八年は誤記と思いますが50円か、そして大正四年には200円。もう一つ歌麿の例を見てみましょう。明
治十二~三年頃、先ほどのベンケイさんの例では10銭、それが明治十九年には二~三十倍の2~3円、それ
が明治三十年代になると、30円~50円、保存の良い「鮑取り」(三枚続)では6000円の値が付いたと
伝えられています。むろん絵柄や保存状態が格段によいものの値段なのでしょうが。それにしても、明治二年
当時一枚1銭のものが、写楽の雲母刷りだと明治の三十八年には七千倍の70円、大正四年には三万倍の30
0円、そして2009年のパリのオークションでは5360万円の入札があったとのことです。いうまでもな
く一枚の役者絵がです。(ちなみに平成二十年当時の換算でいうと、明治前半の1円は約2万円・後半は約1
万円に相当するようです)
B 内田魯庵の憤慨(慶応4年~昭和4年・1868-1929)
こうした西洋の影響で高まった浮世絵の人気を皆が歓迎していたかというと、必ずしもそうではありません。
なかには苦々しい思いで見ていた人もいました。その代表的人物の例をひとり取り上げて見ましょう。江戸幕
府が瓦解してからほぼ五十年ほど経た大正元年(1912)、内田魯庵という人(ドストエフスキーの『罪と罰』を
未刊ながら翻訳してことでも有名な翻訳家・小説家・批評家)がこんなことを言っています。
「我々の眼からは十銭か十五銭の価しかない錦絵が欧羅巴(ヨーロッパ)では何十円、何百円もしてゐる。欧
羅巴人が讃賞する日本人は、伊藤博文公でも東郷大将でもない。夫より以上に歌麿が称美され、春信が詠歎
され、写楽が驚歎されてゐる。ド級型の戦闘艦何隻を有する海軍国としてより、浮世絵の本家本元としての
日本の方が広く知られてゐる。専門の美学者でも鑑賞家でもないから斯様の錦絵の讃美されてゐる理由は解
らない。しかし此の如き浅薄野卑な江戸趣味の錦絵が、日本文明を代表してゐると思つて有頂天になつてゐ
る日本国民は腑甲斐ない話だ」(注2)
内田魯庵には「浅薄野卑な江戸趣味の錦絵」の魅力がなかなか理解出来ません。それどころか蔑視のような
ものさえ感じられます。おそらく、それが邪魔をして、魯庵は浮世絵の魅力を感じ取れないのだろうと思いま
す。その彼が、たかだか十銭か十五銭でしかない浮世絵がどうして何百円にもなるのか。しかも西洋では、歌
麿・春信・写楽の方がはるかに有名で、日本の近代化に貢献大の初代首相・伊藤博文公より称賛されている。
これは実にけしからんではないかというのです。最初に紹介した、開国したばかりの文久三年の遣欧使節の時
代ならいざしらず、西洋における浮世絵の高い人気を知りながら、なおかつそれに抗するかのように、眉を顰
める人も依然としていたわけです。
C 永井荷風の憂愁(明治十二年~昭和三十四年・1879-1959)
しかし一方において、魯庵のような偏狭を、これまた嘆く人物もいました。永井荷風です。
「北斎の芸術は、寔(まこと)に近世東西美術の連鎖なり。当初和蘭陀(オランダ)山水画の感化によりて成
立し得たる北斎の芸術は偶然西欧の天地に輸送せられ、ここに新興の印象派を刺激したり。しかしてこの新
しき仏蘭西(フランス)の美術に漸く転じて日本現代の画界を襲ふの時、北斎の本国においては最早(もは)
や一人の北斎を顧みるものなし。北斎の制作品は今大半故国の地を去りて欧米鑑賞家の手に移されたり。江
戸時代において最も廉価なりし平民美術は殆ど外人占有の宝物となり終れり。わが官僚武断主義の政府しば
しば庶民に尚武の急務を説けり。尚武は可なり。彼らのいはゆる愛国なるものの意義に至つては余輩(よは
い)甚(はなはだ)これを知るに苦しむ」(注3)
荷風は日本画の伝統と西洋の画法を見事に融合させた北斎を称える一方、その北斎を顧みようとしない日本
人の偏向を嘆き、それを放置する政府に批判の矛先を向けているのです。そして次のように結びます。
「浮世絵の生命は実に日本の風土と共に永劫なるべし。しかしてその傑出せる制作品は尽(ことごと)く海外
に輸出せられたり。悲しからずや」(注4)
荷風は日本の風土から生まれたともいえる浮世絵の普遍性を称えながら、その大量流出をとても悲しんでい
ます。日本は幕末から明治にかけて、海外からの高い評価・購入意欲に乗じて、夥しい数の浮世絵を輸出して
きました。しかしこの間、日本人は自らの浮世絵観や浮世絵師に対する位置づけをキチンと見直してきただろ
うか、たんに高い換金性にばかり目を向けていたのではあるまいか……。荷風はそういう疑問を払拭しえない
日本を悲しく思うのです。むろんこれは浮世絵だけに留まりません。日本画・仏像・漆器・蒔絵・根付けなど
の世界でも同様のことが起こっています。「日本は工芸美術がほぼ常に大芸術の域に達している地球上で唯一
の国」だと記しています。(注5)その世界に類例のない日本の工芸品が、彼の地に渡り西洋人の鑑識眼を経
て芸術品に昇華・変身しました。ところが今や、手放した時とは桁違いの金銭を投じて、日本人は買い戻さね
ばなりません。
さてこの浮世絵の大量の流出をどう考えるべきでしょうか。日本の国益を大いに損ねたのでしょうか。これ
は林忠正らが何度も直面させられた問いでもありましょうが、わたしは損ねたとは思いません。もし西洋への
流出がなかったら、多くの浮世絵は、内田魯庵のような眼差しに取り囲まれて、その価値が見直されることも
なく、また保存すべき対象とも考えられず、国内で消耗されるか、漉き返し(再生紙)の材料にされるか、い
ずれにせよ、失われてしまう運命が待っていたものと考えられます。大正十二年(1923)の関東大震災、厖大
な量の浮世絵が一挙に焼失したと伝えられています。日本橋三越前の「にんべん」が所蔵していた「天明・寛
政期の物ばかり何千枚」も、総額で八百万円にもなるという小林文七の大コレクションも、みな灰燼に帰して
しまいました。(注1)(注6)加えて、その後の東京空襲などの被災によって喪失したものもありましょう。
すると、考えようによっては、海外流出は結果として、そのままでは失われる運命にあった浮世絵を逆に保護
したともいえるのです。しかも芸術的な価値を付けてです。
また浮世絵を取り囲む環境が旧来のままであったら、浮世絵を西洋絵画の流れに置いて見ようという発想も
おそらく出てきません。つまり内田魯庵の言うような「浅薄野卑な江戸趣味の錦絵」といった見方からは、浮
世絵を芸術として鑑賞し、浮世絵師を芸術家として評価しようという気運など生まれるべくもないのです。ま
さに永井荷風のいう「北斎の本国においては最早(もは)や一人の北斎を顧みるものなし」のままであったに
相違ありません。
浮世絵に魅力を感じて意図的に集め大切に保存してきた愛好家は江戸の昔からいます。しかし愛好家は概し
て、浮世絵を私的な所有物と見て愛翫・溺愛します。つまり目の快楽を独り占めにします。そこには日本の共
有財産といった観点はおそらくないでしょう。ましてや世界の浮世絵という視点は求めるべくもありません。
したがって公開してその美しさ・素晴らしさを皆で共有しようという発想も湧きにくいでしょう。というわけ
で、浮世絵の海外流出は、浮世絵を後世に伝えるという点からいうと、むしろ不幸中の幸いだったといって良
いのかもしれません。
2016/05/27成稿
(注1)竹田泰次郎談「浮世絵商の今と昔」昭和9年
『紙魚の昔がたり明治大正編』反町茂雄編・八木書店・1990年刊
(注2)雑誌『日本及び日本人』大正元年(1912)刊
(注3)永井荷風著「泰西人の見たる葛飾北斎」大正二・三年頃稿『江戸芸術論』岩波文庫本所収
(注4)永井荷風著「浮世絵の鑑賞」大正二年正月稿『江戸芸術論』岩波文庫本所収
(注5)『歌麿』序
(注6)遠藤金太郎談「錦絵の歴史と値段など」
『紙魚の昔がたり明治大正編』反町茂雄編・八木書店・1990年刊
浮世絵の海外流出 二つの「浮世絵」-「うきよゑ」と「UKIY0-E」-(1)
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