Top 『燕石十種』浮世絵文献資料館
燕石十種 さ行☆ さくべい ひしかわ 菱川 作兵衛 ◯『無名翁随筆』③283(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「菱川師宣」の項) 〝三馬曰、元禄十年板国花万葉記【七ノ下に】大和絵師 【菱川吉兵衛 同作兵衛 同吉左衛門】村松町二 丁目〟☆ さだかげ うたがわ 歌川 貞景 ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国貞」の項、一雄斎国貞門人)「一雄斎国貞系譜」 〝五湖亭【俗称(空欄)、錦絵、双紙ヲ出セリ】〟☆ さだしげ うたがわ 歌川 貞繁 ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国貞」の項、一雄斎国貞門人)「一雄斎国貞系譜」 〝貞繁【俗称(空欄)、草双紙ヲ出セリ】〟☆ さだとら うたがわ 歌川 貞虎 ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国貞」の項、一雄斎国貞門人)「一雄斎国貞系譜」 〝五風亭 貞虎【俗称与之助、双紙、錦絵多ク出セリ】〟☆ さだひで うたがわ 歌川 貞秀 ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国貞」の項、一雄斎国貞門人)「一雄斎国貞系譜」 〝五雲亭 貞秀【俗称兼吉、双紙、錦絵等多ク出セリ】〟☆ さだふさ うたがわ 歌川 貞房 ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国貞」の項、一雄斎国貞門人)「一雄斎国貞系譜」 〝貞房【俗称(空欄)、草双紙ヲ出セリ】☆ さだゆき うたがわ 歌川 貞幸 ◯『無名翁随筆』③309(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川国貞」の項、一雄斎国貞門人)「一雄斎国貞系譜」 〝貞幸 錦絵アリ〟☆ さんこう さくら 三光 ◯『無名翁随筆』③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝サクラ三光、桜井秋山の父〟〈「サクラ三光」は桜山興のことか〉 ☆ しきまる きたがわ 喜多川 式麿 ◯『無名翁随筆』③303(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「喜多川歌麿」の項、歌麿門人)「喜多川歌麿系譜」 〝式麿【俗称(空欄)、小石川水道端ニ住ス、文化中歿ス、錦絵アリ】〟☆ しげなが にしむら 西村 重長 ◯『無名翁随筆』③293(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝西村重長【享保ノ頃カ】 俗称(空欄)、居通油町〟☆ しげのぶ やながわ 柳川 重信 初代 ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「葛飾為一」の項、辰斎(北斎)門人 ③312「葛飾為一系譜」 〝辰斎ト云シ頃ノ門人 雷斗【柳川重信ト云、別記】〟 ◇「柳川重信」の項 ③314 〝柳川重信【文化、文政ヨリ、天保三年歿ス、年五十余】 俗称(空欄)、本姓鈴木氏ノ男、江戸ノ人也、号雷斗、居始本所柳川町、後根岸大塚村、 北斎の門に入て画法を受て、北斎の娘を妻とし、聟となり、雷斗の名を続て、【始メ居ヲ本所柳川町ニ 在シユヘ、柳川ヲ以テ姓氏ノ如クセリ】板刻の密画に妙手ナリ、師の画法をよくせしが、一派の風意を 画り、彩色画は画風大に異り、浪花の玉山が筆法を慕ひ、亦、国貞の浮世絵を似せたり、草双紙も多く 画り、【柳亭種彦初テノ作、重信初テノ画、京一番娘羽板、西村与八板、文政四五年ノ比ナリ】読本も 書けり、【柳亭始テノ作、奴ノ小まん「中本」、文字手摺「大本」山崎平八ト云書林板元、昔人形】 草双紙、読本ともに大に世に行れて、数十部を発市す、一家をなして、世に重信風を云ふ、浪花に至て 用られしが、僅にして帰郷す、常に人形細工上等製作に奇巧あり、また南嶺が草画の筆法を画り、天保 三年十一月歿す、門人重山、続て其業をなせり、 按るに、重山は師重信の聟となれり、馬琴作の侠客伝二篇五ノ巻の末二丁、重信病おもりし其時、重 山続て画しものなり、【初編は英泉画ナリ、八犬伝、重信、英泉両画ナリ】その他読本アリ、彩色摺 にて、藤ばかまと云画本あり、【麹町衆星閣角丸屋甚助板、小枝繁翁作ナリ】〟☆ しげまさ きたお 北尾 重政 初代 ◯『無名翁随筆』③300(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝北尾重政【(空欄)年中歿ス】 俗称左助、居住初大伝馬町二丁目、后根岸大塚村、本姓北畠、江戸ノ産也、号紅翠斎、一号花藍斎 北尾重政は書画ともに善す、就中板下に妙なり、武者画、花鳥に委し【〔頭書〕壮年の頃は鳥居風の画 をかけり、其時代はすべて鳥居風を慕ひしなり】近来、江戸書肆絵双紙問屋蔵板の庭訓、或は往来物、 百人一首、法帖の類委く書画ともにかけり、又、暦の板下は、重政老年迄も書きし也、板下の筆耕は、 其比三都に右に出るものなかりし、花鳥の写真、武者画、軍談数百部筆す、錦画、双紙の絵尤多し、名 手の一人といふべし、 絵本子育草 小本三冊 同 誉の魁 後年【〔傍注〕文政初頭カ】二代目北尾重政と名を称するものは、美丸と云し人也、【新乗物町の河岸、 俗称(空欄)】〟 ◯『戯作外題鑑』⑥66(岩本活東子編・文久元年) (「天明七丁未年」時評) 〝家の化物に、喜三二が肖像有、重政が筆、真に逼といふべし〟〈『稗史提要』に同文あり。「家の化物」は喜三二作・重政画『亀山人家の化物』〉 ◯『蜘の糸巻』②283(山東京山著・弘化三年成立) 〝文墨の名家 天明を盛に歴たる名家、儒に金峨、曲山、【北鵬の二家はすこしおくれる】詩は西野【市川小左衛門 米庵の父】、和歌、千蔭、春海、書家、親和【(頭注あり、略)】、東江、其寧、淳信、画家、宋紫石 唐画、浮世絵に北尾重政【書もよし、暦の筆耕をもかきし】勝川春章、角力に谷風、小の川、遊女に花 扇、滝川。俳優に団十郎白猿、中村仲蔵、〔画家の次に入るべし〕狂歌師に四方赤良【後に蜀山人】、 朱羅漢江、元の木阿弥、大屋裏住、鹿都部真顔、宿屋飯盛、銭屋金埒、右いづれも、おのれ十五六歳の 時見聞の名家なり(以下略)〟〈天明を代表する浮世絵師は北尾重政と勝川春章だと、山東京伝の弟京山は云う〉 ☆ しげまさ きたお 北尾 重政 二代 (北尾美丸参照) ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「北尾重政」の項 ③301 〝後年【〔傍注〕文政初頭カ】二代目北尾重政と名を称するものは、美丸と云し人也、【新乗物町の河岸、 俗称(空欄)】〟 ◇「北尾政美」の項 ③301 〝門人に美丸と云ものありし、故ありて政美が師重政が名跡をつがしむ、画風は大に異なり、豊国が流な り、名を相続して、反て絶るにおとれり〟☆ しちえもん 七右衛門 ◯『無名翁随筆』③303(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「歌川豊春」の項、歌川派系図、豊春門人) 〝七右衛門【画カゝズ、本所御蔵前ニ住ス】〟☆ じへい すぎむら 杉村 治兵衛 ◯『無名翁随筆』③282(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「菱川師宣」の項、元禄二巳年板『江戸図鑑』記事) 〝浮世絵師 【通油町】 杉村治兵衛正高〟☆ じへい ののむら 野々村 治兵衛 ◯『無名翁随筆』③290(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝野々村治兵衛【刻板の絵本世に多し】〟☆ しゃらく とうしゅうさい 東洲斎 写楽 ◯『無名翁随筆』③296(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝写楽【(空欄)年ノ人】 俗称(空欄)、号東洲斎、住居八丁堀、 歌舞伎役者の似顔を写せしに、あまりに真を画んとて、あらぬさまに画なせしかば、長く世に行れず、 一両年にして止む、類考 三馬云、僅に半年余行はるゝのみ、 五代目白猿幸四郎【後京十郎と改】半四郎、菊之丞、富十郎、広治、助五郎、鬼治、仲蔵の顔を半身に 画きたるを出せし也〟☆ しゅうげつ つつみ 堤 秋月 (堤等琳三代参照) ◯『無名翁随筆』③349(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項)「堤等琳系譜」 〝浅草寺に韓信の額あり、秋月と云し比、三代目等琳に改名せし時の筆なり、今猶存す〟☆ しゅうげつ つつみ 堤 秋月 ◯『無名翁随筆』③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項、三代目堤等琳門人)「堤等琳系譜」 〝秋月【始等船、今雪村】〟☆ しゅうざん さくらい 桜井 秋山 ◯『無名翁随筆』③318(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「後藤茂右衛門」の項) 〝按るに、東都に雪舟の画裔と称るもの多し、川島雪亭【田安侯ノ画師ナリ、雪舟ト少シ異ナレドモ名手 也、寛政頃ヨリ天保ノ今ニ至テ存ス、市ヶ谷ニ住ス】亦、桜川秋山と云人ありし、【天明、寛政ノ頃ノ 人也、雪舟ノ画孫ト称ス】本郷に住す、【画則モ冊ヲ板刻シテ画論ヲ出セリ】〟☆ じゅうざん やながわ 柳川 重山 ◯『無名翁随筆』③315(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「柳川重信」の項) 〝(筆者注、重信)天保三年十一月歿す、門人重山、続て其業をなせり、按るに、重山は師重信の聟とな れり、馬琴作の侠客伝二編五ノ巻の末二丁、重信病おもりし其時、重山続て画しものなり〟☆ しゅうすい しもこうべ 下河辺 拾水 ◯『無名翁随筆』③290(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝下河辺拾水【天明ノ頃ノ人】 俗称(空欄)、居(空欄)、京師人、号(空欄)、 此人狩野家の画風を学びて、近世の上手也、板刻の画本多し、祐信、守国が刻本の筆意に似たりといへ ども、大同小異あり 増補頭書訓蒙図彙 十冊 絵本やしなひ草 【天明四年板、洛西双丘書画】下河辺拾水トアリ 絵本をしへ草 其他多し、多年見聞の書名をわすれたり、追て書加ふべし〟☆ しゅうりん つつみ 堤 秋琳 (勝川春扇参照) ◯『無名翁随筆』③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項、三代目堤等琳門人)「堤等琳系譜」 〝秋琳【春扇也】〟☆ しゅじゃくさい 珠雀斎 ◯『無名翁随筆』③297(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝珠雀斎【年暦、姓氏未詳】 俗称(空欄)、居(空欄)、〟☆ しゅんえい かつかわ 勝川 春英 ◯『無名翁随筆』③298(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝勝川春英【(空欄)年中歿す】 俗称(空欄)、居新和泉町新道、号九徳斎 始春章門人なり、後一家をなせり、武者絵に妙を得たり、寛政、享和の比、専ら錦絵多く発市せり、操 芝居の看板画をかけり、世に知る処なり、自然一家の筆意をあらはせしに、画道の妙を得たり、一蝶、 嵩谷に比観すべし、土佐、狩野の筆意に傚て、其妙処を天然に書き出せり、生涯浮世絵に終るはおしむ べき者也、一流の筆意を顕せし狂画をかけり、九徳風と云彩色摺画本、武者絵手本、絵草紙数種あり、 枚挙すべからず、近世の名人也、春章、歌麿も不及処多し、初代豊国は此画風を学びたり、 絵本弓袋 忠臣蔵十一段続の屏風、火事場火消はたらきの画巻物、其他人の画かざるものを多くかけり、 因云、九徳斎は、義太夫をよく語り、三味線に妙なり、麹町なる山田某に逗留して、屏風、絵巻物を 画けり、奇絶とする事多し、委くは別に記す、画法に奇巧ありし人にて、古きをたづねて新き図を工 むの名手なり、又義太夫節をよく語り、三味線をもよくひけり、
「勝川春英系譜」 ◯『三升屋二三治戯場書留』③21(伊勢屋宗三郎著・天保末成立) (「浮世絵師」の項) 〝勝川春章といふ、門人春英九徳斎は、近来役者似顔、浮世絵師に名高く、又後、歌川豊国一陽門人、国 安、国芳抔、当時の役者、女絵の銘人にして、訳て中にも、香蝶楼国貞は似顔の上手、むかしより此絵 師に及ぶ錦繪はさらになし〟☆ しゅんきゅう かつかわ 勝川 春久 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、春英門人系図、勝川春陽門人、名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しゅんぎょうさい はやみ 速水 春暁斎 初代 〝春暁斎【(空欄)年中ノ人】 俗称(空欄)、大坂ノ人、号(空欄)、姓速見、 刻板の絵入読本を多く画り、能く法橋玉山の画風を学びたり 画入平泉実記 拾冊〟☆ しゅんぎょうさい はやみ 速水 春暁斎 二代 ◯『無名翁随筆』③307(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝二代目春暁斎【(空欄)年中ノ人】 俗称(空欄)、大坂ノ人、号(空欄)、 後春暁斎の跡を継し〟☆ しゅんぎょく かつかわ 勝川 春玉 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、春英門人、名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しゅんこう かつかわ 勝川 春好 初代 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝勝川春好【(空欄)年中ノ人】 俗称(空欄)、住居長谷川町、号(空欄)、 春章門人にて、小壺と云り、浮世画、役者画多し 三馬云、春好早世にあらず、四十五六歳の比、中風を患て業を廃す、後年、麻布善福寺に遁世して在 りしが、焉馬翁の需に応じて、市川白猿の肖像を、左筆にて画きたる事あり、其図今日歌白猿一首に見 ゆ、以上、二代目勝川春好は春扇也、別に記す、【〔頭書〕活東子云、類考に早世とあり、故に三馬が 如是云へるなり】〟☆ しゅんこう かつかわ 勝川 春好 二代 (勝川春扇・堤秋琳参照) ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝勝川春扇【享和ヨリ文化、文政ニシテ歿ス】 俗称清治郎、居始麹町貝坂、後芝仲門前、又神明町ヘ移ル、号始春琳ト云、【等琳門人】春扇ト改メ、 又二代目春好ト改ム (中略) 後年故ありて住居を改め、二代目春好と改名し、板下画を止めて、芝神明町に在りし妻は風流の者にて、 草双紙の作を年々発市す、作名月光亭笑寿と云り〟☆ しゅんこう かつかわ 勝川 春紅 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、春英門人)「勝川春英系譜」 〝二代目 春紅【役者画アリ】〟☆ しゅんざん かつかわ 勝川 春山 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、春亭門人。名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しゅんしょう かつかわ 勝川 春章 ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「宮川春水」の項(勝川春水門人)③297「宮川春水系譜」
◇「勝川春章」の項 ③297 〝勝川春章【又勝宮川氏トモ】 是は、明和の頃、歌舞伎役者の似顔を画きて、大に行はる、五人男の画をはじめとす、そのころ人形町 林屋七右衛門と云へるものヽ方に寓居して、画名もなかりしかば、林屋の請取判に、壺のうちに林とい へる文字ありしを、押てやりたり、故に人呼て壺屋と云ひ、弟子春好を小壺といひき、武者絵をもよく 画し、 三馬按、春章、号旭朗斎、一号酉爾、俗称祐助、書画をよくす、門人数多あり、伝及系図等委く別記 にあり、【〔頭書〕寛政四年十二月八日死す、浅草西福寺に葬る】〟 ◯『寛天見聞記』⑤324(著者未詳・寛政~天保見聞記) 〝(嵐音八)元禄十三年四月、五人男の狂言に布袋市右衛門をせしとき、其頃、長谷川町に勝川春章と云 仏画師有て、此似顔を画て出板す、是似顔の始なりと聞伝ふ春章、其時の印を押出せし故、春章を世に 壺と呼びしとぞ〟〈「元禄十三年」は不審。「五人男」嵐音八の布袋役は明和五年の『操歌舞伎扇』〉 ◯『蜘の糸巻』②283(山東京山著・弘化三年成立) 〝文墨の名家 天明を盛に歴たる名家、儒に金峨、曲山、詩は西野、和歌、千蔭、春海、書家、親和、東江、其寧、淳 信、画家、朱紫石〔唐画〕浮世絵に北尾重政〔書もよし、暦の筆耕をもかきし〕勝川春章、角力に谷風、 小の川、遊女に花扇、滝川。俳優に団十郎〔白猿〕、中村仲蔵、狂歌師に四方赤良、朱楽漢江、元の木 阿弥、大屋裏住、鹿都部真顔、宿屋飯盛、銭屋金埒、(以下、略)〟 ◯『神代余波』③129(斎藤彦麿著・弘化四年成立) 〝浮世絵師といふは、菱川師宣といふもさら也、其後、鳥居清長、勝川春章、また其門弟ども、今の世の 風俗、遊女、戯場の俳優人、相撲人など、その者の見るが如くよくかきたり〟☆ しゅんすい かつかわ 勝川 春水 ◯『無名翁随筆』③297(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「宮川春水」の項、宮川春水門人)「宮川春水系譜」 〝勝川春水【俗称藤四郎 深川、後芳町住】〟☆ しゅんすい みやがわ 宮川 春水 ◯『無名翁随筆』③297(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「宮川長春」の項)「宮川春水系譜」 〝宝暦、明和の頃、宮川春水といふ門人あれども、宮川は上を憚る氏なれば、勝宮川と号す〟 〝宮川春水【俗称(空欄)、大和絵師ト云リ、芳町住、姓勝宮川ト改、享保ノ人】〟☆ しゅんせい かつかわ 勝川 春青 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、勝川春玉門人か、春英門人か、名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しゅんせつ かつかわ 勝川 春雪 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、勝川春亭門人)「勝川春英系譜」 〝春雪【後蓬山米之ト云、武者絵アリ、麹町ニ住ス、後赤坂ヘ移ル】〟☆ しゅんせん かつかわ 勝川 春扇 (勝川春好二代・堤秋琳参照) ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「勝川春英」の項(春英門人、名前のみ)③299「勝川春英系譜」 ◇「勝川春扇」の項 ③299 〝勝川春扇【享和ヨリ文化、文政ニシテ歿ス】 俗称清治郎、居始麹町貝坂、後芝仲門前、又神明町ヘ移ル、号始春琳ト云、【等琳門人】春扇ト改メ、 又二代目春好ト改ム 始雪山、堤等琳門弟なりしが、後春英に学び、春扇と改む、文化の始め、東西庵南北と云作者、源五郎 鮒と題せし双紙を始て作り、春扇始て草双紙板下画をかけり、【板元芝神明前山田屋三四郎、初テノ板 元ナリ】大に行る、是よりして、一時に、浮世絵、役者絵、草双紙を画り、此比、芝神明前の絵双紙問 屋、悉く彼れを取立ん事を挑あらそひ、新板日々に多く発市す、向町組に寄らず、僅の間なれども、豊 国大ひに廃せられし事ありし、読本も一二種画り、後年故ありて住居を改め、二代目春好と改名し、板 下画を止めて、芝神明町に在りし、妻は風流の者にて、草双紙の作を年々発市す、作名月光亭笑寿と云 り、 按るに、繍像読本は、東里山人作、源平染分草と云し五冊、縫山翁作、橋供養二編五冊なり、後、陶 器の焼付画をかきて、板刻画をば画ず、其頃は酒杯絵猪口と云しもの流行の始にて、専ら是をのみ業 とせり、門人に扇里と云ものありし〟〈「源五郎鮒」は「国書基本DB」では『復讐源吾良鮒魚』(合巻・文化五年?)とある。「源平染分草」は文政五年刊の読本 『源平外記染分草』。「橋供養」は春扇あるいは二代目春好作としては見えない。小枝繁作・葛飾北斎画の読本『橋供 養』と混同したか。なお「縫山」は「絳山」(小枝繁)が正しい〉 ☆ しゅんせんさい たけはら 竹原 春泉斎 ◯『無名翁随筆』③308(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「竹原春朝斎」の項) 〝三馬按、春朝斎ノ男ニ春泉斎有、継て名所図絵ヲ画ク〟☆ しゅんちょう かつかわ 勝川 春潮 ◯『無名翁随筆』③296(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝春潮【明和、安永、天明、寛政、享和、文化、文政年人】 俗称吉左衛門、後俊朝と改、号吉左堂 鳥居清長の筆意をよく贋たり、錦絵また草双紙に多し 類考 三馬云、春潮浮世絵を廃して俊潮と改む、吉左堂と号す、文政四年、今尚存す、長寿の人也、伝は別 記に録す〟〈「別記」は未詳〉 ☆ しゅんちょうさい たけはら 竹原 春朝斎 ◯『無名翁随筆』③307(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝竹原春朝斎 俗称(空欄)、京都ノ人 秋里籬嵩と交り深く、五畿内及諸国の名所図会の刻本多く出せり、 三馬按、春朝斎ノ男ニ春泉斎有、継テ名所図会ヲ画ク、杏花苑蔵浮世絵類考ノ附録ハ、本白銀町一丁 目縫箔屋新七邦教書、トアリ、甚ズサンノ物ナリ、只画道ニ熱心ノ人ニテ、心オボヘニ見聞セシコトヲ シルシタルモノト見ユ、 活東子云、此選者も甚づさんにて、笹屋某に比覿す、不文論なく、唯各家の事実を見るに足れるのみ〟☆ しゅんてい かつかわ 勝川 春亭 ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「勝川春英」の項 ③299(春英門人、名前のみ)「勝川春英系譜」 ◇「勝川春亭」の項 ③299 〝勝川春亭【寛政、享和、文化ノ間ノ人】 俗称(空欄)、居和泉町、号(空欄)、 春英の門人也。武者絵を善す、浮世絵、役者絵一時に行る、草双紙を多く画く、絵本も二三種ありし、 壮年にして病の為に業を廃して、其居を不知、可惜、 按るに、春亭は春英が高弟なるべし、世に発市する処の草双紙、にしき絵、同時のもの多し、後に豊 国の画風を画きて、役者錦絵も歌川風にかきし也〟 ◇「歌川豊春」の項 ③304 〝按るに、土佐結構の操座の看板は此人(筆者注、豊春)の筆にて、度々評判せられし、珍敷図取をかき しと云り、其後、春英も是に次て劣らず有しものなるべし、今は春徳が筆なり、春亭も一両度有し事あ り〟☆ しゅんどう かつかわ 勝川 春洞 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、春英門人)「勝川春英系譜」 〝春洞【俗称政蔵、大政ト云、左筆共ニ画ク】〟☆ しゅんどう らんとくさい 蘭徳斎 春童 ◯『無名翁随筆』③297 (「宮川長春」の項、勝川春水門人)「宮川春水系譜」 〝春童【称春道、号蘭徳、門人か】〟☆ しゅんとく かつかわ 勝川 春徳 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「勝川春英」の項(春英門人) ③299「勝川春英系譜」 〝春徳【俗称千太郎、十軒店、武者絵ナリ】〟 ◇「歌川豊春」の項 ③304 〝按るに、土佐結構の操座の看板は此人(筆者注、豊春)の筆にて、度々評判せられし、珍敷図取をかき しと云り、其後、春英も是に次て劣らず有しものなるべし、今は春徳が筆なり、春亭も一両度有し事あ り〟☆ しゅんまん くぼ 窪 俊満 ◯『夢の浮き橋』④178(文化四年八月記)〈文化四年八月十九日、富岡八幡祭礼の時、永代橋墜落。「夢の浮き橋」はその被害状況を南畝が緒家より集めて記した もの。窪俊満は亀沢町八百屋の娘の死骸について報告している〉 ◯『無名翁随筆』③296(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝窪俊満【(空欄)年中歿ス】 俗称(空欄)、住居亀井町、尚左堂と云、 俊満は狂歌を能す、画を北尾重政に学び、後春章に学ぶ、狂歌摺物絵、写真摺の画に妙なり、左筆にて かけり 三馬云、俊満戯作あり、南陀伽紫蘭と号す、 青楼油汚、玉菊燈籠の弁と名る小冊、其他草双紙四五種あり〟 ◯『戯作者小伝』②35(岩本活東子編・安政三年成立) 〝窪田俊満 尚左堂と号し、安兵衛と称す、作名を南陀伽紫蘭といふ、神田富松町に住居す、狂歌をよくし、画をも よくす、為一翁いふ、回向院前猫茶屋の事を戯作して、「通りけり猫のわざくれ」といへる草双紙ある よし、予未見〟〈『戯作者撰集』は「窪田春満」とし、「為一翁いふ」以下同文あり。「為一翁」は北斎、「予」は『戯作者撰集』の撰者・石 塚豊芥子か、あるいはその原本『稗史通』の選者・墨川亭雪麿か。「通りけり猫のわざくれ」は安永八年の黄表紙『通 鳧寝子の美女(かよいけりねこのわざくれ)』か。「国書基本DB」は黄山堂(南陀伽紫蘭)著、北川豊章(喜多川歌麿)画 とする〉 ☆ しゅんよう かつかわ 勝川 春陽 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立 (「勝川春英」、春英門人、名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しゅんりん かつかわ 勝川 春琳 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、春英門人、名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しゅんろう かつかわ 勝川 春朗 (葛飾北斎参照) ◯『無名翁随筆』③311(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「葛飾為一」の項) 〝始めは、業を勝川春章に受く、勝川春朗と画名す、故ありて破門せられ、叢春朗と云 り(略)【叢春朗ノ頃ハ役者ノ錦絵ヲ出セリ】〟☆ しゅんわ かつかわ 勝川 春和 ◯『無名翁随筆』③299(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「勝川春英」の項、画系図、春英門人、名前のみ)「勝川春英系譜」 ☆ しょうげつ せんざん 泉山 松月 〔生没年未詳〕 (堤雪僊参照) ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項、三代目堤等琳門人)「堤等琳系譜」 〝雪僊【本町一丁目、本宅ト云、泉山松月】〟〈「国書基本DB」に泉山松月名の記載はない〉 ☆ しんさい りゅうりゅうきょ 柳々居 辰斎 ◯『無名翁随筆』(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) ◇「葛飾為一」の項(辰政(北斎)門人) ③312「葛飾為一系譜」 〝辰政ト云シ頃ノ門人〟〈辰斎は北斎が画号を「辰政」としていた時の門人〉 ◇「辰斎」の項 ③313 〝辰斎 俗称(空欄)、居(空欄)、号(空欄)、 摺物、中本の読本等を画たり、北斎辰政と云し頃の門人なり、狂歌摺物并月並の詠草挿画等多し、此人 の筆なり。錦画、読本は不画〟☆ しんすい かつかわ 勝川 薪水 ◯『無名翁随筆』③297(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「宮川春水」の項、春水門人、名前のみ)「宮川春水系譜」 ☆ しんろてい 振鷺亭 ◯『戯作者小伝』②36(岩本活東子編・安政三年成立) 〝振鷺亭 猪苅氏、名貞居、通称与兵衛といふ。本船町の家主也、初め浜町に住居す、画は鳥居清長に学ぶ、後年、 流浪して川崎在大師河原に僑居して、手跡指南して業とせしが、沈酔の上、堰に落はまりて没すといふ、 (以下、作品名あり、略)〟〈『戯作者撰集』に同文あり〉 ☆ すうけい こう 高 嵩渓 ◯『無名翁随筆』③284(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英一蝶」の項、一水門人)「英一蝶系譜」 〝嵩渓宣【〔傍注〕宜カ】信〟☆ すうこく こう 高 嵩谷 ◯『無名翁随筆』③284(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英一蝶」の項、一水門人)「英一蝶系譜」 〝門人現 高嵩谷【別号屠竜翁、号一雄】〟☆ すけのぶ にしかわ 西川 祐信 ◯『独寝』③105(柳沢淇園著・享保一〇年成立) 〝又、浮世絵にて英一蝶などよし、奥村政信、羽川珍重、懐月堂などあれども、絵の名人といふたは、西 川祐信より外なし、西川祐信はうき世絵の聖手なり〟 ◯『吉原雑話』⑤277(著者・成立年未詳) 〝西川祐信が画の百人女郎の絵に、◯京島原太夫 同新艘 同引舟 同大天神 同小天神同鹿恋 同端女郎 忘 八女郎 揚屋花車 遣手 禿 かぶろ種 ◯江戸吉原太夫 同新艘 同太鼓女郎 さんちゃ女郎 うめ茶女郎 あ げや女郎 ◯大坂新町太夫 同天神 禿童 同局塩の位 同影の位 同月の位 おの/\其品をわかたり〟〈『百人女郎』は享保八年刊〉 ◯『無名翁随筆』③287(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝西川祐信【元禄、宝永、正徳、享保、元文、寛保、延享、寛延、歿年(空欄)】 俗称右京、【初祐助】京師ノ人也、居住(空欄)、姓藤原、西川氏、号自得斎、一号文華堂、称大和 絵師、世ニ西川流ト云、 京都の住、始め狩野永納門に入【(永納の字・号あり、略)】て画を学び、一家をなして、宝暦、明和、 安永の比、大に世に行る、中興刻本仕女大和絵の祖と云べし、上梓する絵本数百部あり、古今比類なき 妙手なり、浮世絵師の名誉たるべきか、春画は此人より風俗大にひらけたり、百人美女郎とて、雲上高 位の尊きより賤のいやしき迄、各其時世の風俗を写し、画き分けたり、後又、是を春画にかきしかば、 罪せられしと云、筆意、骨法、狩野、土佐の二流をはなれず、委く画法にかなひし浮世絵師は、此人に 限れり、或人の蔵書に、祐信画の事にて罪せられし事を書たるものを見たりしが、書名を忘れたり、西 川の事委しくありし、なを後にしるすべし、 絵本百人美女 同 倭比事 同 好色玉簾【画名西川祐助 祐信筆トアリ】 同 好色百人美女【西川祐信筆】 【〔頭書〕此頃、画本テイサイ、紺紫表紙ニ金泥書キアリ、大本、小本、ヨコ切多シ、箱入モ多シ、近世 文化頃迄ノ好色本ノ如クナリシ】 其他亦、彩色の妙手なり、肉筆の絵巻物等、専ら珍重す、近世東都にては、師宣よりも祐信の画は価貴 しと云、 按るに、板刻本は夥敷あり、八文字屋本も、祐信が初心の頃画しとみゆるもの多し、画名は記さゞれ ども、此人と見ゆ、 或書に曰、西川祐信は、浮世絵、枕絵、好色本の達人と云れし、或年、百人女臈品定と云大内の隠し事 を画き、其後、好色双ヶ岡と云雲上のすがたの枕絵を板刻す、百人女﨟のつがひ絵は、やん事なき方々 の枕席、密通の体、清涼殿の妻隠て、梨子壺の隠し妻、萩の戸細の別れ路、夜の殿の妻むかへなんど、 種々玉簾の中の隠し事を画し事、公聴にもれて、厳敷御咎を受、板行禁制せられ、断絶しけるとかや、 世の人の知る所なり、其比より以後、好色本売買を止め給ひしを、ひそかに商ふ事には成し、祐信も一 蝶が跡を踏て如斯成ことを云伝へしと云々〟☆ せきえん とりやま 鳥山 石燕 ◯『塵塚談』①282(小川顕道著・文化十一年成立) 〝歌舞伎役者写真の事、宝暦始の頃、画工鳥山石燕なる者、白木の麁末なる長サ弐尺四五寸、幅八九寸の 額に、女形中村喜代三郎が狂言の似顔を画して、浅草観音堂の中、常香炉の脇なる柱へ掛たり、諸人珍 敷事に沙汰に及し也、是江戸にて似顔画の濫觴成べし、其頃迄は、一枚絵とて、役者を一人を、糊入紙 を三ッ切にして、狂言の姿を色どり、三四遍摺にし、肩へ、市川海老蔵、又は瀬川菊之丞抔と銘を記す のみにて、顔は少しも似ず、一枚四文づつに売たり、近頃は、右体の一枚絵は更になし、浮世草紙迄も 似面絵になれり、錦絵と名付、色どりも七八遍摺にする也、歌舞伎役者に限らず、吉原遊女、水茶屋女、 角力取迄も似顔絵にしてうることゝなれり〟 ◯『無名翁随筆』③295(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝鳥山石燕【(空欄)年中】 俗称(空欄)、住居(空欄)、号豊房、 鳥山石燕は一時の聞人なり、絵本あまた出せり、委き伝追て考べし 絵本百鬼夜行 三編迄 十五冊 水湖画伝 三冊〟☆ せきし くわがた 鍬形 赤子 ◯『無名翁随筆』③301(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「北尾政美」の項) 〝実子、赤子と呼ぶ、今猶越前侯の藩たり〟〈この「今」は『無名翁随筆』成立時の天保四年時を指すか。「国書基本DB」一点収録。大槻磐渓編・鍬形赤子画『金海 奇観』二軸、安政一年〉 ☆ せっきゅう つつみ 堤 雪丘 ◯『無名翁随筆』③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項、初代堤孫二(雪峰)門人)「堤等琳系譜」 〝二代目 孫二【雪丘、俗称筆安】〟☆ せっせん つつみ 堤 雪僊 ◯『無名翁随筆』③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項、三代目堤等琳門人)「堤等琳系譜」 〝雪僊【本町一丁目、本宅ト云、泉山松月】〟☆ せってい つきおか 月岡 雪鼎 ◯『無名翁随筆』③289(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) 〝月岡丹下【天明六年ノ頃歿、年七十七歳】 俗称(空欄)、浪花人也、【江州ノ産】名昌信、号雪鼎、一号信天翁 高田敬甫門人、大坂の春画の名人也、又印本の画本多し、枚挙に遑あらず、 按るに、丹下彩色の春画の大巻物を見たりしが、妙手なり〟☆ せっぽう つつみ 堤 雪峰 ◯『無名翁随筆』③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「堤等琳」の項、初代堤等琳門人)「堤等琳系譜」 〝門人、堤 孫二【雪峰、俗称雉子定、居神田大工町】〟☆ せんきつ しりょうさい 紫領斎 泉橘 ◯『無名翁随筆』③317(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英泉」の項、渓斎英泉門人) 〝【紫領斎】泉橘【俗称仙吉、向島、中本多ク、画作ヲ出セリ、筆耕ヲ業トス】〟☆ せんじゅ えいさい 英斎 泉寿 ◯『無名翁随筆』③317(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英泉」の項、渓斎英泉門人) 〝【英斎】泉寿【俗称伊三郎、錦画、中本、ヨミ本多クアリ、浪花ニ在住シテ名ヲ改ム】〟☆ せんちょう ていさい 貞斎 泉晁 ◯『無名翁随筆』③317(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英泉」の項、渓斎英泉門人) 〝【貞斎】泉晁【俗称吉蔵、霊岸島、草双紙、錦絵クアリ】〟☆ せんてつ じゅせんさい 寿川斎 泉鉄 ◯『無名翁随筆』③319(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「泉守一」の項) 〝門弟に泉鉄あり、号寿川斎と云、能師の画風を学びたり〟☆ せんり れいさい 嶺斎 泉里 ◯『無名翁随筆』③317(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英泉」の項、渓斎英泉門人) 〝【嶺斎】泉里【俗称弥吉、麹町、中本サシヱアリ】〟☆ せんりん 泉隣 ◯『無名翁随筆』③317(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「英泉」の項、渓斎英泉門人) 〝泉隣【俗称井村氏、桜田、中本サシヱアリ】〟☆ そうり ひしかわ 菱川 宗理 二代 (葛飾北斎参照) ◯『無名翁随筆』③311(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立) (「葛飾為一」の項) 〝始めは、業を勝川春章に受く、勝川春朗と画名す、故ありて破門せられ、叢春朗と云り、古俵屋宗理の 跡を継て、二代目菱川宗理となり、此比画風をかへて【宗理ノ頃ハ狂歌ノ摺物多シ、錦絵ハカゝズ】一 派をなさず、【堤等琳孫二ノ風ヲ慕フ】亦、門人宗二に宗理を譲り【三代目宗理トス】名を家元へ帰せ り〟