Top           『日本随筆大成 第一期』         浮世絵文献資料館
   日本随筆大成 第一期          あ行                  ☆ はるしげ 春重  ◯『春波楼筆記』②20(司馬江漢著・文化八年成立)   〝(江漢少年時)其頃、鈴木春信と云ふ浮世画師、当世の女の風俗を描く事を妙とせり。四十余にして、    俄に病死しぬ。予此にせ物を描きて板行に彫りけるに、贋物と云ふ者なし。世人我を以て春信なりと    す。予春信に非ざれば心伏せず、春重と号して唐画の仇英、或は周臣等が彩色の法を以て、吾国の美    人を画く。夏月の図は薄物の衣の裸体の透き通りたるを、唐画の法を以て画く。冬月の図は、茅屋に    篁繞り、庭に石燈籠など、皆雪にうづもれしは、淡墨を以て唐画の雪の如く隈どりして、且其頃より    婦人髪に鬢さしと云ふ者始めて出でき、爰において、髪の結び風一変して之を写真して、世に甚行は    れける。吾名此画の為に失はん事を懼れて、筆を投じて描かず〟    ☆ はるのぶ すぎむら 杉村 治信  ◯『用捨箱』⑬219(柳亭種彦著・天保十二年刊)   「大女房阿与米 附甫春」の考証   〝杉村治信の画本ン〔古今男〕〔割註 天和四年印本〕の頭書に、~ 〟    〈「国書基本DB」は艶本『古今好色男』杉村春信作とする〉    ☆ はるのぶ すずき 鈴木 春信   ◯『春波楼筆記』②20(司馬江漢著・文化八年成立)   〝(江漢少年時)其頃、鈴木春信と云ふ浮世画師、当世の女の風俗を描く事を妙とせり。四十余にして、    俄に病死しぬ。予此にせ物を描きて板行に彫りけるに、贋物と云ふ者なし。世人我を以て春信なりと    す。予春信に非ざれば心伏せず、春重と号して唐画の仇英、或は周臣等が彩色の法を以て、吾国の美    人を画く。  ◯『歴世女装考』(山東京山著・安政二年刊)   ◇「びんさし」の考証 ⑥304   〝びんつけ油はじまりしよりのちの草子どもにある〔割註 延宝より元禄にわたりては江戸に菱川師宣    が絵本、宝永より元文にわたりては京に西川祐信が絵本〕婦女の図にびんを張出したるはさらになし。    近き明和安永にいたりて鈴木春信〔割註 江戸長谷川町に住す〕が絵本多かれど是にもみへず〟   ◇「櫛巻といふ髪」の考証 ⑥310(模写あり)   〝此図安永七年江戸板鈴木春信画繪本貞操草にあり。上下二冊の内櫛巻の女七人あり。此図も主人と下    女と櫛巻なり。此頃京の絵本にもくし巻みゆれば三都にはやりしと見えたり”  ◯『宮川舎漫筆』⑯318(宮川政運著・柳川重信画・文久二年刊)   (「東錦絵はじまり」の項)   〝愛閑楼雑記といへる写本にいふ、江戸絵と称して、印板の絵を賞翫する事、師宣【菱川】をはじめと    す、印板の一枚絵は古く有りしものなれども、彩色したるはなく、貞享の頃より漸く彩どりたるもの    出来しを、明和のはじめ、鈴木春信はじめて、色摺の錦絵といふものを工夫してより、今益々壮んに    行はる〟    〈「愛閑楼雑記」は未詳。「国書基本DB」にも収録なし〉    ☆ はんざん まつかわ 松川 半山  ◯『蒹葭堂雑録』⑭161(暁晴翁撰・安政六年刊)   (「奥付」)   〝編述 浪華 鶏鳴舎 暁晴翁    画図 同 翠栄堂 松川半山    蒹葭堂雑録二編 近刻    安政六年己未仲夏市鬻〟  ◯『雲錦随筆』③92(暁鐘成著・文久元年序)   (暁鐘成が諸国遊歴の間、大和国三輪明神社より採集した奇石・茶磨石について)   〝永く所持せしが近来画師松川半山子に譲り与へぬ〟    ☆ ぶせい きた 喜多 武清  ◯『骨董集』(山東京伝著・文化十年序)   ◇「蝙蝠羽織図」⑮353(模写あり)   〝此絵筆者を詳ならずといへども画風を以て時代を考るに寛永正保の比の古画にやらん。其時代の絵    に合せみてしかいへれば、おほむねはたがふべからずとおもはる〟   〝杏花園所蔵〟〝武清縮写〟     〈「杏花園」は大田南畝〉   ◇「名古屋帯古図」⑮385(模写あり)   〝寛永以前の古画なり、当時の童女かくの如ききり髪おほし、ゆゑに禿といふ名なり〟   〝曳尾庵所蔵〟〝武清縮写〟    〈「曳尾庵」は文化12年『浮世絵類考』を書写し加筆した加藤曳尾庵か〉   ◇「大津絵仏像縮図」⑮410(模写あり)   〝芝峯軒所蔵〟〝武清縮写〟〈「芝峯軒」は未詳〉   ◇「古画勧進比丘尼絵解図」⑮490(模写あり)   〝按ずるに今よりおよそ百八十年ばかり前寛永中にかける絵なるべし。頭を白き布にてまきたるはふる    きふり也。七十一番職人尽の絵を合せ見るべし〟   〝柳塘館摸蔵〟〝武清縮写〟    〈「柳塘館」は幕臣の蔵書家・竹垣柳塘か〉   ◇「古画後妻打図」⑮498(模写あり)   〝武清縮写〟   ◇「編笠を切抜きたる古図」⑮517(模写あり)   〝これは古き屏風の絵のうちにあり。えがける風俗をもて時代を考ふるにおほかた寛永正保の比のもの    と見ゆ〟〝江山蔵〟〝武清(一字不明)摸〟    〈「江山」は詩家・大窪詩仏か〉   ◇「見世棚古図」⑮522(模写あり)   〝これは鏡わりといふ絵巻に載る所(中略)これを文安宝徳の物とさだむるときは、今文化十年よで凡    三百六七十年へたる古画なり〟〝カイ(木+在)園所蔵〟〝武清縮図〟    〈「カイ園」は国学者・岸本由豆流か〉   ◇「手鞠」⑮545(模写あり)   〝これは文禄慶長のころの絵なるべし〟〝武清縮図〟   ◇「天和貞享の比の雛人形」(模写あり)   〝武清写真〟〝京山人百樹所蔵〟    〈「京山自百樹」は山東京伝の弟山東京山〉     ☆ ぶんちょう たに 谷 文晁  ◯『骨董集 上編下之巻』(山東京伝著・文化十二年十二月刊)   (「古制雛図」の項)   〝古製雛又一種 写山楼所蔵”
 ◯『松屋棟梁集』③178(高田与清著・文化十三年序・跋)   「富士」の名義に関する考証 (模写あり)   〝古き扇の画に書たる鎌倉の頼朝大将軍、富士野狩の図 文晁うつす〟   〝其二 富士野仮屋の図 文晁写 幸若舞の草子、夜討曽我の段を考合すべし〟  ◯『歴世女装考』⑥267(山東京山著・安政二年刊)   「結髪(カミアゲ)したる髪の形状の考」考証   〝写山翁〔割註 文晁翁〕には宋画の摸本あるべしと尋ね問けるに果して示されたる摸本を写しおき    たるを略してこゝに出す〟    (模写図に)   〝宋人李戴筆・絹幅(キヌヂのルビ以下同じ)落疑(ナガキ)あり、画院家の鑑識もありて真跡とぞ。全図は此    美人の松下に立て手に団扇を持、牡丹花下に猫蝶を捕へたるを視る侍女一人あり。小童二人一人は猫    を指(ユビサ)す、一人手を挙て笑ふ著色(サイシキ)建幅(タテモノ) 寫山楼摸本〟  ◯『蒹葭堂雑録』⑭39(暁晴翁撰・安政三年序)   〝南都弘仁寺の什物に、小野篁朝臣像 空海筆、弘法大師像 小野篁筆、二幅あり。俗に互の御影といふ。    文晁大和紀行云、寺僧云、此像を写せば忽毫渋目苦しみて死すと。古来より写せし人なしといふ。予    云、此像何の為に作らん哉。後世に伝んが為に絵きしなり。今已に模糊せり。百年の後には愈損じて    全形を見る事あたはず。乃ち一本を写して寄附すべし。然る時は此像を絵きし人の意を永くつぐなり。    いかでか死すべけんと申すければ、寺僧もうなづきて許して写させけり。乃ち写して一本を寄附し、    一本を携へかへる云々。此像を文晁子の写し得たる事は、今も尚南都の人の言伝へて美談とせり”    〈文晁が松平定信の命を受け、『集古十種』の編纂のため門人喜多武清らを連れて西上したのは、寛政八年のこと〉    ☆ ほくさい かつしか 葛飾 北斎  ◯『嗚呼矣草』(大坂書林、河内屋茂兵衛出版目録・年代未詳)   ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」 ⑲274   〝北斎為一老人画/絵手本水滸画伝/全一冊    此画は画狂老人の筆にして水滸伝一百八人の省像(セイゾウのルビ)を丹精を凝(コラシ)細筆に画れし画手本    第一の書なり〟    〈「国書基本DB」に『絵本水滸伝』葛飾為一画・文政十二刊とあるのがこれか〉   ◇「浪花書房 河内屋茂兵衛蔵板」⑲278   〝釈尊御一代記図会/浪花 山田意齋叟参考 江戸 前北齋老人画/全部六冊    (本書の梗概・広告文略)〟    〈「国書基本DB」には『釈迦御一代記図会』六巻六冊、天保十二年刊とする〉    ☆ ぼくせん ほくてい 北亭 墨僊  ◯『一宵話』⑲387(秦鼎著・文化七序・跋)   (挿絵に〝北亭墨僊画〟〝墨僊画〟〝月光亭墨僊写(「北」「亭」印)あり〟    〈『一宵話』は牧墨僊の編集とされてきたが、葛西因是の序から秦鼎の作とされた。文化七年に天錫道    人跋。解題に〝牧墨僊 名は信盈、俗称は新次郎、登、助右衛門等と改めた。雅号は月光亭、北亭、    百斎、墨酔山人。喜多川歌麿門人時代歌政、のち葛飾北斎の門人となり甚だ親しかった。名古屋に浮    世絵の根を下したのは此人であった。絵本の挿絵や自刻の銅版絵挿画がある。名古屋藩士、文政七年    四月八日没す。享年五十。名古屋市中区裏門前町万松寺に葬る〟とあり〉