Top            『武江年表』            浮世絵文献資料館
    武江年表              は行                 ☆ ばえん いっぽうさい 一峯斎 馬円    ◯「享和年間記事」2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝京大坂より画入り読本、新作あまた梓行して江戸へ下せり。(中略)画者は石田玉山、青陽斎蘆国、一    峯斎馬円、丹羽桃渓、合川珉和、松好斎半兵衛、歌川豊秀、速水春暁斎等其の外数多あり〟    ☆ はりつ おがわ 小川 破立    ◯「延享四年」1p150(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝六月三日、俳人小川破立卒す(八十余歳。名宗有、平助と称す。俳諧并びに画をよくし、又塗物其の外    もろ/\の細工に名あり。桶町に住せり〟    ☆ はるのぶ すずき 鈴木 春信    ◯「宝暦年間記事」1p170(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師鈴木春信、石川豊信(秀葩と号し、六樹園飯盛の父にして馬喰町の旅店ぬかや七兵衛といへり)、    鳥居清倍、山本義信(平七郎と称す)、鬼玉其の外多し〟
 ◯「明和六年」p181(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝同(三月)八日より、湯島社地にて、和泉石津大社笑姿(エミスのルビ)(式内の神と云ひ、社人石津連と云ふ。    この時、巫女二人みめよきを択みて舞はす。名をおなみ、おはつと云ふ。鈴木春信錦絵に多く画けり。    筠庭云ふ、「半日閑話」には、このゑびすの開帳二月四日よりとあるは非なるにや。巫女はふり袖の上    にちはやを着たりとかや、神楽みこの美を択ぶこと、是なん俑をなしける)〟
 ◯「明和七年」1p183(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝六月十五日、(浮世絵師)鈴木春信卒す(五十三歳)〟    ☆ はるのぶ 春信 二代    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師二代の春信といひしもの、長崎に至り蘭画を学び、後江戸に帰り世に行はれ、名を司馬江漢と    改む。又銅板画を日本に草創せるも此の人の功也〟    ☆ はるまち こいかわ 恋川 春町    ◯「安永六年」1p199(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝〔筠補〕当年、絵草紙鱗形屋新板、恋川春町の画作、又喜三二作大いに行はる。「桃太郎後日咄」「花    見帰嗚呼怪哉」など殊に評判あり〟
 ◯「安永年間記事」1p206(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師鳥居清長(彩色摺鈴木春信の頃より次第に巧みに成しを、清長が工夫より殊に美麗に成たり)、    尚左堂、春潮、恋川春町(倉橋寿平)、歌川豊春(一竜斎)等行はる〟
 ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝戯作者 通笑、喜三二、恋川春町(狂歌并びに浮世絵)、芝全交、万象亭(二代目風来山人)、唐来三    和、右六人を戯作者の六家撰といへり。其の外、可笑、七珍万宝、蔦の唐丸、観水堂丈阿、芝蘭、樹下    石上などあまたあり〟
 ◯「寛政元年」2p3(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)    〝七月七日、狂歌并びに浮世絵師恋川春町卒す(通称倉橋寿平、草そうし画作も多くあり、市谷浄覚寺に    葬す)〟    ☆ はんべい しょうこうさい 松好斎 半兵衛(「浮世絵師総覧」松好斎 参照)    ◯「享和年間記事」2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝京大坂より画入り読本、新作あまた梓行して江戸へ下せり。(中略)    画者は石田玉山、青陽斎蘆国、一峯斎馬円、丹羽桃渓、合川珉和、松好斎半兵衛、歌川豊秀、速水春暁    斎等其の外数多あり〟    ☆ ひろしげ うたがわ 歌川 広重    ◯「天保年間記事」2p102(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師国芳が筆の狂画、一立斎広重の山水錦絵行はる〟
 ◯「安政五年」2p168~9(斎藤月岑著・明治十一年稿成る)   〝此の頃有名の人にして此の病(編者注、コロリ)に罹り物故せるは(中略)浮世絵師一立斎広重〟   〝九月六日、浮世絵師一立斎広重死す(六十二歳、安藤氏、称徳兵衛、歌川豊広の門人なり。普通の世態    画に同じからず。善く名所山水を画き、又動物の写真によし。江戸并びに国々の名所を画きて行はれし    人なり。又草画もよろし)〟    ☆ ふさのぶ とみかわ 富川 房信    ◯「享保年間記事」1p139(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川    吟雪房信等行はる〟    ☆ ぶせい きた 喜多 武清    ◯「安政三年」2p158(斎藤月岑著・明治十一年稿成る)   〝十二月二十日、画人喜多武清卒す(八十一歳、字子慎、号可庵、鶴翁、五清堂。文化の頃より世に行は    れし人なり。日本榎清林寺に葬す。辞世の狂歌碑面に彫りたれど、拙ければこゝにしるさず)〟    ☆ ぶんちょう たに 谷 文晁    ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝画家 高嵩谷、谷文晁、董九如、長谷川雪嶺、鈴木芙蓉、森蘭斎〟
 ◯「文化年間記事」2p57(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝画 狩野伊川院法印、同晴川院法印、同素川彰信、抱一君、谷文晁、同文一、依田竹谷、英一珪、長谷    川雪旦、鈴木南嶺、大岡雲峯、春木南湖。     筠庭云ふ、竹谷などを出して雨潭を出さず。其の外も猶あり〟
 ◯「天保十一年」2p95(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝十二月十四日、画人谷文晁卒す(号写山楼、又画学斎、薙髪して文阿弥と云ふ。浅草源空寺に葬す)。     筠庭云ふ、養子文一上手なりしが早く死し、文晁も身まかりて、文二画もよくなりしかど、一度もと     の宅引払ひさまよひしが、又もとの二丁町に家作りて住みけるに、これも不幸にして昨嘉永三年没し     たりとぞ。残りしものは借財と三つになる子ばかりとぞきく、惜しむべし。文一が子ありしが如何な     りしか〟    ☆ ほういつ さかい 酒井 抱一    ◯「享和三年」2p25(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (浅草田圃、太郎稲荷参詣群集の記事に続き)   〝文化元年抱一上人画会の時、「絵をかくか願ひかくるか此のくんじゆ太郎さまへか屠龍さまへか」〟
 ◯「文化九年」2p46(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝(九月、巣鴨染井の植木屋にて、菊の花の人物鳥獣の造作大評判になる。文化十三年迄続く)此の時    「菊の番付案内記」、絵草紙類あまた印形せり、抱一上人、植木屋何某が庭中の作り菊を譏りて「見劣    りし人のこころや造り菊」〟〈「屠龍」が抱一〉     ◯「文化年間記事」2p57(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝画 狩野伊川院法印、同晴川院法印、同素川彰信、抱一君、谷文晁、同文一、依田竹谷、英一珪、長谷    川雪旦、鈴木南嶺、大岡雲峯、春木南湖。筠庭云ふ、竹谷などを出して雨潭を出さず。其の外も猶あり〟
 ◯「文政十一年」2p78(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝十一月二十一日、等覚院抱一上人逝去あり(六十八齢と聞えし。名輝真、号文詮、鴬邨雨華庵といふ。    尾形光琳の画風を慕ひ給ひて一派を弘めたまへり。筠庭云ふ、抱一上人そのかみ狂歌をよみて尻焼猿人    といふ)〟    ☆ ほうしゅう かみや 神屋 蓬州    ◯「享和年間記事」2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝(当時の江戸の戯作者)山東京伝・曲亭馬琴・式亭三馬・六樹園飯盛・小枝繁・感和亭鬼武、十返舎一    九・振鷺亭・談洲楼焉馬・高井蘭山・山東京山・芍薬亭長根・柳亭種彦・梅暮里谷峨・神屋蓬州・南仙    笑楚満人・東里山人・東西庵南北〟    ☆ ほくさい かつしか 葛飾 北斎    ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟
 ◯「寛政年間記事」2p18(『武江年表補正略』喜多村筠庭記事)   〝北斎は画風癖あれども、其の徒のつはものなり。政美は薙髪して、狩野の姓を受けて紹真と名乗る。こ    れは彼等窩崛を出て一風をなす、上手とすべし。語りて云ふ、北斎はとかく人の真似をなす、何でも己    が始めたることなしといへり。是は「略画式」を蕙斎が著はして後、北斎漫画をかき、又紹真が江戸一    覧図を工夫せしかば、東海道一覧の図を錦絵にしたりしなどいへり〟
 ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟
 ◯「文化元年」2p30(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝三月より護国寺観世音開帳あり。四月十三日画人北斎本堂の側に於いて、百二十畳敷の継紙へ半身の達    磨を画く〟
 ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸〟
 ◯「文政二年」2p63(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (秋、大坂下りの一田正七郎、浅草奥山において、人物鳥獣草花の駕籠細工を制作して興行し、大評判と    なった記事中)   〝この細工の彩色は橋本町の水油屋庄兵衛が忰幼名吉之助といひしが、成長して画師等琳が弟子としたり    しが、画は又一風なり。北斎が女を妻としたりしが離別したり。其の故は北斎が女絵をよくかき、芥子    人形など作るに巧みなり。されど吉之助画を手伝はせず、其の外にはこの女針わざ縫物などはよくせず、    かれこれ心にかなはずして別れたりとぞ。右かご細工はこれが彩色なり。下絵も同じ〟
 ◯「文政三年」2p65(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (この年の正月から八月の間に興行された大造の見世物記事)   〝麦藁張細工(同所(浅草奥山)へ出、七丈余りの青龍刀、十二支の額、其の外北斎の下絵にて見事なり。    大森の職人これをつくる)〟
 ◯「天保三年」2p85(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (十一月二十八日の柳川重信死亡記事に続いて)   〝筠庭云ふ、柳川重信は志賀理斎の子なり。師なくして画をよくせり。北斎の風なりしが、本所一ッ目弁天    の前なる髪結床の障子に、午の時参りする女を野ぶせりの乞食等が犯さんとする図を書きて、いと能く出    来たり。北渓これを見て、画は社中の風なるが、かばかり書かんものを覚へずとて、其所に問ひしとぞ。    夫より相知りて、北渓これを引きて北斎が弟子とす。其の後北斎これを養子とせしが、如何したりけん、    義絶におよべり。夫より重信頻りに板下を書きしを、北斎これを板下に禁じて、互いに意趣を含みけるを、    柳亭種彦双方をなだめて事和らげり。(以下略、全文は柳川重信の項参照)〟
 ◯「弘化元年」2p105(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝今年長寿の人、水口寿山(百五歳)、末吉石舟(百一歳)、花井白叟(九十八歳)、大岡雲峯(八十歳)、    前北斎為一(八十五歳)〝
 ◯「嘉永二年」2p117(斎藤月岑著・明治十一年稿成る)   〝四月十三日、浮世絵師前(サキノのルビ)北斎為一(イイツ)卒す(九十歳なり。浅草八軒寺町誓願時に葬す)辞世    句「人魂でゆくきさんじや夏の原」。翁名は辰政といふ。始め勝川春章に学び春朗と号す。後俵屋宗理に    学びて二世の宗理となる。一号群馬亭ともいへり。自ら一化をなして葛飾北斎と改む。夙齢の頃草双紙の    画作ありて時太郎可候としるせり。文化の末より戴斗又為一と号す。寛政の頃より嘉永の今に至りて、刻    板の密画、読本のさしゑいくばくと云ふことを知らず。「北斎漫画」其の時の粉本世に行はれ、九旬に及    びて筆力衰ふることなく、三都其の外門人数ふるに遑あらず。娘栄女も又板本多く画けり〟    ☆ ほくじゅ 北寿    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟    ☆ ほくすう らんさい 蘭斎 北嵩    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟    ☆ ほくたい えいさい 盈斎 北岱    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟    ☆ ほくば ていさい 蹄斎 北馬    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟
 ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸〟    ☆ ほっけい ととや 北渓 魚屋    ◯「享和年間記事」2p27(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝江戸浮世絵師は、葛飾北斎辰政(始め春朗、宗理、群馬亭、後北斎戴斗、又為一と改む)、歌川豊国、    同豊広、蹄斎北馬、雷洲(蘭画をよくす)、盈斎北岱、閑閑楼北嵩(後柳居)、北寿(浮絵上手)、葵    岡北渓〟