Top           『日本随筆大成 第一期』         浮世絵文献資料館
   日本随筆大成 第一期          さ行                  ☆ しげのぶ やながわ 柳川 重信 初代    ◯『嗚呼矣草』⑲274(大坂書林、河内屋茂兵衛出版目録・年代未詳)   〝柳川前重信画/絵手本水滸画伝/全二冊    此画は前の柳川先生の筆にして水滸伝一百八人の英雄を図にあらはし、おの/\その小伝を附して童    蒙の慰(なぐさみ)画を好める人の便ならしむ〟    〈「国書基本DB」に『絵本水滸伝』二巻二冊・柳川重信画とあるのがこれか。ただ刊年を載せていない〉    ☆ しげのぶ やながわ 柳川 重信 二代    ◯『宮川舎漫筆』⑯242(宮川政運著・文久二年刊)   〝宮川舎政運著/徳斎原義補訂/柳川重信画図   宮川舎漫筆 【前編五巻】     文久二壬戌年新刻 江都 三笠堂蔵梓〟    ☆ しげまさ きたお 北尾 重政    ◯『還魂紙料』⑫247(柳亭種彦編・文政九年刊)    (「来迎売り」の考証 模写図あり)   〝此図は近く安永二年鱗形屋が刊行せし〔江戸二色〕に見えたり。此さうしは江戸にてもてはやしゝ手    遊びを、古き新しきを分たず、それとかれと二色づゝとりあつめて、江都二色と題り。画は重政、賛    は弄籟子とかくし名せる老人なり〟    ☆ しゅんしょう かつかわ 勝川 春章    ◯『寸錦雑綴』⑦183(森羅亭主人(森島中良)著・寛政七年以降文化初年頃の刊行)(模写図あり)   〝嵐和考写真(ニカホのルビ)并ニ勝川春章の壺ト云話    此五人男の画は世に弄ぶ俳優真図(ヤクシヤニカホのルビ)のはじまりにや。此ころ勝川春章、人形町林屋七衛    門といへるものゝところに寓居してはじめてこの画をかけり。名さへなければ林屋の仕切判をおして    草紙屋にあたへしとなむ。是より人、名をいはずして壺と異名せり     嵐音八 和考 このころ諢語(ダウケのルビ)の名人なりといふ〟
 ◯『歴世女装考』⑥305(山東京山著・安政二年刊)   (「びんさし」の考証 模写図あり)   〝全図を略して出す    天明七年江戸板、勝川春章筆繪本千代の友に此図あり。是もびんさしを入れてゆひたる髪なり。天明    寛政のころびんさし入れざる女なし”
 ◯『宮川舎漫筆』⑯318(宮川政運著・文久二年刊)   (「東錦絵はじまり」の項)   〝愛閑楼雑記といえる写本にいふ。江戸絵と称して、印板の絵を賞翫する事、師宣【菱川】をはじめと    す、印板の一枚絵は古く有りしものなれども、彩色したるはなく、貞享の頃より漸く彩どりたるもの    出来しを、明和のはじめ、鈴木春信はじめて、色摺の錦絵といふものを工夫してより、今益々壮んに    行はる。江戸の名物たり。他邦の及ぶ所に非ざれども、春信生涯歌舞伎役者を絵がかず。此後勝川春    章が役者の肖像を画ける名人にて、今の役者の錦絵は、実に此人に始まれり〟    〈宮川政運は、この文の後に『塵塚談』を引いて、役者似顔絵の創始を鳥山石燕とする説を紹介している。(鳥山石     燕参照)なお「愛閑楼雑記」は失われたものか、「国書基本DB」に見えない〉    ☆ しゅんてい かつかわ 勝川 春亭    ◯『烹雑の記』21巻p476(滝沢解(曲亭馬琴)著・文化八年刊)   (「天狗図」あり)  〝春亭画(壺印)〟    ☆ しょうこうさい 松好斎 半兵衛    ◯『雲錦随筆』③67(暁鐘成著・文久元年序)   「伊賀越乗掛合羽歌舞伎雑劇之図」 “流光斎門人 松好斎半兵衛画 模縮”   (この興行は寛政十二年という。役者は誉田内記役の嵐吉三郎と唐木政右衛門役の市川団蔵。絵は「鎗    の伝習」の場面で似顔絵になっている。原画が松好斎で「模縮」はこの随筆の挿絵を担当した松川半    山という意味か)    ☆ しんさい りゅうりゅうきょ 柳々居 辰斎    ◯『烹雑の記』21巻p433(滝沢解(曲亭馬琴)著・文化八年刊)   (「佐渡」魚と石の図「魚化石」及び「後妻打【孝女花扇附す】」の項に挿絵)   〝柳々居辰斎画〟〝辰斎画〟     ☆ すけのぶ にしかわ 西川 祐信     ◯『柳亭筆記』④251(柳亭種彦著・成立年未詳)   「婦人の髪の名種々」   〝〔婦人事始響滝〕〔割註〕宝暦三年西川画本〟
 ◯『柳亭筆記 脱漏』④383(柳亭種彦著・成立年未詳)   「女合羽并俗衣染」   〝さて女の木綿合羽を着たる画は、西川祐信の絵本の類よりふるき冊子にては未見出ず〟    ◯『用捨箱』⑬195 (柳亭種彦著・天保十二年刊)   「枕箪笥」の考証   〝西川祐信の画〔正徳雛形〕の枕尽しの模様に、形のにたるはあれども、今の如縊といふ物をつけたる    は無し〟    ◯『歴世女装考』(山東京山著・安政二年刊)   ◇「抦鏡」の考証 ⑥175  〝元文三年〔割註(略)〕西川祐信が筆の絵本(貞操草)に島田にゆひたる娘円鏡と柄鏡にてあはせか    ゞみする図あり。これを参考するに今のごとく鏡といへば柄あるものになりしは僅に百年以来の事な    るべし”
  ◇「象牙の櫛」の考証 ⑥201   〝むかしは今のやうに女として必ず櫛をさしたるにはあらじとみへて、延宝、天和、貞享、元禄(割註    略)の間、浮世絵師菱川師宣が肉筆にも板本にも女の櫛をさしたるをゑがかず。元禄のゝち廿年可を    歴て正徳にいたりては西川祐信が女絵に櫛をさしたる図往々見ゆ〟
  ◇「二枚櫛」の考証 ⑥209(模写あり)   〝享保八年京板西川祐信筆絵本百人女郎に此図あり、島原の太夫同新造とあり(以下略)
  ◇「笄を髪の飾に挿しはじめたる起原」の考証 ⑥二二六(模写あり)   〝百人女﨟品定 享保八年京板西川祐信絵本に此図あり、髪の風は元禄年中の笄髷の変風なり(以下略)〟
  ◇「髪かざり」の考証 ⑥302(模写あり)   〝享保八年京板西川祐信絵本百人女郎に此図あり、吉原の遊女見世付のさまなり。下にあげたる図(筆    写注、菱川師宣画『子の日の松』)の天和四年よりおよそ三十年後にいたりては、やゝ花美にうつり、    袿をなし、髪にも櫛かんざしの飾りあれども今にくらぶれば飯焚の下女にもおとれり〟
 ◇「びんさし」の考証 ⑥304   〝〔割註 延宝より元禄にわたりては江戸に菱川師宣が絵本、宝永より元文にわたりては京に西川祐信    が絵本〕婦女の図にびんを張出したるはさらになし〟        ☆ せいび セイビ    ◯『羇旅漫録』①244(曲亭馬琴著・享和二年成立)   〝京の浮世絵    祇園にセイビといふ画工あり。おやま芸子の似がほを画くこれをうれり。妓及戯子(ヤクシヤのルビ)の似    がほを錦絵にして多くすり出すこと近年の新製なり。しかれども江戸のにしきゑに及ばず〟    ☆ せきえん とりやま 鳥山 石燕    ◯『宮川舎漫筆』⑯318(宮川政運著・文久二年刊)   (「東錦絵はじまり」の項)   〝(役者肖像画の創始を勝川春章とする説を紹介した後に)    政運云、歌舞伎役者似顔は、鳥山石燕といえる画工が始めなるべし。此頃塵塚談といえるにしるしあ    るを其まゝ出す。    歌舞伎役者写真画の事、宝暦のはじめの頃、画工鳥山石燕なるもの、白木の麁末なる長サ二尺四五寸、    幅八九寸の額に、女形の中村喜代三郎が狂言似面(ニガホのルビ)を画して、浅草観音堂の中常香炉の脇な    る柱に掛たり。諸人珍敷事とて沙汰に及びしなり。是江戸にて似顔絵の始めなるべし。其頃までは一    枚絵とて、役者一人を糊入紙を三ッ切にして、狂言の姿を色どり三四遍摺にし、肩へ市川海老蔵、瀬    川菊之丞などゝ銘を印すのみにて、顔は少しも似ず、一枚四銭ヅヽに売たり。近年は右体の一まい絵    は更になし。浮世草紙迄も似顔絵になれり。錦絵と名づけ拾三四へん摺にするなり。歌舞伎役者にか    ぎらず、吉原遊女水茶屋女、又は相撲取まで似顔絵にして売事になれり〟    ☆ せきし くわがた 鍬形 赤子  ◯『松屋叢考』⑯290~98(高田与清著・文政九年校)   (「府内侯蔵 琉球製蛇皮線図」「三才図絵器用三巻所載阮咸図」「三才図会器用三巻琵琶図」「體源    抄八之本巻所載五絃図」「三絃古図(『東海道名所記』『江戸名所記』『骨董集』『糸竹初心集』    『大怒佐』所載)」「胡弓図(『骨董集』所載)」の模写を担当する)   〝鍬形紹意(「赤子」印)〟また(「紹意」印)あり。    ☆ そせん もり 森 狙仙    ◯『羇旅漫録』①263(曲亭馬琴著・享和二年十一月記事)   “大坂は今人物なし。蒹葭堂一人のみ。是もこの春古人となりぬ。玉山が画は書肆のみ珍重して。雅人は    これを譏れり。又祖仙は猿の写生をよくす。その他が工などいくらもあれども京に及ばず〟