Top 『日本随筆大成 第一期』浮世絵文献資料館
日本随筆大成 第一期 か行☆ かねなり あかつき 暁 鐘成 ◯『天神祭十二時』⑱459(意雅栗三著・文政年間刊)
(〝山含亭意雅栗三述〟・挿絵に「暁」と「鐘成」の方印あり)☆ ぎょくざん おかだ 岡田 玉山 ◯『羇旅漫録』①262(曲亭馬琴著・享和二年成立) 〝大坂は今人物なし。蒹葭堂一人のみ。是もこの春古人となれぬ。玉山が画は書肆のみ珍重して。雅人は これを譏れり〟〈木村蒹葭堂は享和二年一月二十五日没。「雅人」はどのような視点から玉山を譏ったものか〉 ☆ きよのぶ とりい 鳥居 清信 ◯『寸錦雑綴』⑦175(森羅亭主人序・刊年未詳) 〝娼妓画幉(けいせいえほん)初丁に跋” (遊女「薄雲」「高尾」の模写)
〝和画工 鳥居庄兵衛 清信図(方円に清信の印) 元禄十三歳辰四月吉日 和泉町板木屋 七郎兵衛板〟
〝此ころ名たゝるあそびどもをあつめて冊子となせり。其中にも此二君は人の知るところなれば摸写す。 画工鳥居清信といふは今の清長か師清満の祖父なり”〈「国書基本DB」は『娼妓画幉』を元禄十四年刊、奥村政信とする〉 ◯『骨董集』(山東京伝著・文化十年序) ◇「臙脂絵売(べにゑうり)」の考証 ⑮376(模写あり) 〝(芝居の絵)元禄のはじめより丹黄汁にて彩色す。これを丹絵といふ。元禄のすゑつころより鳥居清信、 其子清倍等これを画けり。宝永、正徳に至て近藤清春出たり”
◇「雛絵櫃」の考証 ⑮478(模写あり) 〝元禄十年印本鳥居清信がかける絵のうちに此図あり〟☆ きよはる こんどう 近藤 清春 ◯『骨董集』(山東京伝著・文化十年序) ◇「目黒の餅花」の項。⑮373(模写あり) 〝(目黒不動にて、白餅を犬に与えしこと)“近藤助五郎清春がかきたる江戸名所百人一首の絵草紙に、 その図あり”
〝(図の注)享保年中印本江戸名所百人一首之絵〟
◇「臙脂絵売(べにゑうり)」の考証 ⑮376 〝元禄のはじめより丹黄汁にて彩色す。これを丹絵といふ。元禄のすゑつころより鳥居清信、其子清倍等 これを画けり。宝永、正徳に至て近藤清春出たり”
◯『尚古造紙挿』②459(暁鐘成編・文政十二年刊) (『どうけ百人一首』の原本模刻あり。「てんぢ天わう」「ちとうてん王」「ごとばのゐん」「しゆんと くゐん」の四図。図中に「近藤助五郎清春筆」「百人一首どうけ歌作者近藤助五郎」の落款あり。暁鐘 成の頭注に〝近藤清春は宝永正徳中に専ら行われし浮世絵師也、是も百余年の星霜を経たり〟とあり)
◯『柳亭筆記』④279(柳亭種彦著・成立年未詳) (「法衣屋の看板」の考証) 〝「しょく人百人一首」【享保年間印本 近藤清春画】〝
◯『用捨箱』⑬180(柳亭種彦著・天保十二年刊) 「質屋の看板」(模写あり) 〝享保年間印本 道外百人一首近藤清春画〟☆ くしん 駒新 ◯『羇旅漫録』①188(曲亭馬琴著・享和二年成立) 〝〔廿六〕名古屋の評判 (前略)浮世絵は駒新。唐絵は月峰。(中略)書肆は風月堂永楽屋。貸本は湖月堂。(中略)狂歌は田鶴 丸。誹諧は市朗この外いくらもあるべし〟☆ くになお うたがわ 歌川 国直 ◯『閑窻瑣談 後編』⑭415(佐々木貞高(為永春水)著・天保十二年刊)
(春水の随筆。挿画中に「国直」の印。前編は「日本随筆大成」Ⅰ期十二巻所収。「加茂翁より相傳 人 麿の像」に〝古人 狂歌堂所蔵 後素園寫〟とあり)☆ くによし うたがわ 歌川 国芳 ◯『嗚呼矣草』⑲274~83(大坂書林、河内屋茂兵衛出版目録・年代未詳) ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」⑲275 〝一勇斎国芳画/一勇画譜/全一冊 国芳多年の工夫を凝し新奇妙案の図をえらみ才にまかして画きたれば、普通(ありふれ)たる画譜の類と は雲泥の差ひにして、世に珍らかなる画本なり〟〈「国書基本DB」は弘化三年の刊とする〉 ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」⑲275 〝一勇斎国芳画/三国英勇画伝/全一冊 これは呉魏蜀三国にその名高き英雄を図にあらはし、おの/\其小伝を附して童蒙の慰めとす。但し名 におふ一勇斎が筆力を揮ひたれば、かの為一老人が水滸伝にもをさ/\劣らず、見るにめがれぬ双紙也”〈「国書基本DB」は収録していない〉 ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」⑲275 〝同(国芳)画/忠臣銘々画伝/全一冊”此書は赤穂の義士四十七個誠忠の実伝を挙て国芳大人省像画れ たれば求て御覧たまへ〟〈「国書基本DB」は、池田英泉編・国芳画、嘉永元刊とする〉 ☆ ごしゅん まつむら 松村 呉春 ◯『羇旅漫録』①242(曲亭馬琴記・享和二年記事) 〝〔八十五〕京師の人物 京にて今の人物は皆川文蔵と上田余斎のみ。〔割註 余斎は浪花の人也京に隠居す〕しかれども文蔵は 徳行ならざるよし聞ゆ、秋成は世をいとうて人とまじはらず。蘆庵は古人となりぬ。画は月渓と雅楽介 のみ。蘆庵応挙尤もをしむべし〟〈文蔵は皆川淇園、余斎は上田秋成、小澤蘆庵は前年の享和元年没、雅楽介は未詳。池田正樹の『池田氏 日記』の中に、安永頃の京都見聞記事として、僧一休の旧跡真珠庵にて、長谷川等伯や曾我蛇足の画と 一緒に雅楽介の「耕作の図」を一見した由、大田南畝が『一話一言 補遺1』(「大田南畝全集」⑩4 4)に書き留めているが、同人であろうか〉