Top 『続燕石十種』浮世絵文献資料館
続燕石十種 た行☆ ちゅうわ にしむら 西村 中和 ◯『異聞雑稿』②279(滝沢馬琴・天保六年頃記事) (「吉野屋為八」の項、『都名所図絵』出版の経緯記事) 〝【春朝斎は竹原氏也、都名所図絵の外に、この画工のゑがきしは、大和名所図絵、和泉名所図絵、拾遺 都名所図絵あり、此余は画工一人ならず、丹羽桃渓、法橋中和の筆、又諸画工の合筆多くあり、編者は すべて籬島也、但、紀州名所図絵は、若山の人高市志友が選にて、画工は西村中和也】〟☆ ちょうき 長喜 ◯『山東京伝一代記』②422(山東京山著・成立年未詳) 〝善玉悪玉【初二三】合巻にして袋入にて売し、【是合巻の初なるか】又、初編中の巻、吉原妓楼の所を、 三枚続のにしき絵に長喜画がき出板す、是草ぞうしの巻中を大にしきゑの初めなるが、(以下、略)〟〈「善玉悪玉」は寛政二年刊『心学早染艸』(京伝作・政美画)〉 ☆ とうけい にわ 丹羽 桃渓 ◯『異聞雑稿』②279(滝沢馬琴・天保六年頃記事) (「吉野屋為八」の項、『都名所図絵』出版の経緯記事) 〝【春朝斎は竹原氏也、都名所図絵の外に、この画工のゑがきしは、大和名所図絵、和泉名所図絵、拾遺 都名所図絵あり、此余は画工一人ならず、丹羽桃渓、法橋中和の筆、又諸画工の合筆多くあり、編者は すべて籬島也】〟 ◯『京摂戯作者考』①333(木村黙老著・成立年未詳) (「戯作者」の項) 〝丹羽桃渓 大坂の人、木挽町の町に住す、画に巧なり、且狂歌を好て、鉄格子波丸の門人となる、遅道といふ、俗 称大黒屋喜兵衛、文政五年十月十五日歿す、行年六十二〟☆ とよくに うたがわ 歌川 豊国 初代 ◯『紙屑籠』③72((三升屋二三治著・天保十五年成立) (「役者似顔絵師 歌川」の項) 〝元祖 歌川豊国【豊春門人、植木町に住】 二代目豊国【豊国実子】 三代目豊国【初国貞、亀戸に住す】 豊国門人 国貞 同 国安 同 国政【富三郎、高麗蔵、うちは絵大首の始、二代目国政は役者絵出さず】 同 国芳 其外、歌川の絵師は役者絵を出さず。こゝにしるさず、そのいにしへは、いま残りたる役者絵をみず、 たま/\見れども、古代の役者故、絵師を書ても当代に益なし〟 ◯『山東京伝一代記』②422(山東京山著・成立年未詳) 〝腹筋鸚鵡石【文化八年新板にて、いがや勘右衛門板、三編目忠臣蔵出る】魚禽獣の身ぶり、声音、此書 古今大当りにて、豊国画にて大にしきに数番出し、京伝自讃あり、此身振出て、青楼にて幇間芝居にて チヤリ場に出し、素人まで酒席にて身ぶりを戯て、市中にも是を翫べり、東海道宿の髪結床障子、或は 暖簾などに画き、其はやる事如斯し〟 ◯『式亭雑記』①67(文化八年三月十二日) 〝辛未三月十二日、両国ばし向尾上町平吉方にて書画会、会主三馬、(中略) 前日からの世話役 中ばしまき町 歌川豊国 同居 同 国満 本所五ツ目 同 国貞 京ばし銀座 山東京伝 中ばしまき町 同 京山〟 ◯『式亭雑記』①72(文化八年四月二日) 〝ほり江町団扇屋(山形にトの印)遠州屋が団扇に、例の急案の画賛 絵は沢村源之助、【俳名訥子、家号きの国や、先宗十郎訥子の男、当時深川柳川町に住す】似顔絵師 歌川豊国の筆、【豊国は中橋上まき町に住り、俗称熊吉、予と交りあつし】 中村座おそけ久松の二番目狂言に、源之助の役割は、油屋清兵衛也、名は伽羅油よりも芳しく薫り、伎 は化粧水よりも麗しく艶なり、されば、贔屓を江戸の水、いま流行の一枚看板、花の露ぬれ事師の本店 にして、芸はよく練る油屋清兵衛、女中がたのうれしがり給ふをおもへば、金化粧も色をうしなひ、美 男鬘も名を恥べし、そも/\誰ぞや、あさもよし、紀の国屋の親方、 油やの役を見むとてびんつけの一番二番桟敷あらそふ おなじ堀江町なる、いせや孫四郎が団扇絵の賛、 絵は豊国の筆、俳優人は市川七代目三升、はじめて助六の狂言大あたり也、 三升助六賛 市川の流れは絶ずして、しかももとの俳優ぞ伝はりける、されば、氷らぬ水の筋よく流行して、今こゝ に団十郎が助六のうひかうぶり、七代つゞく抹額は、江戸紫の色をかへず、一ツ印籠のひとつまへは、 江戸桜の薫り高し、ぱつぱの鮫鞘にいひしへの俤のこり、蛇の目傘に今めきたる姿うるはし、そも/\ 定紋の三升スは、見物の山をはかれる歟、そも/\替紋の牡丹は、芝居の富貴をあらはすか、遠くは正 徳のむかし/\、八王子の炭やく翁は、つがもないてふ詞をまねび、近くは文化の今に至れど、山谷わ たりのやりて婆mで、君なら/\と贔屓して、こりやまたなんのことほぎ祝ふは、此狂言の大あたり、 ほまれは四海になり田屋/\ 助六の入りはあまりし木戸口をまたくゞりまたくゞる見物 (中略) おなじく岩井半四郎が、三浦の総角の図賛 半四郎は、俳名杜若、家号大和屋、其先は粂三郎、俳名梅我といへりし、今嫡子に 娘形粂三郎あり、 伎は広し定紋の三つ扇、いよ/\舞台に高運を開く、名は薫る替紋の丁子車、ます/\世上に伎名を轟 せり、されば大入の見物は、岩井櫛の歯をひくが如く、大あたりの 芸評は、半四郎鹿子のかぞふるにいとまあらず、そもそも名をあげまきにあたる人、当時こゝにとゞま るを思へば、総角の大和屋の太夫にして、杜若は三浦屋の太夫さんなるべし、いづれをいづれおやまの 開山、イヨありがたいかな、 郭公鶯も何あげまきがそのあくたいの初音きかまし〟 ◯『山東京伝一代記』②425(山東京山著・成立年未詳) (文化十四年九月七日記事) “九月七日、京伝一周忌に当日を以て、其寡嫂百合、画工豊国に、亡父京伝の肖像を画しめて製装す。此 画を飾り、是を祭る、且、亡夫の旧友数人を招きて饗応す、豊国画像次に出す〟 ◯『国字小説通』①302(木村黙老著・嘉永二年序) (「読本繍像之精粗」の項) 〝文化の初に至て京伝が忠義水滸伝の口絵、唐山の水滸繍像に傚ひて、北尾重政が筆を奮ひて画きしより、 殊外に評判よかりし故、馬琴作の翻釈水滸画伝のゑを葛飾北斎画がき、京伝作の善知鳥全伝をば歌川豊 国絵がきて、皆々巧妙の手を尽せしより、諸作みなまな新奇を争ひて絵がくことゝは成たり、亦、さし ゑに俳優の似貌を出すは、敵討松山鑑といふ本に、豊国かき始めしより、折節には似貌の本を出すなり〟〈「善知鳥全伝」とは『善知鳥俤』(文化七年刊)か。「敵討松山鑑」〉 ◯『国字小説通』①302(木村黙老著・嘉永二年序) (「草双紙画之精粗」の項) 〝安永、天明の頃に至り、鳥居清長、北尾重政等より、追々絵様細かに成り、書入も段々密になりたれ共、 其頃までは、人物の眼目、つき目とて(図)如斯ゑがきしに、文化の比、歌川豊国が俳優の似顔に画が き初しより、(図)如斯目に画がく事に成たり〟☆ とよくに うたがわ 歌川 豊国 二代 ◯『紙屑籠』③72(万象亭(森島中良)著、文化年中前半) (「役者似顔絵師 歌川」の項) 〝元祖 歌川豊国【豊春門人、植木町に住】 二代目豊国【豊国実子】 三代目豊国【初国貞、亀戸に住す】 豊国門人 国貞 同 国安 同 国政【富三郎、高麗蔵、うちは絵大首の始、二代目国政は役者絵出さず】 同 国芳〟☆ とよくに うたがわ 歌川 豊国 三代 ◯『紙屑籠』③72(万象亭(森島中良)著、文化年中前半) (「役者似顔絵師 歌川」の項) 〝元祖 歌川豊国【豊春門人、植木町に住】 二代目豊国【豊国実子】 三代目豊国【初国貞、亀戸に住す】 豊国門人 国貞 同 国安 同 国政【富三郎、高麗蔵、うちは絵大首の始、二代目国政は役者絵出さず】 同 国芳〟☆ とよのぶ いしかわ 石川 豊信 ◯『反故籠』②169(万象亭(森島中良)著、文化年中前半) (「江戸絵」の項) 〝宝暦の頃まで、皆是(筆者注、三色の紅摺絵)なり、其比の画工は、清信が子の清倍、門人清広、石川 秀信、富川房信などなり〟〈「秀信」は「秀葩」の間違いか「豊信」の間違いか。この石川秀信を石川豊信とみなした〉 ◯『過眼録』①176(喜多村イン庭著・成立年未詳) (「本草学」の項」享保六年) 〝(京都儒医松岡玄達江戸逗留)玄達旅宿、小伝馬町三丁目糟や七兵衛へ、七月十三日、旅籠代遣す、 【按るに、これ浮世絵師石川豊信が家なり、これが子は狂歌師六樹園飯盛なり】〟☆ とよはる うたがわ 歌川 豊春 ◯『反故籠』②170(万象亭(森島中良)著、文化年中前半) (「江戸絵」の項) 〝浮画は豊国が師歌川豊春が書たる者を妙とせり〟☆ とよひで うたがわ 歌川 豊秀 ◯『京摂戯作者考』①337(木村黙老著・成立年未詳) (「浮世絵師」「一瓢斎歌川豊秀」の項。名前のみ、記述なし)☆ とりいは 鳥居派 ◯『紙屑籠』③72(三升屋二三治著・天保十五年成立) 〝絵師鳥居 江戸三芝居看板の絵師鳥居流と世に残す、筆法三ヶ津に無之、画風今に残して、江戸の花といふ。 元祖清信 二代目清倍 三代目清満【当代清満祖父】・四代目清長【新場に住す】 五代目清満【清長の門人、清満の孫】〟