Top              『新燕石十種』            浮世絵文献資料館
   新燕石十種               ま行                 ☆ まさのぶ おくむら 奥村 政信   ◯『続飛鳥川』①29(著者未詳・成立年未詳)   〝寛延、宝暦の頃、文化の頃まで売物。元日に番付売、初狂言、正月二日始る、番付題代六文、一枚絵 草紙うり、うるし画、うき絵、金平本、赤本、糊入ずり、鳥居清信筆、其外、奥村、石川〟   ◯『百戯述略』④225(斎藤月岑著・明治十一年成立)   〝正徳、享保の頃、羽川珍重、鳥居庄兵衛清信、西村重長、奥村政信、続て懐月堂安慶(ママ)、石川豊信    等が専に一枚絵画出し、梓に鏤めて世に行れ、彩色摺は紅と萌黄の二色に有之〟    ☆ まさのぶ きたお 北尾 政演    ◯『伊波伝毛乃記』⑥120(無名子(曲亭馬琴)著・文政二年十二月十五日脱稿)   ◇⑥120   〝其ころ(弱冠)より、北尾重政を師として、浮世絵を学びしが、画も亦得意ならず、終に行るべから    ずと知て、中途にして廃にき【京伝、画名を北尾政演といへり、天明の末に画きたる紅絵に、政演画    としるせしもの、今も稀にあり】〟     ◇⑥132    〝(山東京伝、文化十三年九月七日)四更の比竟に没しぬ、時に年五十六、(中略)明日未の時、両国    橋辺回向院無縁寺に葬送す、法名智誉京伝信士【イ法名弁誉知海】この日柩を送るもの、蜀山人、狂    歌堂真顔、静廬、針金、烏亭焉馬、曲亭馬琴、及北尾紅翠斎、歌川豊国、勝川春亭、歌川豊清、歌川    国貞等、凡する者百余人なり〟     ☆ まさよし きたお 北尾 政美   ◯『百戯述略』④227(斎藤月岑著・明治十一年成立)   “(北尾重政)其弟子北尾政美は、惠斎と号し、後鍬形紹真と相改申候、是も上手にて、寛政比より、    草双紙其外画き、後光琳の風を慕ひ、一派を立、略画式と題し、絵本数多あらはし申候〟    ◯ 同上 ④227  〝切組燈籠画、西京より下り候が元にて、活洲其外上方の図にて、寛政の末より享和の頃、江戸にて再    板いたし、夫より、惠斎政美、葛飾北斎の両人、工夫いたし画出し〟    ☆ またべい いわさ 岩佐 又兵衛   ◯『百戯述略』④225(斎藤月岑著・明治十一年成立)  〝浮世絵、荒木摂津守村重が落胤にて、岩佐又兵衛と申もの、【俗に浮世又兵衛と作り候は、浄るり節 「傾城反魂香」に浮世又平と作り設けしより、誤り申候】時世の人物を画き出し候が始にて、慶長の    頃被行候哉に有之候〟    ☆ またへい とさの 土佐 又平    ◯『兎園小説別集』⑥311(滝沢解(馬琴)編・文政八年五月四日記)   (「帯被考」の項目)   〝一日、輪池翁(屋代弘賢)、古画の美人三幅を予(馬琴)によせて、問て云、この箱書付には、土佐    又平とあれども、その時代より猶すこしおくれたるものなるべし、しかるに、画図の美婦人の帯のは    ゞ甚広し、抑婦人の帯の幅の、かくのごとく広くなりしは、いつ頃よりの事なるや、聞まほし、とい    はれたり、 予、このこころを得てその画を観るに、げに又平が筆にはあらず。さばれ、画中の人物は    天正中の妓女なるべく、画者は天正後にやあらん〟    ☆ めきち いずみ 泉 目吉 〔未詳〕    ◯『浪華百事談』〔新燕石〕②228(著者未詳・明治二十五~八年頃記)   〝江戸両国泉目吉のおばけ、是は泉目吉といふ人形師の細工の怪談人形にて、種々幽霊、或は変死人、は    りつけ等あり、其人形頗る妙作にて見物驚きたり、而して大入せり〟    〈この泉目吉は人形師、文化十二年に死亡した絵師・泉目吉とは別人。両国とあるのは見世物を興行した場所をいうの     であろう〉   ☆ もりくに たちばな 橘 守国 ◯『百戯述略』④228(斎藤月岑著・明治十一年成立) 〝凡板木の委しく相成候は、享保四亥年中、大坂にて梓行したし候、橘守国が「唐土訓蒙図彙」に有之    候へども、方今之如くには無之〟   ☆ もろのぶ ひしかわ 菱川 師宣   ◯『於路加於比』①289(柳亭種秀著・成立年未詳)   〝虎が石    菱川吉兵衛がゑがきたる「東海道分間絵図」【元禄三年刊行】大磯の所には、じふくじ、虎が石、此寺 にあり、と記せり〟   ◯『元吉原の記』②312(曲亭馬琴著・文政八年頃成立)  〝菱川師宣、鳥居清信、及予が旧族羽川珍重等が画きしは、みな今の吉原になりての画図なれば、元吉原 の考にはえうなし〟元和、寛永のころまで、江戸はなほしかるべき浮世絵師のなかりし故也〟   ◯『花街漫録正誤』④189(喜多村筠庭著・成立年未詳)   〝薄雲は高尾につゞきたる太夫にて、世にその名も聞えし、三浦屋四郎左衛門抱の遊女也、このうつし絵 は、菱川師宣が筆にて、誰姿とも極がたけれど、師信常にいへらく、遊女の絵は高尾、薄雲になどにか ぎりて、ほか/\の遊女はおのれ画かずといひふらしたるとぞ、さるよしをもて考ふれば、薄雲にやと もいふべきか、 〔正誤〕此菱川ノ印アルハ贋作也、但シ、此画ヲカキタル者、菱川ヲニセタルニハ非ズ、画風大ニ異ナレ バ也、菱川ノ印は、後ノ人弁ヘ無者ノ所為ニシテ、此草紙ノ作者欺又ハ此作者ノ所為カ、ハカリ難シ、    菱川ハ高名ニテ、シカモ其真蹟又板本ハコトニ多ク、其ノ風雅モ知ルベキニ、是ヲ縮図シタル画カキノ    タハケガ、是ヲモシラヌハ、職分ニ恥ヅベキ事ナリ、ソノウヘ、此画ハ遊女ノ体ニアラズ、武家風ノ髪    ノ結ヤウ也、又師宣ガ高尾薄雲ノ外ハ、画カズト云タリシ事ハ、余ハ未ダ聞ザル事也、菱川ガ画キタル、    何ゾソレニカギランヤ、傾城ハオロカ夜タカ迄モ画キタリ、作者ノ馬鹿メ、ミダリニ口ヲキクガオカシ〟