Top 『続燕石十種』浮世絵文献資料館
続燕石十種 ま行☆ まさのぶ いちようさい 一陽斎 正信 ◯『京摂戯作者考』①337(木村黙老著・成立年未詳) (「浮世絵師」の項。名前のみ。記述なし)☆ まさのぶ おくむら 奥村 政信 ◯『式亭雑記』①70(文化八年四月一日) “雑司谷鬼子母神に詣、本堂右の方に、奥村政信の草摺曳の額あり、めずらし〟☆ まとら おおいし 大石 真虎 ◯『京摂戯作者考』①339(木村黙老著・成立年未詳) (浮世絵師の項) 〝大石真虎 尾州の人〟☆ みんこう たちばな 橘 珉江 ◯『反故籠』②170(万象亭(森島中良)著・文化年中前半) (「風俗の沿革」の項) 〝風来先生の根無草の後編の初め、鉄門屋の所に、鬼の通者出る、其比の風俗見るが如くに書れたり、插 画は珉江筆を揮へり〟☆ みんわ ごうせんかん 合川館 珉和 ◯『京摂戯作者考』①337(木村黙老著・成立年未詳) (「浮世絵師」の項) 〝合川館珉和 京師の人〟☆ むねゆき 宗之 ◯『式亭雑記』①69(文化八年四月一日) (小石川氷川明神の本社に)“五郎と朝比奈と草摺曳の額あり、画法、頗鳥居家の大和絵に似たり、画人 の名は宗之、享保四年、小石川七軒町より奉納、とあり、朝比奈の右の腕短けれど、画法は鳥居家に概 おなじ”☆ もりくに たちばな 橘 守国 ◯『反故籠』②170(万象亭(森島中良)著・文化年中前半) 〝橘守国 書画一覧に伝有り、近眼にて左筆なり、稿本、皆自画自筆なり、業を探山に受く、と丹波屋理兵衛語り き、或豪家に芥子園画譜全帙を蔵む、其比は只一部なりし故、帳中の秘とせしが、守国其家へ親しかり ければ、請て数頁を模写したるを、古葛籠に入置、大切にせしを、或夜賊に奪れたり、此古葛籠、京都 の何れやらんの街の乾溝に捨有しを、改め見れば、守国が蔵書印こと/\く印て有ける故、早速呼出し、 引渡されし、と鍬形惠斎語りき、絵本鶯宿梅の末に出したる山水法は、芥子園【李笠翁なり】が画譜を 其まゝ出せり〟 ◯『浪速人傑談』②41(政田義彦著・万延元年後序) (「画家」の項) 〝橘守国は、後素軒と号す、浪速の人なり、幼年より画を好み、鶴沢探山の門人となつて修行し、其妙を 得たりと云、実に近代の名画にして、殊に刻版の密画に於て、其の右にいづる人を聞ず、と或画家語ら れし、生涯描く所の画帖、通宝志、鶯宿梅、画典通考を始め、すべて十五部に及べりと、寛延元年十月 十七日、齢七十歳にて卒せらる、墓は生玉の北久成寺にあり、 守国の子保国と云、亦名手にて、野山草詠新成などの画帖あり、保国子なくして養子にて家を継ぐ、保 春と云、保春の次を保之と云、近頃其家絶たり、浪速に於て旧き画家なりしに、惜むべし〟☆ もろのぶ ひしかわ 菱川 師宣 ◯『式亭雑記』①70(文化八年四月一日) “護国寺山内において、秩父三十四番、一同に開帳あるよし聴て、参詣する序、本堂の額を見るに、正面 より右の隅の方に、四尺四面ばかりの額あり、遠目にはわきがたけれど、大和絵師菱川吉兵衛師宣が流 儀と覚し(元禄年号の絵馬略図あり)〟 ◯『吉原源氏五十四君』②313(柳亭種彦・天保十年春写) (柳亭種彦の識語) 〝画人の名は載ざれども、師宣なるよし、談州楼の話也〟〈『吉原源氏五十四君』は貞享四年、宝井其角の戯作。種彦はこの書を三十年前、談洲楼焉馬の許で一覧しいる〉 ◯『画証録』(喜多村信節著・天保十年序) (「日本随筆大成 第二期 4」に同文あり) ◇「女形」の考証 ①46 〝菱川師宣筆〟 ◇「吉弥結び」の考証 ①49 〝虚栗集に、かなはぬ恋を祈る清水、嵐雪、山城の吉弥結びに松もこそ、其角、菱川ようの吾嬬おもかげ、 嵐雪〟〈『虚栗』は天和三年刊〉 ◇「芝居の構えよう」の考証 ①49~50 〝貞享頃、菱川師宣がかける巻物絵の稿本あり。縮図にして下に出す(舞台・木戸口・堺町茶屋の縮図あ り)〟 ◇「余情杖」の考証 ①56 〝元禄八年刻 菱川師宣が百女の絵の中に出〟 ◯『柳亭遺稿』③184(柳亭種彦・天保年間記) 〝「浮世続絵尽」【天和四年印本、菱川画】〟 ◯『京山高尾考』③52(山東京山著・嘉永二年二月廿五日成立) (「高尾終焉の実証」の項、弘化三年八月記事) 〝観世音にまうで、帰路御蔵前を通りければ、地席に古籍をならべたる中に、高屏風くだ物語といふ古本 あり、めづらしき書名なれば、とりあげてひらきみれば、さしえは菱川師宣が筆と見え、遊女のさま天 和前後の物と見えければ、すぐさま価をとらせて持帰り、(以下、冒頭に万治三年の年記ありしこと、 中略)【中本、全部上下二巻、さしゑ七丁ヅヽ、惣紙数五十二丁、序文なし、作者の名なし、但し落丁 にあらず、うろこがたや板とありて、年月なし、一部すべてよし原の事のみにて、此書の作者、万治元 年より前後一両年、よし原の遊し事をしるしたる物なり】(以下、略)〟